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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
七話『熱醒まし』中編
957/1102



 鍛錬が始まって二十日が経つ。

「う、ぐ」

「無様」

 嘲りもない頭上からの声。

 またアヴカエルドが一勝を重ねる。

 呻き声を上げて。

 チゼルは今日も地面に伏していた。

 今回は意識があるだけ前回よりも成長している。

 気休めにしかならない確認だが、チゼルは地面から顔を上げてアヴカエルドを睨め上げた。

 涼しい顔で大鉈の刃を見ている。

 稽古中から変わらない相貌。

 呼吸の一つすら乱さない。

 目の前に舞い込んだ蝿を払うような簡単なことも同然で、チゼルはこの男を相手に優位な戦闘を演じたことが一度もなかった。

 初めから。

 この男には熱意がない。

 激情らしき片鱗すら宿らない目をしている。

 その奥は冷たく凍えきっていた。

「どうした」

「ちと休憩させてくれな」

「軟弱者め」

「この朴念仁」

 チゼルは地面の上に仰臥する。

 その頭のそばに彼はゆっくり腰を下ろした。

 まだ昼下がりの空が、残酷にもこの厳しい鍛錬が終わるまで時間があることを告げている。夕刻まである稽古は、ベルソートの言で逆らうことができない。

 チゼルからすれば。

 理由があれば真っ先に断る案件だ。

 理解できないのはアヴカエルド。

 最初の反抗的な態度から一変して、師匠の役を承ったことである。現に一日たりとて欠かさず稽古に付き合っていた。

 セインという監視。

 ベルソートからの依頼。

 そのいずれも理由になっているような気がしない。

 真意は別のところにある。

 直観でそう感じたチゼルは彼を観察した。

 だが、答えは見つからない。

「あのさ」

「…………」

「おまえさん、どうしてこの仕事を請け負った?」

「知るためだ」

「何を?」

「弱さを」

 チゼルは呆然とした。

 大陸最強と謳われる猛者が『弱さ』を求める。

 人が聞けば笑い、彼を知る者なら呆れる。

「今さら、何で」

 そんな簡単なことを。

 その部分は声にせず訊ねた。

「俺には判らん」

「みんな判るのに?」

「…………そうなのか」

 アヴカエルドが振り向いた。

 その瞳は幽かな動揺に揺れている。

「おまえさんも弱い」

「俺に負けておいてよく言う」

「そういうんじゃない」

 にべもなくチゼルに否定される。

 アヴカエルドが眉根を寄せてチゼルを睨んだ。

「なら、何だ」

「誰にでも弱さはある」

「…………」

「こういうの、勝手に自覚するのがいっとう実感が湧くやつなんで、言葉にするほど理解から遠くなるんだが」

「勿体ぶらず言え」

「嫉妬、恐怖、怒り………そんなんだよ」

「は?」

「他にも、『何かに縋らなきゃ生きられない』…………それが人の弱さだ」

「…………」

 縋らなければ生きられない。

 アヴカエルドの中では、それが弱者だ。

 抗う術が無く、ただ強者に従う。

 従う以外に生きる道が無いから、縋る。

「そんな単純なわけがあるか」

