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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
幕間
947/1102

小話「兵の器」⒄



 仙女リャクナの野望潰えたり。

 その吉報が世界全土へと響き渡った。

 古代兵器『紫』のもたらした絶望を払拭する事件は、リューデンベルク王都奪還と共にリャクナと決着をつけた貴剣アヤメと鬼剣マヤの活躍だと周知されることになる。

 世界は明るく照らされた。

 皆が喜びに打ち震える。

「ママ、温かいね」

「ええ、良いわね」

「パパも一緒にご飯食べないの?」

「残念だけれど食べれないの」

「何で?」

「ふふ、悪い人だから」

 剣爵領地も例外ではない。

 漂う冬の空気は寒いが、心まで凍てつかせるほど尖らず、和やかで平和そのもの。

 熾火を前に親子は微笑んだ。

 誰の目にも、それは親愛に満ちた光景だった。

 ある一点を除けば。

「パパ、悪いことしたの?」

「ええ、とってもね」

「良い人だよ」

「普段は違うの」

 無邪気に問うアザミ。

 一つずつマリアは丁寧に応えていった。

 二人の眼前では、斧を片手に薪割に勤しむ一家の大黒柱――もとい、今や人権を失い酷使されるだけの状態へと身を窶した男がいる。

 吐く息は白く。

 寒気に堪える体は逞しく斧を振るう。

 振り下ろされた一打が入る都度、乾いた音を立てて薪が断たれる。

 丁々発止。

 その調子は開始後にいっさい乱れ無し。

 規則的に鳴る音が旋律を作り、冬に凍える剣爵領地に響く一種の音楽と化していた。

 聞く者は奇妙に耳を澄ましてしまう。

 それほどに整然とした間隔と軽快な音響。

 無論。

 鳴らす男の気分は優れない。

 ただ己を機械とし、単純作業を繰り返す。

 一つでも不調が生じれば、たちまち背後の美しい妻が般若の面を作って襲い来るに違いない。

 男は自分の命が惜しい。

 かつん。

 また薪を一つ割る。

「本当は悪い人よ。――ねえ、パパ(・・)?」

「反省している」

「どうかしら」

 不自然なほど、あどけない声。

 それだけでマリアの内心が読み取れる。

 耳にした男――タガネの背筋を悪寒が走った。

 手が止まっていた。

 円柱状の薪二つを台へと据える。

 タガネ最大の能力――運動の基点、静動問わず万物に生じた弱点や隙を一瞬にして看取するその見切りを最大活用して、斧を振るう。

 かつん、と。

 音は一本のときと分からない軽さ。

 美しい断面を作って薪が左右へ分かれる。

 遅れていた分が取り戻された。

 間髪入れず、台へと新たな薪が据えられる。この作業の度に、己の儚い余命が紡がれているという奇妙な感動があった。

 背後の妻に己の生殺与奪を握られる。

 慣れたようで、その実おっかない。

「パパはさっきから何してるの?」

「仕事よ」

「でも、パパは家じゃ仕事をしなくていいくらい偉いんじゃないの?」

「でもね、悪いことしたから他の人の分もやってもらうの」

「大変だね」

「ううん、当然のことなのよ」

 アザミを撫でながらマリアは微笑む。

 美しい笑顔だ。

 二十年と経とうとも、裏側に殺意を内包させたまま人に美を感じさせるマリアの性質には、タガネも感嘆させられる。

 ――と、傍観者みたいに言う。

 タガネは自身の立場を再認識する。

「俺は罪人か」

「何か言ったかしら」

「いや、もう許してくれ」

「私のことを半年以上も放置した挙げ句、誕生月の贈り物に見知らぬ娘を届けて、『すまん、娘ができた』と抜かしたことについて、これ以上なく事情を考慮した上での罰の軽減よ」

