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とある戦場で。
女騎士が雄叫びを上げながら、大斧を振るう。
岩すら叩き割る鈍い凶刃を、正面から影人が漆黒の腕が受け止めた。
腕ごと膾切りにするはずが、金属音を炸裂させて阻まれる。
周囲が戦塵で荒れる最中。
二人は戦場の中央で激しく斬り結ぶ。
「いい加減、鬱陶しい!」
「ッ…………ぐぅ!」
女騎士が苛立ちに吠えた。
斧を掴む手から悲鳴じみた軋音が鳴る。
影人――キルトラの足が後退した。
「……………」
キルトラが腕に力を込める。
斧を受け止めていた前腕部が音を立てて変形した。飛び出すように、前方へと幾本も黒い杭が突き出る。
女騎士は慌てて後ろへ飛び退いた。
杭がその脇や上腕当を削る。
躱されたキルトラが舌打ちした。
回避に成功し、ふたたび斧を構えんとした女騎士を、間髪入れず地中から突き出た新たな杭が貫く。
体内で枝分かれして背部から幾本にも倍増して突き出た。
女騎士が血反吐を吐いて固まる。
「げはっ」
「もう一度、質問するぜ」
「く、化け物め…………!」
「リギンディアは、何処だ」
腕を元の形状に戻してキルトラが問う。
杭で宙に掲げられた女騎士を見上げた。
顔が無いので表情は分からずとも、発せられる声からの威圧感でキルトラの怒りを察した女騎士が嘲笑の意を含む笑みを浮かべる。
キルトラが杭を腕で揺すった。
女騎士の体内で内臓と異物が擦れる。
「ぎ、あ」
「応えろよ、早く」
「ふざ、けるな」
「あ?」
「一度は陛下から、逃げたと聞く…………そんなヤツが、今さら陛下に」
「…………そうだな」
キルトラの足が杭を蹴った。
衝撃が伝わり、女騎士が悲鳴を上げる。
戦場の中央で始まる拷問。
女騎士の助勢に向かわんとした兵士たちも、その雰囲気に中てられて恐怖し、その場に立ち尽くしている。
冷酷な影人。
その姿が真に怪物として目に映った。
ここは大陸西部のフレッツァ国。
その東部で戦端が開かれていた。
リギンディアの手が伸びる最前線、攻められている内の一つである国は、およそ領土の半分までが陥落している。
あとは首都のみを残す大打撃だった。
リギンディア軍の消耗は軽微。
対する国は損害が甚大だった。
また大陸中の者が、リギンディアの傘下に国が一つ降るのだという暗い予想がされている戦況に、ある変化が訪れていた。
それは頻繁に出現する影人。
現れる都度にリギンディアに対してあらゆる妨害――主に幹部への攻撃を行っている。
現に。
リギンディア体制の要人である女騎士を捕えていた。
「いいから、アイツの居場所を…………!」
「見つけたぞ、影人!!」
「ちっ」
その横合いから犀の亜人が突進する。
角を向けたそれに。
キルトラは上空へ飛び上がって逃れた。
彼らからやや離れた地に立って、その二人を見つめた。一人は無力化したといえど犀の亜人も幹部であり、『車輪』ほどでないにしても日光下で体力を消耗した状態の相手には厳しい。
キルトラは彼らに背を向けて走る。
「あッ、こら待て!!」
もはや負け戦。
秩序の無い戦場をキルトラは必死に走る。
この長い月日で、アストレアに手が届いた日は無い。帝国で再会するまでも、再会したときも、全く彼女の本心に触れられた気がしなかった。
お互いに想い合ってはいる。
ただ、何かが食い違っていた。
それを、イオリに知らされるまでは。
『なあ、キルトラ』
『あん?』
『俺がお前に最初に出した依頼、覚えてる?』
『アストレアの屋敷にいる女の子と仲良くなれ』
『そう、それ』
それは半年前である。
イオリと昼餉を摂った後の会話だった。
『女の子、可愛かったろ?』
『は?いないって話したろ』
『いや、お前は出会ってたよ』
『え?まさか使用人の中にいたのか!?でも、みんないい年した人ばっかだったぞ』
『お前の親友だよ』
その一言にキルトラは固まった。
そして直ぐ我に返って失笑する。
だが、否定しようとしたキルトラの言葉を遮るようにイオリは話し始めた。アストレアが生後から辿った孤独と、恋慕と、リギンディアとしての生き方を余さずに語った。
その全てに。
キルトラは呆然とする。
『アイツは男だって――』
『今ならわかるだろ。女だって偽らなきゃいけない立場だって』
『…………でも』
『日本男児なら、そういうのよく読んでんだろ。ほら…………ラノベ?だっけか。それでこういう展開とかキャラ設定』
『実際にあるとは思わ――』
『ここは人の願望を叶えてる世界だぞ。ラノベ要素だろうがアダルティックな願いだろうが全部叶えた『混沌』の中にあんだよ』
『…………無茶苦茶だろ』
『そうだよ。おまえが転生したのは、その中でも特に理不尽な世の中で、バッドエンド九割九分九厘のクソゲーだ』
イオリの冷たい声に口を噤む。
風の噂で聞いていた。
アストレアはキルトラを虱潰しに探すよりも、退路を潰すように動いている。大陸の各国を征服し、キルトラを慕う冒険者協会の支部を壊滅させて回っている。
あらゆる者を敵に回して暴走していた。
見知った者の訃報が耳に何度も届いた。
自分を認めてくれた者の悲惨な末路を見た。
たしかに。
『ほんっっと、クソゲーだな…………』
『アストレアはおまえを好いてる』
『…………なんで』
『初めて自分に寄り添ってくれた人間で、慕ってた親代わりの侍女も諦めて、あらゆるヤツが自分に跪く…………対等なヤツがいない中でも、追ってきて並び立とうとしてくれるおまえが好きなんだよ』
『…………面倒臭い女だな』
『おまえのタイプだろ』
『…………俺は石動タイプ』
『やめとけ、あの超人ブラコン。関わる男女の人格も人生も片っ端から狂わせて、この世界をクソゲーにしてった救世主兼疫病神だぜ?』
『…………いつにも増して辛辣だな』
『いい加減、イラッて来たからな』
『俺に?世界に?』
イオリが鼻で笑う。
『この世界はクソゲーだけど良いところがある』
『何だよ』
キルトラの質問に対して。
イオリは呆れるような眼差しを返した。
『政も力も関係無い』
『…………』
『愛がありゃ、人も世界も救えるんだからな』
『そっか』
『だから、後は――おまえ次第なんだよ』
アストレアを、世界を。
すべてを救うにはキルトラの決意しかない。
今や星ほど遠い彼女に。
キルトラは今度こそ必死で手を伸ばそうと決意した。
「待ってろよ、アストレア」




