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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
後日談、その六
853/1102

小話「底識れず」結



 戦略の強制転換だった。

 船を乗り換えて、ひたすら陸を目指す。

 追走するように粉砕される船が圧倒的な存在感を知らせた。

 もはや糸を介した格闘戦ではない。

 船体を破砕する威力。

 尾が直撃すれば昏倒必至である。

 まだ湖の中央からもあまり離れていないので、陸はいまだ見えない距離にある。人の手も届かない水上で重傷を負えば死ぬのは確実だ。

 剣で――と剣柄に手が伸びかける。

 だが、理性がそれを阻む。

 この勝負は、あくまで釣りが条件だ。

 討ち取った大鯰を連れても、ヌシ捕獲というよりも凄惨であり、陸上の声援を一瞬で冷たい沈黙へと変える。

 それは勝利ではない。

「容赦無いな」

 一瞬だけ後ろをかえりみた。

 街の人々が必死に作った橋の道が削られる。

 よほど憤っているのか、追撃の手は止まない。

 魔獣の糸は切れていない。

 ハレヤンガの中に仕掛けた針が大鯰の体内に食い込んでいる手応えを糸が手応えで伝わった。糸が切れない、または消失しない限りは逃げられることはない。

 ただし。

 勝負の機会はこれ一回のみとなった。

 原因は、最初に砕かれた一隻目で餌を入れた箱もろとも破壊されてしまったのである。

 ここでヌシを逃せば再戦は延期となるのだ。

 そして、今回もまた難戦。

 雌雄を決するのは、技量や膂力ではない――精神である。

 どちらが根負けするか。

 ただ勝敗の決定権はそこに委ねられる。

「む?」

『――ォオオン』

「げっ!?」

 背後で水が大きく噴き上がった。

 振り返ったタガネは戦慄に瞠目する。

 巨大な洞があった。

 内側に蟠る漆黒が自身へと迫っている。それを即座にヌシの口だと察して、だが思いのほか速すぎる接近速度に対応できないということも理解してしまった。

 風が唸っている。

 底なしのように奥は暗い。

「しまっ――」

 船もろとも。

 タガネはヌシの口へと飲み込まれた。



 湖畔は静かだった。

 固唾を呑んで、挑戦者の帰還を待っている。

 緊張感を共有した皆が粛々と守る沈黙は、それぞれの感覚を鋭くするには充分だった。

 だからこそ。

 遠くからする微かな水音も聞き取れた。

 立て続けに起こる轟音と振動。

 激しく揺れ始めた湖面に一同が察する。

「銀の小僧が始めよった!」

「この迫力、間違いねえ…………ヌシか」

 ダグラが引きつった笑みを浮かべた。

 およそ半世紀ぶり。

 大気に伝わる震動や水面の騒ぎようは、あの大魚にしか起こせない現象である。

 彼が霧へと消えてから一刻。

 ついに戦闘が開始された。

 だが――音から推察すると、その戦いの様相が釣りではない形へと遷移しつつある。

 ヌシの反撃が始まったのだ。

 ダグラも釣り師の男との勝負の最中に、自ら湖底より赴いて船を直接襲ったあの巨大鯰の偉容を思い出せる。

 自分たちは一瞬で終わった。

 だが、まだタガネは粘っている。

「負けんじゃねえぞ、クソガキ!!」

「やれぇ、銀の小僧!!」

「何としても釣り上げるのよ!」

「男の意地見せてやれ!」

 ダグラの声を皮切りに――一斉に声が上がる。

 霧の向こうへ。

 見えないタガネに向かって声援を送った。

 湖畔の街の人口のほとんどが揃っている。もはや街の総意を名乗るに相応しい人数の意思が、湖へと注がれていた。

 挑戦者はまだ戦っている。

 霧の向こうから音はまだ聞こえていた。

「なあ、ダグラさん」

「あん?」

「勝てると思うか、アイツ」

 不安げに中年男性が訊ねる。

 ダグラは腕を組んで唸った。

 いくら腕っぷしはあろうとも、相手は自然そのもののごとき怪物だ。前回のように誰の協力も得ず、船一隻に己の身だけを賭けたあのときのようでは勝てない。

 だが。

 今回は多くの協力者がいる。

「アイツなら必ずやれる」

「へへ」

「今はそう信じて……………ん?」

「どした、ダグラさん」

「音が、止んだな」

 不意に湖から音が消えた。

 ダグラが身を乗り出して霧の中に目を凝らす。

 やはりまだ人影らしき物は見えない。

 平時とは異なる不穏な静けさに、湖畔も騒めき始める。

 しばらくして。

 湖畔には一同の落胆の声が広がった。

 騒音の後の静けさならば、ヌシに逃げられると考えるのが妥当である。一度目の失敗に、高まっていた熱が鎮火する。

 ところが――ダグラだけは異なった見解を得ていた。

 もしや。

 ヌシの反撃を真面にくらったのではないか?