「後ろに死神がいなきゃ、俺も慎んで受けてたんだがね」

「あら、足りない?」

「もう充分以上に我が身に余りある」

「あら、まだいけそうね」

 マリアの冗談に血の気が引いていく。

 口を開くほど悪化する。


 つい三月前。

 アザミを連れて領地へと帰還した。

 怒髪天を突くどころか、寂しがり屋なのもあって帰る頃には涙目で子猫のように弱っていたマリアと玄関先で対面する。

 最初はタガネを歓迎した。

 だが。

『すまん、娘ができた』

 開口一番のそれに屋敷は戦慄した。

 いま思い返せば。

 言葉をもっと選ぶべきだったのだろう。

 だが考え抜いた末に、自然体且つ全力の謝罪とそれを裏付ける無実を訴える状況説明を導き出したタガネの苦悩では、これが精一杯だった。

 結果は、この通り。

 タガネは罰として使用人の一人として屋敷で働いている。

 本来ならば主人。

 恐れ多いと動揺する使用人たちを見ても、マリアは一切妥協しなかった。

 罪状はマリアの長期間の放置。

 何より、その間の連絡が一切無し。

 守るべき報告、連絡、相談をまったく欠いた行動の咎は大きい。

 タガネには厳しい処罰が下った。

 その一方で。

 無罪判定を受けたアザミは自由の身だった。

 まるで我が娘のようにマリアはアザミを可愛がり、タガネの知らない間に予想以上に互いへの親愛を育んでいる。

 微笑ましいが。

 タガネへは容赦がまったく無かった。


 悲しい経緯を思い返す。

 タガネは、はっとして手元を見た。

 幸い、作業は滞っていない。

 危うく、また背後の殺気に急かされるところだった。――今も、あまり変わらないが。

「今日もあんたの料理が食べたいわ」

「それは」

 言いかけて止まる。

 また失言をこぼしかねない。

 どこが火の元となるか予想できないマリア相手には、もはや口を開くことそのものが危険に思われた。

 それでも。

「料理長ほどの手業とはいかん」

「でも、意外と美味しいのよね」

「…………後で献立を考える」

「よろしい」

 料理をする手間と立場。

 その重要さは計り知れない。

 人間の一日の心身を作ると言っても過言ではない大事な役割がある食事において、タガネの基本的な思考は『食えれば何でも良し』である。

 味ではなく、生きる力。

 そこに重きを置いている。

 だから疎かになった味が時に災いを招く。

 そんな危険も知らず、数少ないタガネの手料理を食べた経験から期待を寄せるマリアから受けた思わぬ称賛に絆されて、覚悟を決めた。

 できるだけ。

 味見は念入りにしよう。

「まま」

「母さん」

「まーまー」

「おっかあ」

「かあちゃん」

 マリアの背後から五人の子供が駆け寄る。

 彼女は振り返ると避けもせず、腕を広げて構えた。

 全員を受け止め、抱き竦める。

「うん、良い子ね」

 マリアの腕の中でくすくすと笑い声がする。

 タガネは手を止めて、子供たちを見た。

 彼らも、元は『黙示録の虹』の器。

 後にアザミ同様の処置を施し、『虹』と彼らを分離した。肉体には、分離後の負担に耐える耐久力(つよさ)、『虹』には永劫の封印として魔力を施した。

 現在、子供たちはアザミと共にレギュームの管理下。

 だが。

 いずれは、剣爵領地で引き取られる運びだ。

 すでに親としてタガネを認識した彼らが、人として最初にした選択が、それである。

 覆すことはできない。

 これにて、任務は万事解決した。

 もっとも。

 『虹』の封印は幾度か失敗している。

 これは器が無いと安定せず、兵器の封印が解けてしまう。

 リャクナの後とあって、それだけはレギュームも回避したかった。

 喜びに湧き上がる大陸を一瞬で海底へと鎮めるようなものである。

 タガネは幾度も挑戦し、辛くも理想を掴み取った。

 おそらく。

 タガネの死後も封印は続く。

 あの『虹』は全てレギュームが保管することとなった。

 今回のように悪用される場合も考えての対応だが、レギュームがその立場をより堅固にする言い訳にも感じられたのは言わずもがな。

 ベルソートの思惑は分からない。

 タガネは呆れつつ、それでもその結果を良しとした。

 なぜなら――。

「あ、パパの手が止まってる」

「何ですって」

「ちと休憩させてくれな」

「駄目だよー!」

 子供たちが一斉にタガネへと詰め寄る。

 一人ひとりから浴びせられる愛らしい文句にげんなりとした顔で対応しつつ、一人ひとりを愛でるように頭を撫でた。

 幸福な笑顔たちを見て。

 タガネは改めて思い知らされる。

 人が何かの器になる。

 仮に人の中に『器』があるとすれば、その容量はその人間一人ぶんしか無い。

 だから『虹』一つを抱えるとなって、彼らは抱えていた『人間』を捨てることとなったのだ。

 今の彼らは、すでに『捨てられた彼ら』とは異なる人間である。

 無論、兵器でもない。

「もう、おまえさんらは自分を捨てるなよ」

「何の話?」

「いや、別に」

 タガネは再び斧を手に取った。

 危険だからと全員を退散させ、薪に向き直る。

 今日の献立を考えた。

 何にするか――せめて、子供たちが好むような味にしなくてはならない。

「やれやれ」

 薪が振り下ろされる。

 かつん、と軽い音の後に子供たちの笑い声がした。






ここまでお付き合い頂き、誠に有難うございます。


予定では⑽で終わるはずだったのですが……………まとめる力が足りませんでした。

今日、駅の階段でコケそうになったのは、きっと罰なのでしょう。。

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