「じゃあ、おまえさんは何で分からない?」

「――――」

 何の衒いも無い質問。

 飾らないからこそ、その声が体の芯に響く。

 なぜ――アヴカエルドは自問する。

 そんな単純な弱さにすら己は気づけていない。チゼルの言葉は、痛烈な批判であると同時に憐れむような響きを持つ。

 ちら、と視線を外す。

 セインは遠くから二人を眺めていた。

 会話に入る気配は見せない。

「なら、貴様に訊く」

「うん?」

「俺の『弱さ』とは、何だ?」

「この前、剣爵領地の霊園を訪ねた」

「…………?」

「隅の方にある墓に花が添えてあってさ」

 アヴカエルドがぴくりと反応を示す。

「おまえさんか」

「…………」

「毎年、行ってるのかい?」

「…………剣聖のついでだ」

 ぶっきらぼうな回答にチゼルが笑う。

 見え透いた嘘だとでもいうように。

「おかしいな」

「は?」

「剣聖の墓前には花を投げるようにやってたのに、ヒタリの墓には随分と丁寧に添えてあったが」

「…………」

「口を開けば剣聖の話ばかりだが、そこがおまえさん自身に自覚の無いところかもね」

 アヴカエルドは沈黙する。

 自覚の無い部分。

 アヴカエルドの知りたい答えがある場所だ。

 そこに、あの――嫌悪したはずの『弱さ(ヒタリ)』が関与している。

 毎年恒例だった。

 葬った剣爵やその子孫に敬意は無い。

 同じ門下生の先達にも同様だった。

 唯一、思い入れのある剣聖の墓参りは欠かさない。

 ただ。

 墓参りの後に領地を出たときだ。

 いつも、また花束を持って領地へ戻る。

 こればかりはセインも知らない。

 アヴカエルドも、気づいたらヒタリの墓前に立っている。

 ついで、おまけ――そんな言葉にしたのは、無意識にそんなところを指摘したチゼルへの反感と、心の奥底を衝かれた微かな動揺があったから。

 だが。

 未だに何故かは分からない。

「…………」

「セインから聞いたけど、おまえさんにとって弱者でしかないヒタリの墓なんて参ったんだい?」

「…………」

「じゃあ、質問を変える」

「…………」

「ヒタリってどんなヤツ?」

 チゼルが起き上がって彼を見つめた。

 アヴカエルドは変わらず無表情である。

「ヒタリ、か」

「うん」

「…………俺とヤツは同じ研究所で生まれた人造の魔人だ。

 素体となった魔獣の影響か、俺は『他者の生命力を奪う力』に長け、ヒタリは『生命力を蓄える力』を発現した。

 だが、所詮はヒタリも失敗作だった。その能力で辛うじて他の者よりは生きた。親父…………剣聖の能力で、そんな不具合も正せたが、ヒタリはこれを拒んだ」

「拒んだ?」

 延命措置を拒む。

 短い命と宿命付けられたヒタリには、是非もない判断である。

 本人が、生を望む限りは。

「どうして」

「ヤツは言っていた」

 アヴカエルドは思い出す。

 剣聖の提案に笑顔で返された言葉だった。

『特別な措置は要らないの』

『なぜ』

『私、魔人として作り変えられる前までは普通の人間だったから。もう体は特別になっちゃったけど、もし叶うなら『剣聖』だとか『魔人』だとか、そんな特別じゃなくて『普通に生きて普通に死にたい』の』

