12
奇襲作戦決行の日。
火猿の奮戦あって、夜明けの光を拝むころには魔神教団を壊滅させられた。タガネが統率者を討てば止まるという目論見は敢えなく見当違いであった。
狂信者の群。
一人ひとりが確固たる意志を持っていた。
行動の指針は、司教と巫女ではない。――信じる神である。
誰かの制御も不要だった。
各々が暴徒のごとく戦いを続行する。火猿もその気勢に圧されかけて形勢逆転を許しかけたが、その前に剣姫の説得を得た復活した者たちの加勢で制圧が完了した。
夜が明ける。
鐘の音はもう聞こえない。
蜘蛛たちの囁きはなく、獣たちの足音が帰って来ていた。
勝利の曙光に向けて。
「我々の勝利よ!!」
「「おおおおお!!」」
「何でおまけさんが指揮ってんだい」
掲げられた剣姫の剣。
それに合わせて勝鬨が上がった。
声の中に国境は無かった。
山間の谷に橋が架かった。
「立派な物ね」
「ああ、美事なもんだ」
崖の上にて。
タガネはそれを眺めて感嘆する。
隣では、マリアが旅支度を調えて、橋の末端を踏んで強度を確かめた。
ぎしぎし、と軋む音。
それは、板を綱で組んだ物ではない。
あの晩に斃れたデナテノルズが強引に羽化する際に生成した蛹の跡が残り、魔力で織られた糸の橋が期せずして作られた。
強靭な糸は、何人が通ろうと微動だにしない。
谷間で強固に張り付いていた。
タガネからすれば。
この地を発つに当たって初日と同様に、谷底まで下りて渡る不如意に堪えずに済む。
それだけでも上等だった。
ただ。
「何してんの、早くしなさい」
「急かしてくれるな」
「アンタが悠長にしすぎるのよ」
魔獣の死骸。
それは数日で魔素になって消失する。
期間は限られているので、早く谷を渡るしかない。復活した兵士たちも、それは然り。
彼らは山頂の戦から二日で出発した。
そして。
タガネも今急いでいた。
「荷物持った?」
「おう」
「食糧は?」
「抜かり無い」
「忘れ物は?」
「……うっとうしい」
「はぁ!?」
いや、急がされていた。
橋ではなく隣の剣姫マリアに。
ため息混じりに振り向いて睨む。
「おまえさんは何でいる?」
「は?」
「団長は先に行ったってのに」
心外だとばかりに。
怒気をみなぎらせてマリアが顔を顰める。
タガネとしても疑問でしかない。
先日に発った帝国軍と王国軍は一時休戦、互いに谷を出て行くまでは協力するとの誓約を立てた。
その一団には騎士団団長もいる。
副団長であるマリア。
立場上、その凱旋に同伴するのが当然だった。
なのに。
「アンタ、王都に行くんでしょ」
「そうだが」
「どうせ数日の内に着く、とか言って二十日くらい後に来るんだから」
「……」
たしかにそうだった。
事態の収束後、タガネは文を出した。
王都に事の顛末を報告しに行く内容だったが、またきっと道中の気紛れで遅くなる自覚があった。
マリアには、すっかり見抜かれている。
彼女は誇らしげに胸を張った。
「私がいれば、そんな事させないわ」
「余計な……」
「恩義に感じても良いのよ?」
「やかましい」
タガネは舌を打つ。
旅程を管理されることこそ不如意。
しかし、そのタガネの屈託を本人は理解していない。まるで自分が枷になっているとは露知らず自信満々である。
タガネも荷物を担いだ。
そして、村の方をかえりみる。
「どうしたの?」
「いや、別に」
橋守の護る村。
その村人の行方は杳として知れない。
石化の犠牲者に村人らしき人物はいなかった。
恐らく。
教団が村を占拠した際、本当の橋守を筆頭に虐殺された。タガネが来る前から、邪教の根城へと変貌を遂げていたのだ。
哀悼する者もいない。
知らない間に消えた橋守と人。
タガネはそこに一抹の寂寥を感じていた。
何より。
「マーダルも」
「は、誰それ」
タガネがここに来る要因。
目撃情報の提供者マーダルがいない。
彼もまた犠牲者の中にいるのだろう。
本来なら彼から仔細を聞きたかった。
「やれ、遅すぎたな」
「なに一人でしんみりしてるの?」
「能天気で良いな、おまえさん」
「はぁ!?」
マリアが目を剥いて怒声を上げる。
それを柳に風と受け流して橋の方に歩み出して。
「おーい、おじさん!」
「誰が、だ?」
後方から誰何の声。
タガネは険相で振り返った。
村の方から、マダリが駆けて来る。
「もう行くのか?」
「このじゃじゃ馬が急かすんでな」
「好き勝手言ってくれるわね?」
依然、無視したまま。
タガネは腕を組んで谷を見遣った。
「おまえさんの仲間」
「あ」
「報酬払うためにも、王都に行かにゃならんし」
「そっか」
マダリが寂しげに笑った。
かれこれ一週間以上は寝食を共にした。
復活したマダリの父親には篤く謝意を言われ、もう少し感謝の礼を馳走したいと申し出されたが、共闘した火猿の面子への報奨が先である。
王に報告して手はずを整える。
彼らのためにも急ぐ必要があった。
「まあ、達者でな」
「うん。……ごめんな」
「何が?」
「折角、おいらがここに呼んだのに、何もおもてなしできなくて」
「ああ……うん?」
タガネは小首を傾げた。
マダリの口振り。
それは、まるで――。
「おまえさん、文を書いたか?」
