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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
幕間
772/1102

小話「蕾の開く日」完



 出産が開始される。

 タガネはその様子を部屋の隅で見守る。

 激痛に歪むマリアの顔と、額を合わせて赤子が出るかを見つめながら手伝うセインたちの表情は、どれも必死だった。

 ひとり蚊帳の外。

 タガネは恐怖で動けなかった。

 どれだけ強大な敵に対峙しても戦意で体を突き動かしてきた。

 しかし、今回は違う。

 戦っているのはマリア自身。

 見守ることしかできないタガネは、もはや手も足も出せない己への歯痒さと、蓄積していく不安ばかりに圧し潰されそうだった。

 マリアの全身が強張っている。

 呼びかける者たちの声。

 寝台のシーツを混じり合った血と羊水が汚す。

 タガネは思わず目を背けたくなる。

「――――ッ!」

「――――!」

 セインたちが叫んでいる。

 だが、タガネの脳が情報処理を放棄した。

 言葉を解さない、ひたすら視覚に傾倒する。

 剣で片がつくなら易い。

 赤子を産むマリアも当初は同じことを宣っていた。実際に目前で繰り広げられる状況を見れば、その意見もたやすく翻る。

 呼びかけるべきか。

 タガネの声援が力に変わるやもしれない。

 それなのに――舌が回らない。

 発声に要する器官が緊張で麻痺していた。

 見るだけしか、できない。

「――――」

「あ…………」

 不意に。

 マリアと視線が重なった。

 痛みに堪える紺碧の瞳は――一片の曇りも無かった。

 不安など無く、迷いも見せない。

 闘志の焔が灯っているかのように、鮮やかな青色に瞳が燃えている。

 やがて、セインたちが歓声を上げる。

 ――あと少し!

 ――もうひと踏ん張り!

 そんな声援がタガネの耳にも届いた。

 まだ戦っている。

 苦悶するマリアの表情に、タガネは前へと踏み出す。震えながら寝台の隣に膝を突き、強くシーツを握るマリアの手に上から自分のそれを重ねた。

 マリアとふたたび目が合った。

 周囲から音が消えるような錯覚の世界。

 その最中で。

「負けんな」

「もち、ろんッ…………!」

 本来なら喋れないほど痛いはず。

 それでもマリアは気丈に言葉を返した。

 苦しげに笑む顔にタガネも不自然な微笑みを返す。

 ふと。

 マリアの顔から力が抜けた。

 ――まずい!

