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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
七話『熱醒まし』中編
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 初めから怪物に熱意は無かった。

 孤立した世界で完結し、それ以外は求めない。

 与えられた物を淡々と吸収するのみ。

 その他は余分で、外の世界など以ての外と断じて一切の興味すら湧かなかった。正確には、関心が向かないよう設計されていた。

 だが。

 それはある日、呆気なく崩れ去る。

 怪物の信じた世界の外側から男は現れた。



 日が水平線の彼方へ没する。

 レギューム島の港町にも夜の帳が下りた。

 旅人や夜分に到着した船乗りたちの憩いの場として賑わう食堂の片隅で、星空髪の女性が杯を手にしている。

 その中身は黄金色を湛えた液体。

 泡立つ水面の艶の中に女性の顔が揺れる。

 じっと見つめるだけ。

 女性は一口も飲もうとはしない。

 対面に座る青年は、同じ物を躊躇いなく口にしていた。

 一息に中身を煽って、空にする。

「セイン、飲まないのか」

「――――」

 青年はようやく気付いたように尋ねる。

 女性はその様子に嘆息した。

 酒杯を卓上に置いて首を横に振る。

「私はお酒ダメ」

「セインも昔は飲んでいただろう」

「マリア様やタガネ様の相手だけね」

「む、剣聖姫も?」

 セインは常に当主専属の侍女であった。

 剣爵の公務に付き添い、補佐する。

 非常に重要な役目なので、飲酒を控えていた。初代当主のマリアからは仕事や日々の愚痴を、隠居中のタガネからは相談や世間話は例外として支障を来すことを考慮し極力避けるよう心がけている。

 飲酒が苦手なのではない。

 どちらかといえば好きではある。

 ただセインは使命を優先した。

「少しなら明日には響かん」

「剣爵を支えなくちゃいけないから」

「…………」

 青年は酒杯に視線を落とす。

 断固として遠慮するセインを相手に、自身だけ飲んでいる状況に後ろめたさを感じたようだった。

 くすり、とセインが微笑む。

「それにしても」

「む」

「あなたから私を誘うとはね、アヴカエルド」

「…………」

 青年アヴカエルドも酒杯を卓に置く。

 空だったそれが音を立てた。

 すでに二杯目。

 だが、その白い肌に赤みが差すことはない。

 魔人としての体質が酒水の効果も無毒化するのか、それとも単に高い耐性があるだけか。

「俺も滅多には飲まない」

「ふうん」

「ただ、俺が腹を割って話せるのは昔から親父とおまえだけだった」

「同類の誼?」

「別に」

「ヒタリはお姉ちゃんって呼んでくれたのに、あなたは意固地だからおまえ、とかおい、だったもんね」

「…………」

 セインが懐かしんで目を細める。

 アヴカエルドもやや顔をうつむかせた。

 懐古の念ではなく、その表情に兆したのは後悔と怒りである。その些細な変化でも余人ならば背筋が凍る変化だが、目の前のセインには通用しない。

 セインは穏やかな笑顔のままだ。

「今日は師匠一日目だったんでしょう」

「ああ」

「終わった直後の酒の席、それも私が相手」

「…………」

「素直に相談したいって言えばいいのに」

「…………お見通しか」

 アヴカエルドの声色に苦々しさが滲む。

 実際に。

 師だった男よりも、セインの方がアヴカエルドを理解している節がある。剣爵の興りから現代に至るまで、その包容力が失われたことはない。

 現に九百年間、毎年の墓参りでも世話になっている。

 一度たりとて感謝しない日は無い。

 アヴカエルドが数少ない本当の敬意を払う相手だった。

「チゼルはどう?」

「放課後に剣筋を見てやった」

「ふうん」

「あれが親父に相当する英雄になる、というベル翁の発言の正気を疑う」

「さっそく会ったんだ?」

「相変わらずの爺だ、関わるだけ損だな」

「相手にしないのが一番」

「チゼルで何か企んでいるのか」

 吐き捨てるように悪態をつく。

 セインは肯定も否定もせず微笑する。

「そっか」

「む?」

「こうして二人で飲むのは初めてだけど、あなたがお酒を嗜むようになったのはびっくりだったかな」

「…………親父は得意ではなかったな」

「ふふ、変わらない」

「何がだ」

 セインが自身の分の酒杯を差し出す。

「自分のことは話さない」

「む」

「自分について尋ねられると、すぐタガネ様の話題に逃げるんだから」

 セインの赤い瞳が顔を覗く。

 まるで鏡のようで動揺した自身の姿が見える。

 アヴカエルドは視線から逃げて、顔を背けた。

 その先では、人々が祝杯を上げている。

 星狩り祭はまだ終わっていない。例年通り、この賑わいが衰えたことはアヴカエルドが見てきた中で一度もなかった。

「…………今朝、のことだ」

「ん?」

「チゼルは、親父を『自分に正直だ』と言った」

「…………そっか」

 セインはそれだけで察した。

「それが怖いんだね」

「…………」

「アヴカエルドは、自分がどんな人間か考えたことは?」

「…………いつもやっている」

「人に話せないのは、どうして?」

「わからない、からだ」

「違うよ」

 きっぱりと否定されてアヴカエルドが固まる。

「些細なことも話さない」

「…………」

「あなたはきっと、人に自分を伝えることで初めて見えてくる自分のことが怖いんだよ。相手に本当の自分を伝えたときに、相手が見せる顔でそれがどんな物かを理解してしまう」

「…………」

「それは皆怖いよ」

「なら」

「でも、それができたのがあなたの憧れた人」

「…………」

「ヒタリもそうだった」

「その名を口にするな」

 アヴカエルドの声音が低くなる。

 ぴり、と緊張感のある空気に包まれた。

 それでもセインは毅然としている。

「まだまだ、未熟ね」

「…………」

 アヴカエルドはセインを見た。

 同じ種族でありながら。

 その在り方は剣聖に劣らず強い。

 ただ戦闘力では量れない、アヴカエルドにとって理解不能なモノを持っている。

 それが何なのか。

「チゼルならわかるのか?」

「そうじゃないよ」

「…………何ならわかる?」

「もう少し自分で考えて、煮詰まったら…………また相談しにおいで」

「…………やはり、敵わん」

 アヴカエルドがわずかに肩を落とす。

 その日。

 セインの酒杯に彼も手を付けることはなかった。






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