「書いたよ」
「内容は?」
「青い髪の女の人がいる、って。山頂で石になる前のやつを見たんだ。あそこに通ってたし」
「差出人の名前は?」
「マダリって書いたよ」
マダリがその場に屈み込む。
指で、地面の上に文字を描いた。そこをタガネとマリアが注視する。
そこには。
しっかりと『マーダル』とあった。
「ほら。な?」
「……そう、か。おまえさんだったか」
タガネも心得て、嘆息する。
つまり、誤記だった。
マダリ。
この山岳部の発音は少し独特。文字の覚えもまだ拙いマダリは、そのまま書き記してしまったのだ。
だから、目撃情報提供の署名に――マーダル。
つい先刻までの憂いが霧散する。
胸の奥に沈んでいた澱まで消えた気分だった。
タガネは小さく笑って。
「そりゃ何より」
「おじさん、また来いよ」
「そうさな、また」
マダリの頭を乱暴に撫でた。
髪を掻き乱されて、マダリが嬉しそうな悲鳴を上げる。神妙な暇乞いにはならずに済んだようだった。
タガネは手を振って。
糸の橋へと再び歩み出した。
その後ろにマリアがついていく。
「ねえ」
「うん?」
「魔神教団の件だけど」
「……ああ」
タガネの瞳が冷たい光を湛える。
剣鬼の顔だった。
魔神教団の巫女――加護という特殊能力を秘めた存在であり、三大魔獣に対して生贄になる役目を担っている。
どんな底意があってかは不明。
しかし、ラインの言葉で発覚した。
レインは魔神教団の巫女の一人で、意図的にヴリトラに捧げられた。
それなら腑に落ちる。
あのヴリトラが、人を一人食した程度で変化するはずがない。なにせ、彼らは生きる天災なのだ。
なら。
体内から変革するほどの力があれば。
それが『加護』なのかもしれない。
レインにも、それがあった。
「奴らには聞きたいことが出来たな」
「……」
マリアは、タガネの腰元を見る。
彼は魔剣の柄が軋むほど強く握っていた。
しかし。
はたとタガネが立ち止まる。
怪しく思って、マリアが前に回り込む。
「どうしたのよ」
「ところで、だが」
「ん?」
タガネが正面から顔を逸らす。
無視されたと勘違いし、不快に感じてマリアは顔を覗き込む。
また逸らす。
それを追って覗き込む。
その格闘がしばし続いた。
そして。
「いい加減にして」
「……」
「言いたいことがあるならはっきり――」
「助かった」
ぶっきらぼうに。
タガネが短く感謝の言葉を口にした。
マリアの動きが固まる。
「え、な、何で?」
「……国境防衛の最中に、クレスの増援を寄越しただろ。あれで窮地を切り抜けた」
「……」
「おまえさん相手に言うのは大変遺憾だが」
「…………」
「助かった。ありがとう」
マリアは言葉を失くして。
その後に視線を左右に迷わせた。
今度は、彼女がタガネを直視できない。所在無さげな手元から、指を組んだり解いたりと忙しい。
訝しんだタガネの灰色の瞳にのぞかれる。
マリアも動きを止めて。
「べ、別に」
ようやっと、小さな声を絞り出した。
頬に細やかな赤みが差す。
「あ、アンタにも今回助けられたし」
「ああ」
「だ、だから、トウゼン、だし……」
「何で緊張してんだ?」
「はぁ!?緊張なんかしてないわよ!」
マリアの顔が真っ赤に染まる。
逆に、タガネはそれを察して耳を塞ぐ。
これまでの経験から知っている。
こういう反応の後は、決まって――。
「アンタ相手に緊張するわけ無いでしょ死に急ぎの傭兵!あんぽんたん!まさか剣姫様に剣以外でも勝とうなんて百年早いのよ!人間性から言ったら、アンタなんか獣で、私は天女よ!雲泥の差よ!?前言を撤回しなさい!いや、剣を抜きなさい、ここで決闘してやるわ!橋から落ちるか斬られるかの二択よ!さあ、剣を執り――」
「あー、はいはい」
決まって、怒涛の面罵が待っている。
耳にコブができるほど聞いた。
無視しても応えても小一時間は続くので辟易している。逆鱗に触れれば発症する、マリアの悪癖のようなもの。
するりと隣を抜けて。
タガネは対岸に向かって走った。
「あ、こら!」
「言いたいことは済んだんで、これにて失礼」
「待ちなさいよ!」
「いや、もう懲りごり」
「まだ言い足りないわ!アンタ王都で――」
「堪忍してくれ」
谷を賑わせる二人の声。
村の方から見守るマダリには、橋を渡りきった後も聞こえた。大人びて見える英雄の後ろ姿は、今だけ仲の良い子供に見える。
見送るマダリの後ろから、大男が現れる。
父親だった。
「良いのか、マダリ?」
「ん?」
「寂しいだろ」
「……まーね」
マダリは肩をすくめる。
「でも、また不思議と会える気がするから」
「おう?」
マダリは晴々とした表情で空を見上げる。
頭上の雲の中を、小さな影が横切っていく。
物事を俯瞰したそれは、こちらに手を振っている気がした。
マダリも、それに応えて手を振る。
その後、一夜を跨いで。
糸の橋は音もなく朝霧になって散っていった。
ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございます。
四話はこれで完結です。
火猿への報酬の件は……どうなるんでしょうね(苦笑)。
次回に続きます。




