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荷馬車の男の言う通り。
彼の名を出すと、その従弟だという宿主の男の厚遇を受け、無賃で一室の宿泊を認められた。
フィリアが教会へ行く。
その間に、あの男はこれからフィリアが来ることを見越して、耳にした事情などを説明したため、共感した宿主が宿泊代を受け取らなかった。
これには困惑し。
せめて同伴のミストの分だけ。
そう断固として譲歩せず、しっかりと一人分の料金を支払った。
払う、払わないの交渉。
努めて誠実にあろうとする。
そんなフィリアの態度が、ことさらに宿主の胸に突き刺さったらしく、街に滞在する間だけでも期日を設けず利用しても良いとまで言われる始末。
そんな経緯があり。
フィリアとミストは二階の一室にいた。
二つの寝台に座って正面に向き合う。
「疲れましたね」
「いいえ」
ミストは澄まし顔だった。
交渉に熱を出していたフィリアは憔悴している。
「ところで」
「はい」
「ミストさんは魔法使いですか?」
「ええ」
ミストは杖を両手で持ち上げる。
精緻な意匠の施された杖は、今のミストの風体と似つかわしくない高貴さがあった。
魔法使いの証。
それがなぜか、ミスト本人を貶めて輝くように見える。
「今は冒険者をしています」
「冒険者とは、あの……」
「ええ。胎窟の探索です」
フィリアは目を剥いた。
冒険者――それは一種の職業。
討伐された魔神の肉体が葬られた土地に限り、発生する何層もの異次元空間、そこから際限なくあふれる魔獣。
それを擁した洞窟、すなわち胎窟を探索する人間を『冒険者』と呼んだ。
傭兵と似て非なる。
傭兵は主に戦争や要人警護が仕事だ。
対して、冒険者は協会が設けられており、そこから依頼として出される魔獣の討伐と胎窟の調査を行うのが主な任務になる。
命の危険も多い。
ミストが冒険者として働くことには驚愕する他になかった。
唖然とするフィリアの表情に。
「ふふ、意外ですか」
「あ、いえ!そういうわけでは」
「我が身のことながら、そう思っています」
くすり、とミストが笑う。
杖を寝台に置いて、倒れるように寝転がった。
大胆に体を預けた衝撃で、ぎしりと軋む。
「少しだけ夢だったんです」
「冒険者が、ですか?」
「とある国で重責を担っていました」
「す、凄いですね」
「国防省魔法課特務部隊の隊長です」
「国防省、魔法……」
フィリアが小首を傾げる。
その名は、巡礼の間でも多々耳にした名だ。
これより北の王国で魔獣の災害や戦争で国土を守るために戦う、その中で宮廷魔導師などが名を列ねる。
だが――。
「その王国は……」
「つい一月前に滅亡しました」
それは天災だった。
大陸北部にはもう広く伝わっている。
それを吉報だと取る者などいなかった。今では、その国土に人は消え失せている。
何故なら。
「あそこは魔獣の国と化した」
ある一体の魔獣。
国を蹂躙し、王都のあった場所を焦土へと変えた。今では魔獣が跋扈し、人が生活の送れない荒んだ土地になっている。
その中心に。
災害の魔獣はいまだし鎮座している。
近隣諸国は、これによって次は自国に被害が及ぶことを恐れて、誰もが神経質になっていた。
何より。
この南側に国を追われた難民が殺到している。
つまり。
「ミストさんも、難民……?」
「戦った仲間も死に、今では冒険者です」
「すみません。私……」
「いいえ」
ミストは首を横に振って。
勢いよく跳ね起きる。
「それより」
「は、はい」
顔を赤くしながらうつむく。
膝の上で組んだ指を動かし、目だけは定める先がなくさまよっている。
フィリアは訝って身を乗り出す。
「そ、その……タガネが来ているのですか?」
「はい」
「な、何用で?」
「魔法使いの女性を探していると」
ミストが、ばっと面を上げる。
紅潮した頬はもちろん、耳まで赤い。
期待の色を宿した瞳で、フィリアの顔を映していた。世情に疎い人間でも、心の読める反応である。
それを見て。
フィリアは微笑ましくなった。
「小柄で大きな杖を持つ栗色の髪」
「つ、つまり」
「ミストさん、ですね」
ミストの顔がぱっと輝く。
この部屋でタガネの話題が持ち上がるまで、まったく感情の希薄な面持ちだったのに、今では表情の変化がめまぐるしい。
「彼とは、どんな関係ですか」
「仕事仲間です」
「友人ではないんですか?」
「あ、いえ………………………………ふぐ」
悄然とミストが肩を落とす。
一転して悲哀に満ちあふれていた。
「き、嫌われています」
「…………え?」
「タガネは周囲に疎まれていて、味方になるべきなのに勇気がなくその流れに同調しているので、いつも彼には素っ気なくなってしまい……」
だんだんと語調が弱くなる。
「え、えと……」
「会っても、話す資格なんて」
ミストが抱えた膝に顔を埋めて唸った。嗚咽が聞こえ、小さな肩が震えている。
触れてはならない部分。
フィリアはそこを冒してしまったのだと悟り、かける言葉を失くして黙った。
中途半端な慰めは逆効果になる。
どうしたものか。
しばらくして。
フィリアは声を絞り出した。
「明日、タガネさんに会いましょう」
「!?」
ミストが面を上げる。
表情が抜け落ち、目は光を失っていた。
その迫力に気圧されそうになりつつ。
フィリアは踏み堪えて続けた。
「彼も探していますし」
「でも」
「私も一緒に行きます」
胸前で拳を握って。
フィリアは強く言い放った。
ミストは正面に立つフィリアの瞳を見て、かすかに眉をつり上げる。
「頑張ります」
「ええ、その調子です!」
決意したミスト。
それを祝っていると錯覚するほど、屋外から聞こえる人の歓声に二人は驚いて窓を見る。
窓外に顔を出し、下の路地を見た。
そこでは、人が群をなして歩く。
奇妙な仮面をつけて、全員で踊りながら緩やかな歩調で港へと向かっていた。
ふと。
フィリアは空を見る。
夕日で染まった空に、あることを想起した。
カバンから銀の首飾りを引っ張り出す。
「ミストさん、祭りです」
「そうなんですか」
「私、実は招待されていて」
港の東側を指差した。
「食事会があそこであるのですが」
「はい」
「良ければ一緒に行きましょう」
「……食べ物まで恵んで貰うとなると」
「良いんです、行きましょう!」
ミストの手を引いた。
彼女は躊躇いがちに従い、二人で部屋を出て階下へと駆けていく。
お腹が満たされれば、暗い心持ちも軽くなる。セリュックで感動したように、美味を堪能すればミストの顔に貼りつく憂いの影もおのずと晴れる。
そんな心算で。
ミストを食事会のある場所へと導いた。
しかし。
そのとき、フィリアは気付かなかった。
銀の首飾りに付いた琥珀。
それが紫色に微光していることに。