 そんな憂慮がダグラの脳裏を過ぎっていた。

 船上は陸地よりも揺れるので体の平衡を保つのが困難であり、体の動作も思うままに利かない。その状態で巨大生物との格闘は、なかなかに厳しいものである。

 尾の一撃は特に凶悪である。

 いや。

 一瞬で決着した自分たちとは異なり、タガネは根気強く戦っていた。知らない手での反撃に遭っているかもしれない。

 救助を出すべきか否か。

 その如何を問う状況も想定させる。

「おい」

「なんだよ」

 ダグラが中年男性へ声をかける。

「小僧の様子を見てこい」

「え?」

「焚き付けたテメエの責任だ。アイツが安全か見てこい…………嫌な予感がする」

「アイツなら大丈夫だろ」

「あのなぁ」

「あれ、何だあれ」

 中年男性が汀を指さした。

 ダグラがそちらを見ると、浅瀬から巨大な魚影がこちらへと向かっていた。気付いた人々から、その迫力に声を失って注視する。

 水面を裂いて、巨大な頭が現れた。

 ゆっくりと汀へ上がっていく。

 やがて――その全容が巨大鯰であると知り、皆が一歩だけ後ずさる。

 鯰、ではある。

 だが、その巨体のあまり東方の伝承に伝わる龍すら想起させた。四本の髭、頭頂から背中へと長く続く白銀の鬣が神聖さを醸し出している。

 ダグラが前へと進み出た。

 どうして、鯰が?

 外見は、あの日に見たヌシそのものだった。

 その疑念のままに確認しようとして、ヌシが口の一部が蠢いたことで止まる。

 厚い唇の隙間から。

 銀の髪をした少年が滑り出た。

 釣竿を担いで現れ、ダグラの前に立つ。

「こ、小僧…………」

「どうだ、釣ったぞ」

「いや、テメエ食われてなかったか?」

「ああ、でも釣った」

「あん?頓知か何かか?」

「食われはしたんだが、喉奥に引っかかった針を糸で引いてな…………引いた方向に痛がってヌシが体を振って泳ぐんで、そのまま浅瀬まで移動させた」

「つまり」

「体の中で苛め抜いた…………釣りというより、ヌシの手綱を握ってた感じだな」

「それは釣りじゃねえ」

「……………ちっ」

 ダグラが呆れ顔で返答する。

 粘液を全身から垂らしながら、釣り上げた本人は舌打ちしてヌシの鼻先に座った。

 静まり返った湖畔に、タガネはダグラと同様の反応かと周囲を見渡して――ぎょっとする。

 たしかに、静かではあった。

 しかし、じりじりと…………距離が詰まっている。

 彼らの視線はタガネの向こう側、すなわちヌシにあった。

 危険な気配を感じ取って。

 タガネはその場から横移動していく。

 衆目はヌシから動かない。

「ッ!」

『おおおおおおおおお!!』

 ヌシの正面から退いた。

 その瞬間に、人々が一斉に動き出す。

 ヌシへと殺到する人々に突き飛ばされて湖に落ちたところを、ダグラが襟をつかんで回収する。

 タガネが咳いてダグラを見上げる。

「功労者の扱いじゃねえ」

「まあ、よくやった」

「俺としては不本意だ。あの三連続の屈辱もまだ晴らしきれた感が無い」

「なら、また来るといい」

「二度と来るかよ」

 タガネがヌシへと集まる人々を見て、ため息混じりに返答した。




 星狩りから十七年後。

 大陸に貴剣と名高い戦士アヤメは、湖水地方を訪ねている。仕事の余暇を楽しむのもまた旅人の心得であると父に教わったのもあり、観光名所として有名なケフェスネメトを回ることにした。

 同伴者のマヤも景色に感嘆の声を上げる。

「空気が綺麗、です」

「深呼吸すると生まれ変わった気分です」

「ん」

 マヤはふと周囲からの視線を察知した。

 アヤメを見るや、通行人たちが合掌する。

「何をしているん、ですか」

「いや、今日はよく釣れそうだと」

「…………?」

「知らんか」

 釣竿を担ぐ老人がけらけらと笑う。

「伝説があるんだ」

「伝説」

「この湖の底に住む巨大鯰の姿をしたヌシがいてな。誰も釣れなかったって触れ込みだったんだが、俺の祖父が一度目にし、その情報を頼りに十数年前に『銀髪の少年が釣り上げた』っていう伝説があるのさ。

 その後、ヌシは守護神ってことで湖に帰されたが、あれからヌシは姿を見せないし、誰も釣れていない」

「は、はあ」

「銀髪の人間なんて滅多にいないだろう。そこの嬢さんは髪色がソイツによく似ている。だから今日は釣れるかもな」

「そう、ですか」

 マヤは話を聞いて眉根を寄せた。

 銀髪の少年。

 銀髪など、たしかに大陸でもそういない。

 稀有な髪色だからこそ、伝説として飾るには相応しい人物設定である。観光名所における集客力を育む風聞としても強い。

 だが、そんな人物が本当にいるか。

 そこだけは疑問である。

「銀髪の少年、ですか」

「アヤメみたい、です」

「もしかして、父上だったり」

「お戯れを。ご主人様でさえ、この湖底のヌシを知っておられるかわかりません」

「そうですかね?」

「ええ」

「父上、釣りとか好きそうですが」

 冗談だとマヤは笑って否定した。


 だが、彼女は知らない。

 再戦にと、その『ご主人様』が三年に一度はこの地を密かに訪ねて釣りに来ていることを。

 底に住まうモノを識る、数少ない人物であることを。







ここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます。


こちらもボツ案フォルダから手を加えました。国王との話にあった『釣り勝負』を書きたくて作っていたけど途中で断念した物です。。


次回は新作を載せたい。。

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