小話「兵の器」⑴
人類にとっての絶対悪。
魔神はその地位を手に入れるべく世界の記憶を封印した。
人々にとっての敵は現在。
過去には決して囚われず、湧き立つ魔を討つ。
すべてを魔神の呪いが成したはずだった。
それでも。
呪いを免れた歴史があった。
星狩りから十七年。
北大陸にふたたび嵐が吹き荒れていた。
仙女リャクナを中心とした運動によって情勢が混沌としている最中、レギュームはその騒乱を遥か遠くの水平線にあることと楽観視する時期ではなくなっていた。
その魔手は海を超えつつある。
かつてのリギンディアを彷彿とさせる勢威に、そも世界全体を統括する権威であるレギュームとしては看過することはできない。
ただ何処の国にもリャクナの手がある。
事態は悪化の一途を辿っていた。
「いるか、ベル爺」
『入ってくれぃ』
魔法学園の校長室。
銀髪の男は陰鬱な心持ちで扉を叩く。
室内から暗い応答の声が返った。
その内心を察しつつ、室内の人物が抱えているであろう苦悩を肩代わりさせられる先の展開を予想してため息を一つ吐く。
扉をそっと開いた。
「呼ばれたんで参上したが」
「うむ」
「マリアの機嫌が頗る悪くてな。 悪いが、今回の仕事は見送らせてくれな」
「それ無理」
「俺が死ぬんだが」
「タガネにしか頼めんのじゃ」
「…………やれやれ」
珍しい弱音をベルソートが吐く。
執務室にある紫檀の机に顔を突っ伏していた。
疲労困憊なのは一目瞭然。
もはや校長としての威厳すら無い。
そんな醜態を目の当たりにしても、銀髪の男――タガネは同情する心の余裕を持ち合わせていなかった。
何故なら。
「マリアの誕生月なんだぞ」
「分かっとる」
「昔この時期に仕事が入ったとき、俺がどうなったか憶えてるよな?」
「拗ねたマリアと九日間の格闘」
「もう二度目はごめんだね」
げんなりした表情で思い返す。
誕生月に留守。
基本的にマリアは寂しがりだった。
それを知って、タガネは常に誕生月だけは予定を入れず、むしろレギュームの依頼をすべてそれに合わせているまでもある。
マリアもまた誕生月を楽しみにしていた。
毎年欠かさずタガネが不器用なりに祝うこともあり、これを生涯の楽しみとすら謳っている。
だからこそ。
もし誕生月を外せばマリアは暴走しかねない。
実際、暴走はした。
九日間の無視と八つ当たり。
タガネの必死の説得と謝罪があって機嫌が直れば、やや長い休暇を取った彼女と一月以上、片時も離れない生活を送ることになった。
その日々は壮絶の一語に尽きる。
誕生月の留守はタガネにおける禁忌となった。
「良いもの見たわぃ」
「……………」
「それで、頼めんかのぅ?」
「俺に死ね、と」
「重いのぅ、妻とイチャイチャするのが苦なのじゃな?」
「忙しくはあるが、問題じゃない」
「む?」
「問題は、周りの連中だ」
「あー…………」
「見世物でもねえのに笑いやがって」
心中を察してベルソートが合掌する。
祈るような仕草から途方も無い憐憫を感じ取ってタガネも託ち顔になる。
それから。
深くふかくため息をついた。
「そんな性急な話かい」
「そうなんじゃよ」
「具体的に何が危険なんだい」
「想定以上の事態でな? このままじゃと、世界が滅ぶ勢い」
「そりゃ大変だな」
「今回の任務は回収」
「…………敵は?」
「仙女リャクナじゃ」
タガネはその名にまた嘆息する。
仙女リャクナ。
仙術と呼ばれる特殊な能力を用いて未来を占い、人心を操り、煽動した衆意を巧みに使って国家すら瓦解させる。
その悪名はタガネも耳にしていた。
今は、大陸へと『留学』しているアヤメとたびたび抗争が発生していると噂がある。
「…………やれやれ」
「む?」
「仙術の使用者には縁があってな」
「そんな縁があったの?」
「昔、仙術を所有する王族と隣国の王族の結婚騒動があっただろう」
「たしか、二国とも潰れたはずじゃが」
「そのとき俺は問題になった王女に会ってる」
「当時の仙術の使い手じゃな?」
「そのとき良い思い出が無かったんでな、俺としてはその娘であろうと関わりたくないね」
「頼むわぃ」
ベルソートが机の上で懇願する。
タガネは頭の中に天秤を想像する。
それぞれの秤に一つ。
マリアの不機嫌。
仙術の使い手との因縁、と世界滅亡。
果たして、どちらが厄介か。
天秤の針は、ゆっくりと――…………。
「マリアを説得する」
「お!」
「アヤメの助力になる、と言い訳すればきっと……………」
「勝算は?」
「一縷の望みだ」
「思ったより低いのぅ」
タガネは覚悟を決めた。
世界が滅亡する事態は回避すべきである。
大陸の情勢の混乱により、剣爵にも少なからず影響が及んでおり、マリアの公務が増えていることも知っていた。
正直、世界の危機よりはマリアが恐ろしい。
だが。
マリアの為にも戦わなくてはならない。
「死ぬ覚悟はできた」
「おおぅ…………」
「それで、どんな案件だい」
タガネの瞳が危うい光を宿す。
ベルソートはそれを良しとすべきか否かを悩みつつ、現状がタガネを頼る以外にしか前途が開けないことを承知していた。
呼吸を整えて。
ベルソートは内容を口にした。
「回収と言ったんじゃが」
「うん?」
「正しくは兵器の『保護』じゃ」
「保護…………」
回収でなく保護。
その言葉の違いに、タガネはその回収物について予想が立ちつつあった。
「…………やはり断っても良いかい?」
「無理」
ベルソートの苦笑に、タガネは肩を落として渋々と任務を遂行することにした。