 この言葉は今でも忘れられない。

 一言。

 アヴカエルドはそれを愚かだと称した。 

「それが俺には分からなかった」

「…………」

「生殺与奪の権利は、常に強者の手にある。弱肉強食の世界では敗者は死ぬのみだが、生かすも殺すも自由なのは強者の特権だ。

 その世界で生きた俺からすれば、ヤツは愚かだった。

 剣聖という強者から自由の権利を与えられながら、それを拒んだ」

「弱者なら、それに飛び付くって?」

「ああ」

 アヴカエルドは小さく呟く。

 その声は自覚があるのか、ひどく低い。

 顔には深刻な憂いの翳りがある。

「なぜ弱者の道を選ぶ?」

「…………」

「初めから何も持たず、ただ奪われるだけで終わろうとする?魔人研究で『普通』などとうの昔に失われたはずなのに、そんなものに縋る意味が分からない」

 段々と、声音は怒りを帯びていく。

 アヴカエルドの膝上で拳が握られた。

「そうか」

「…………!?」

 得心顔のチゼル。

 アヴカエルドは瞠目したまま固まる。

 今のどこで、ヒタリを理解できたのか。

 アヴカエルドには一向に分からない、共感の余地など無かったはずである。

 何より。

 一人の視点から語られた話には、必然的に本人由来の観点から発生する偏りにより、本来は客観的に見れば分かるはずの本質すら隠れてしまう。

 アヴカエルドは己が偏っている自覚があった。

 それが何に偏っているかまでは分からない。

 ただ。

 それが原因で剣聖に破門された。

 その『弱さ』が未だに知れない。

「教えろ、何がわかった」

「いや、だから単純なんだって」

 チゼルが呆れ顔で応える。

「それはヒタリの『強さ』だよ」

「は?」

 アヴカエルドの全てが今度こそ停止する。

 思考すら掻き消えた。

 チゼルの言葉だけが脳裏に響く。

「ヒタリは、『今の自分』を投げ出さなかった。短い命にも向き合って、それでも『普通』に縋る今を大切にしたんだ」

「だ、だが延命できるなら」

「延命手段自体が自分が望んでる『普通』とかけ離れてたし、そうすれば失われるって分かってたからだ」

「ヤツはもう『普通』とはかけ離れていた!」

「そうだよ。

 でも、その『普通』に縋った。

 本来なら失った物に縋ってしまうことは人の『弱さ』だけど、人ってのは本来はそういう部分を自己嫌悪して目を背ける。無自覚にそうでないと否定しながら、縋り続ける。

 だって、自分にとっては不快に思うことでしかないからな」

「…………」

「ただヒタリは向き合い続けた。

 その上で選んで、短い命を全うした…………それがヒタリの強さ」

「………ヤツは弱いのか、強いのか」

「ヒタリは強いんだよ」

 チゼルは逡巡すらせず断言する。

「なぜ」

「自分すら厭う弱さを見つめて、それを受け止める…………これが強さだ。人の強さと弱さは、表裏一体ってもんなんだよ」

「表裏一体」

「自分の弱さを受け入れたからこそ、ヒタリは自分の短い命にも向き合えた。本来なら怖いし、延命自体はむしろ悪いことじゃない」

「…………」

「ただヒタリの『強さ』がそういう形だったってだけの話」

 チゼルは一頻り話して口を閉ざす。

 この『強さ』とは。

 自身が厭うモノが己の中にあると自覚し、その上で受け止めることである。

 目を背けて無い物として扱ったりすることは逃避――むしろ『弱さ』の一面である。

 これを克服したり、また直らないと判断しながらも己の一部だと認められる心構えなどが『強さ』なのだ。

 己の『弱さ』を知り、受け止める。

 表裏一体という表現。

 その底意はそこにある。

「…………」

「逆に、おまえさんはどうだ?」

「俺、か」

「自分には無い、とか認められないと否定する部分」

「…………俺は」

 アヴカエルドは考え込む。

 それから、遠くのセインを見つめた。

 チゼルは最初に言った。

 弱さの喩えとして、恐怖や嫉妬を挙げている。

 アヴカエルドにとっての恐怖。

 それはセインとの会話で、誰かに己のことを開示することを恐れたと指摘された。

 その時点で、己とは向き合えていない証拠。

 他には――。

「…………」

 アヴカエルドは目を閉じる。

 瞼の裏に、あの姿が映った。

 密かに、夜に屋敷を抜けて妻の墓の前で目的もなく佇む強者の姿である。

 彼女の話をするとき、絶対的強者である彼が頼りないように見えた。

 表には出さないが、彼女を鞘と喩えた男は収まるべきところを失って嘆いていた。

 それが唯一、剣聖を尊敬できない部分。

 己に無く、彼にあるモノと厭うて拒絶した部分だった。

「まさか」

 ――あれが、俺の『弱さ』?

 無自覚に。

 アヴカエルドも誰かに縋っていたのか。

 彼が見せた『弱さ』が己の内面を見せたようで、反射的に拒絶したのかもしれない。

 なら。

「俺の弱さ、とは」

 アヴカエルドの視線に気づいたセインが手を振る。

 彼女は自分を家族として認識している。

 家族、とは。

 アヴカエルドはその言葉に、稽古の後に剣聖とヒタリと三人で野原にいた日を想起する。

 自分が、幸せだと思えた記憶。

「…………」

「…………ああ、なるほど」

 アヴカエルドは嗤う。

 チゼルは訝しんで顔を覗き込んだ。

 その視線から逃れるように立ち上がって、彼は真っ直ぐセインの方へ歩んだ。

「セイン」

「なに?」

「今日、相談がある」

「…………煮詰まった?」

「いや、分かったかもしれん。 だから…………」

「聞いて欲しい?」

 アヴカエルドは小さく肯いた。

「じゃあ、今日はお酒飲んじゃおうかな」

「真剣に聞け」

「聞くよ。私がお酒を飲む意味、分かってるでしょう」

「特別な相手、か?」

「そう」

 セインの眼差しに、知らず緊張していた肩から力が抜ける。

 アヴカエルドは一つため息をこぼす。

「受けてくれるか、相談」

「いいよ」

 その答えに、アヴカエルドは心底安堵した。







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