 タガネの体の芯から熱が消える。

 戦場にて死んだ者が最期に見せる反応に似ていた。

「マリア!」

 悲鳴のような声で呼びかける。

 すると。

 ふっと深い息がマリアの唇の間から漏れた。

 いつの間にか、重ねた手を握り返されている。

「だい、じょうぶなのか」

「ええ」

「ぐ、具合は?」

「…………喋るのしんどい」

「…………」

 タガネは近くにあった手巾を取る。

 マリアの顔に浮かぶ玉の汗を丁寧に拭った。

 身を委ねる彼女の頬に手を当て、掌に伝わる温もりにようやく安堵する。

 マリアは生きている。

 その実感が湧いた。

 だが、突然の脱力が何なのかタガネはわからず、セインたちを見た。

 ――何かを抱いている、誰か泣いている。

 歓喜する彼らにタガネは小首を傾げた。

 腕に抱いたモノが差し出される。

 腕の中へと視線を落とす。

 そこに、布で包まれた赤子がいた。

「…………こいつは」

「無事に産まれましたよ」

「じゃあ」

「女の子、二人の愛娘です」

 タガネは唖然としつつ受け取る。

 壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。

 あまりの柔らかさに加減を誤って潰れないかと混乱しつつ、見開いた目を閉じることができない。腕の中でにぎり潰した紙のように、くしゃりと顔を歪めた幼い顔があった。

 白く透き通る肌。

 まだ汚れを知らないモノ。

「あ――マリア!」

 タガネは慌ててマリアへと振り返る。

 やさしく枕元へと赤子を運ぶ。

 マリアが振り向いて、赤子へと手を伸ばした。

 頬をつついて、表情をほころばせる。

「よかった」

「娘、だとよ」

「男の子が良かった?」

「そんな願望は無え。いや…………男だと俺に似て面倒だったかもしれんから、娘でほっとしてる」

「ふふ、バカね」

 マリアがふう、と息をつく。

「それで」

「うん?」

「この子の名前は?」

「え、あ、ああ」

 タガネは赤子の顔を見やる。

「前からずっと決めていた」

「へえ」

「男ならジーク。おまえさんの生家の名残を付けようと思ってな」

「なら、女の子は?」

「…………新婚旅行で子どもの話をしたときがあっただろう。その帰り道に咲いてたやつだ」

「あ…………」

 マリアが赤子を見つめる。

 頬をつついていた指が小さな手に握られた。

「――アヤメ」

「…………不満か?」

「いや、アンタが付けたにしては綺麗な名前」

「やかましい」

 タガネは苦笑する。

 横から手が伸びて、娘――アヤメが取り上げられた。

 思わず声を上げたタガネを、セインの厳しい眼差しが制する。

「はい、後は私たちでやるから」

「いや、しかしな」

「タガネさんは周囲に報告!あと、しばらくマリアさんを安静にさせる為に必要以上の接触は禁じます」

「えらく遠ざけるな」

「産後はかなり消耗してるから」

「…………了解した」

 タガネはすごすごと部屋を立ち去る。

 それから目につく者たちに報告と注意を行ったが、その日の剣聖近衛団は自重せず裏庭で盛大な宴を催した結果、セインに怒鳴られる結果となった。



 後日。

 タガネは寝室の窓際に腰掛けていた。

 腕の中ではアヤメが眠っている。

「積極的に子守してくれるわね」

「加減を早く心得んと、いつかの拍子に壊しかねない」

「ずいぶん臆病な」

「この方、剣しか握ってこなかったんでね」

 アヤメの表情は穏やかだった。

 己の父母が分かるのか、タガネやマリアが抱いても泣くことは無い。最も落ち着いているのがセインやナハトだが、ジルなどに渡すと盛大に泣いた。

 祝いに足を運んだベルソートは…………。

『近づかないで下さい』

『触んな』

『ベル爺が移ります』

『みんな同じ反応…………ワシが移るって、ワシって何かの病原菌なの??』

 誰もが牽制して全く近づけなかった。

 ある意味では。

 以前より剣爵領地の警戒は高まっている。

「ねえ」

「うん?」

「もう仕事に行かなきゃいけないんじゃないの?たしかルキフェルの討伐って」

「ちっ」

 タガネが険相へと変わる。

 赤子に断固として接触させない。

 敬遠されたことへの腹癒せか、ベルソートは大量の依頼を運んで来た。出産までという約束に、産後の経過観察などを行いたいタガネに容赦がない。

 これにはマリアも呆れていた。

「いつ帰って来られるの?」

「…………一年後になりそうだ」

「溜めてたものね」

「くそっ」

 タガネが立ち上がって、アヤメをマリアへと渡す。

 すでに旅装のタガネは、自身の姿を改めて見回して嘆息する。

 一家を守る為にも。

 ようやくマリアの中で育まれ、蕾だったアヤメの開花も見届けられた。

 たしかに、契機かもしれない。

「行ってくる」

「気をつけなさいよ」

「ああ」

「ほら、約束」

「寄り道しない、浮気しない、報告を怠らない」

「よろしい」

 タガネは部屋の扉を開けて。

 通路へと出る足を止めてマリアに振り返る。

「行ってくる」

「いってらっしゃい」




 十数年後。

「父上の情けない顔」

「そうよ」

「見てみたいかもしれませんね」

「おい」

 談笑するマリアとアヤメ。

 タガネがその内容に顔をしかめた。

 初めての出産とあって、かなり弱っていたため自身でも思い返せば恥ずかしい場面が多々あった。

「それだけ大変ってこった」

「はい」

「アヤメも子が産まれるときは大変よ」

「任せて下さい、立派な孫を生みます!」

「…………」

 その回答にタガネが微笑んだ。

「できるかはわからんが」

「はい?」

「どうか、おまえさんが望む好きな相手と結ばれてくれな」

「…………父上と母上のように?」

「マリアがどうかは知らんがな」

「私は大す……………………………………………きに決まってるじゃない」

「すまんな、もう一度」

「ふんッ」

 赤面した顔をマリアが逸らす。

 タガネは意地の悪い笑みを浮かべながら、家族の団欒を楽しんだ。美しく咲いた花のような娘が、これからまた新たな花を咲かせていくのかもしれない。

 ヨゾラから自分へ。

 自分からアヤメへ。

 紡がれていく命の数だけ花が咲く。

「次はどんな大輪が咲くかね」






ここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます。


いけない、すっかり五話『冬』とマヤのお話を失念しておりました。。これからそちらも推し進めていこうと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] リクエストを反映してもらったようでありがたいです。 いや〜アヤメの名前にそんな素敵な由来があったとは… 読みながらジルたちみたいになってたと思うw
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