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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
幕間
962/1102

小話「幸の山」①



 山の奥は静かだった。

 そこにいれば、人の声はしない。

 厳かに息づく命たちの遣り取りだけが占める自然には、忖度や煩悶などの人が人へ与える苦を受けることも皆無だ。

 ずっと、そうなら良かった。

 その筈だった。



 薪を背負って歩く。

 踏みしめる足に重みが伸し掛る。

 一歩ごとに鋭く息を吐いた。

 冬が厳しくなって触れる大地は冷たく固い。

 山は一層そのあり方を険しくしていた。

 草木は越冬のために眠り、動物も最小限の備蓄を作って眠るか緑を求めて移動するので、生気に漲っていた夏に比べれば、冬は死したも同然の静けさだけが残る。

 彼もまた、その一部だった。

「今年も酷かったな」

 冬の有り様に少年は独り言をこぼす。

 毎年見て、感じた厳しさ。

 脅かす者が少ないので安心できるが、眠り損ねた熊には注意せざるを得ないし、群から逸れて熱り立つ鹿も恐ろしい。

 山に潜む以上は敵対もしばしばある。

 そこで命を落とすか否か。

 あとは、単純に食い繋ぐこと。

 夏もまた危険はあるが、冬の闘争は力よりも精神が問われる。

 もっとも。

 人里離れたここに享楽(ひま)はない。

 他にも余裕も省かれている。

 人が生活する上で憩いを求めるが、そんなことすら思考に上がらない。

 だからこそ煩わしさとは無関係。

 山の厳酷な在り方に愚痴など無い。

 ただ。

「あれは、どうにかして欲しい」

 少年は疲れ気味に嘆息する。

 それは先日のこと。

 山の命ではなく、自然の摂理にも含まれない異様な存在が山中を闊歩していた。明らかに熊などの獣とは、根幹から異なると直感に告げさせる生命体だった。

 あれは――何と言うのだろう。

 初めて見るモノだった。

 十数年を山で生きた少年の見識でも解らない。

 ならば。

 あれは山のモノではないのだ。

 ただ、人の手に作られたというのも違う。

 その異質さは判別が付かない。

 山にとっての異物といえば、他にもある。人である少年や、あとは――。

「ん?」

 少年はふと獣道を行く足を止めた。

 進行方向に転がっている影を認める。

 黒く丸い塊は、布の質感があることから長い上着だと推測した。

 接近して確認すべき。

 いつになく好奇心が囁く。

 山の生活では暮らす中で自然と省かれる、数ある無駄の一つたる欲求が喚起されたことに自身でも驚きながら歩を進める。

 同時に、危機感もあった。

 動物の中には死を偽装するものもいる。

 自身より強い生き物から逃れるべく死骸を演じるという狡猾な生存手段としてや、あるいは死肉であろうと貪るべく近付き油断した弱者を返り討ちにする老獪な捕食方法など。

 ただ、衣服をまとう生き物。

 そんなものを見たことはない、少年は好奇心の向くままに動く。

 がさり。

 一歩ずつ、接近する。

 影はぴくりともしないが、呼吸音が聞こえた。――まだ生きている。

 がさり。

 今度は意図的に大きく足音を鳴らす。

 まだ反応は無い。

 呼吸は穏やかで、眠っているようだった。衣服の下から起こる上下運動に乱れは生じない。

 がさり。

 遂に、その直近に立つ。

 遠くからでは見えなかった正体が露わになった。

 そっと覗き込むと。

「これ、は――」

 少年は悲鳴のように息を呑んだ。

 そこに、人が眠っている。

 少年は幾度か、山に入る自分以外の人を見たことがあるので、それが人間であるという判別は付いていた。

 その上で。

 目前のそれが人であるかを疑った。

 黒い頭髪は、まるで澄んだ湖面のように美しく、艶が風が吹くたびに黒い水面のような髪の中を走る。

 閉じた瞼で揺れる長い睫毛。

 細い眉の眉は安眠なのか緩やかな弧を描く。

「……………」

 同じ人間とは思えない。

 まるで、完成品。

 山には無いが、これも――人の手で作り出せる物ではない、自然界がふと垣間見せる奇跡、山陰から現れた曙光が一瞬見せる閃きや、刹那の内にしか存在できないモノを形にしたような……………と、途方もなく終わらない表現を探して少年は当惑する。

「うん、柄じゃない」

 間もなく思考を打ち切った。

 これも無駄なこと。

「それより」

 少年はうん、と唸る。

「命知らずか」

 獣道で眠るなど言語道断。

 山で生きるなら愚の骨頂だ。

「危ないし」

 少年は薪に加えて『それ』を両腕で抱える。

 もし獣に遭遇したら、最悪は薪を捨てて走ればいい。

 背負子の肩紐を少しだけ緩めて、少年は獣道の落とし物を抱えて自身の住処へ向かって再び歩き出した。

「…………やっぱ怖いな」

 噛みつかれるかも。

 起きた後のことに不安が過る。

 この未知の生物が危険かもと何度か迷いながら、少年は起こさないよう進んだ。





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