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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
後日談、その七
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小話「ヴィータの不可能」⑥



 それは初夏の日だった。

 庭園に差す陽光がいつもより熱を帯びていた。

 空気が乾き、庭園の砂は下駄で歩くといつもより軽い音を立てる。整えられたはずの草花も、急激な気候の変化に大半が枯れ果てた。

 アジィク国でも混乱が起きている。

 その最中。

 ヴィータは書を認めていた。

 髪を簪で留めて晒された項に珠の汗が滲む。

 たまに手を止めて、扇子で首元を扇いだ。

「お嬢様、ご報告が」

「いま文を書いてる」

「…………緊急の通達でして」

「…………申せ」

 嘆息とともに筆を置く。

 ヴィータの赤い眼差しが紙面を離れた。

 書いているのは唯一の友人に宛てた物であり、内容は旅の調子を訊ねることや、屋敷を訪ねる余暇の有無についてを記している。

 自分自身でも緊急の物ではない自覚があった。

 やむを得ず。

 頭を垂れる老婆の声に耳を傾ける。

「申し上げます」

「…………」

「『蛇蝎』が出現しました」

「………そんな時期だったか」

 蛇蝎とは。

 一族における魔獣の一体を指す隠語である。

 ダンスカーの厭悪する魔の頂点の一角、その名も『餓え渇くもの(ヴリトラ)』が出現した。前回は六百年前に当時のダンスカーの当主が相討ちで辛勝している。

 一族の矜持として。

 三大魔獣討伐は是が非でも果たすべき宿命だ。

 そうなれば、最高傑作とされるヴィータが矢面に立つのは必定。

 誰もが実力を信じて疑わない。

 ここ最近。

 ヴィータの戦果は先代たちを超える。

 今年になって爆発的に増えた魔獣の大量発生による被害の数々、アジィク国周辺でも四件ほどあった難事を一人で平らげた。

 まさにダンスカーの最高傑作。

 その力は三大魔獣相手でも期待される。

「出現地点は」

「北のエッキサ国を壊滅させた以降、消息を絶っています」

「隠れたというのか」

「記録には、そういった生態はございません」

「…………そうか」

「ですが」

 老婆が口ごもる。

 逡巡する様子をヴィータが訝った。

「どうした」

「………剣鬼が滞在中の王国」

「それが?」

「干魃が長く続いているとあり、おそらく潜伏しているのはそこではないかと」

「……………」

 ヴィータは沈黙した。

 脳裏に友人の後ろ姿が思い浮かぶ。

 一度は手合わせもした。

 剣の腕ならばヴィータ以上であり、魔獣退治の術理にも通じている。一般的な魔獣ならば、油断無く挑んで必勝は断言できる実力だった。

 だが。

 三大魔獣はそれだけでは倒せない。

「如何致しますか」

「出立の準備を」

「はっ」

「すぐに――!?」

 一瞬、世界から色が消える。

 視覚の異常かとヴィータは確認した。

 気の所為と判断して立ち上がろうとしたとき、ふと机上に畳まれた紙が置かれていたことに気づく。書いている途中だった文の上のそれに、ヴィータは眉を顰めた。

 手に取ってそっと展げる。

『手を出すな、さもなくば剣鬼は死ぬ』

 内容は、その短文のみ。

 ヴィータは紙を握りつぶした。

「…………何の脅しだ」

「お嬢様?」

「………いや」

 誰の仕業かは知れない。

 万能の力なら、タガネを救うのも容易である。

 だが、ヴィータにすら悟られずに文を置いていった者となれば、この脅迫文の真実味や実現も嘘だと、その可能性を切り捨てられない。

 一瞬、自身より強い『力』を感じた。

 漠然とした危険だけが察知できる。

 いや、それよりも。

 ――なぜ、タガネを人質のように?

 タガネの安全を使った脅し。

 本来なら毛ほども痛くない、と平時の彼女なら笑って一蹴できた――はずだった。

 だが

 文が実現した未来を想像する。

 そのとき、さっと血の気が引いた。

 全身を苛んでいた暑気すら忘れたように体が冷えていく。

 ――もし、本当なら…………。

 ヴィータは手中の紙をそっと懐に入れる。

「いや、出立は無しだ」

「なッ…………!?」

「剣鬼ならばやれるだろう」

「しかし、あの三大魔獣は我々にとっての怨敵でございましょう!」

「…………」

「ダンスカーの歴史をお忘れですか!?」

 ダンスカーの歴史。

 ヴィータが最も嫌いな言葉だった。

「あれだろう?

 元来ダンスカーは女神による創世期から続く王国である『影の国』を築いていた最も貴い血族だが、第一世代の三大魔獣たちによってすべてを奪われたので代々あれらを鎬を削るようになった、とか」

「そうです!」

「――で?」

「我々は最も古き血として、至上の人間。それを蹂躙した彼奴らを看過するなど」

「オレにとっては、どうでもいい」

「そ、そんな」

「剣鬼が討ち漏らしたら出向くさ」

「ッ三大魔獣がもし討たれれば、幾ら出現は連続するとはいえど次まで最低でも百年か、二百年は要します」

「そうだな」

「ッ…………」

「手柄や体裁について考えているなら安心しなよ。東の方で『道を拓く(バーヴァマール)』が暴れているようだし、そっちもかなりの被害が出てるから穫ればじゅうぶん面目躍如となる」

「…………」

「異論なら、当主直々に頼むよ」

「承知、しました」

 老婆が歯噛みしながら去っていく。

 一人になって。

 ふたたび文へとヴィータは視線を落とす。

「なんでかな。悪いけど、タガネを見捨てるなんて――オレには無理なんだ」

 ぐしゃり、と書き途中の物を潰す。

 新しい紙を用意して一文を記した。

『無事かどうか早く返信しろ』

 余白どころか。

 何も書いていないに等しいほど白い紙に、ただ短く記された一文を満足気に見て、ヴィータはこれを王国へと送った。


 後に剣鬼がヴリトラを討ち取った噂が持ち上がる裏で、強力な魔獣バーヴァマールを討伐したヴィータの情報も知れ渡り、彼女の目論見通りとなっていた。

 しかし。

 タガネからの返信が無かったことだけが、彼女にとって想定外だった。








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