小話「蕾の開く日」⑹
事情を了解して。
マリアは寝台のそばにいる夫へ微笑んだ。
不安を悟らせまいと引き締めた彼の表情から、仄かに瞳に映る心情を読み取っていた。
そもそも。
様子が平生と大いに異なる。
獣のような眼差しで目標には一直線なタガネから、今はその強い光が消えていた。
あまりにも弱々しい。
だが、それを隠そうとして滲み出ている破綻が滑稽でマリアはこみ上げる嘲笑を、さも慈愛に満ちた微笑みへとかえていた。
どちらも真意を隠すのに必死である。
「つまり、そう」
「しばらく家を空けることになる」
「いいのよ、遠慮しなくて」
「…………何だか妙に穏やかだな、おまえさん」
「そうかしら」
「不気味なほど」
「ちょっと?」
早くも露見しそうだった。
マリアは微笑を顔に貼り付けてうなずく。
「私は大丈夫よ」
「フィリアに援護も頼んでる」
「ふ、フィリア?」
「体に何かあればアイツの治癒で…………どうした」
「不安になってきたわ」
「なッ!?」
マリアは思わず頭を抱える。
タガネとは夫婦関係になった。
その後も、フィリアとはこの三年間でも互いを牽制し合って均衡が保たれている。
友人を強くは疑いたくない。
たが、子どもに危害は無いだろうか。
そんな危惧を本能が喚起する。
「何かあれば迷わず言え」
「早く帰って来なさいよ」
「当たり前だ」
「余計な寄り道はしないこと」
「おう」
「別の家で子ども作ったら承知しないわ」
「……………俺への信頼が最底辺であるってことを把握した」
「嘘よ」
「どこまでが」
マリアが喉を鳴らして笑う。
タガネは呆れて肩を落とした。
思いのほか元気なマリアの様子にではなく、タガネの内心を察して冗談で気分を紛れさせようとする彼女の気遣いに、かえって励まされた己の情けなさに落胆してのことである。
もはや頭も上がらず。
タガネは寝台のそばで項垂れた。
「浮気なぞせんよ」
「ほんとに?」
「おまえさんって剣を曇らせるような真似はしたくない」
「ふうん」
タガネは深いため息をつく。
寝台の上のマリアの手を握った。
握り返す力に胸の内が軽くなる。
「どうか無事でいてくれな」
「そうね」
「…………」
「少し不安が紛れたわ」
「うん?」
「ここまで弱ったアンタを見ると逆に面白いもの」
「…………」
今度こそマリアに呆れて沈黙する。
結婚する前よりも意地が悪い。
「行ってくる」
「ええ」
「必ず速く帰る」
「さっき言ったこと憶えてる?」
「早く帰る、寄り道しない…………」
「ほら、もう一つ」
「俺は、この方おまえさん以外に変な気起こしたつもりが無いんだが」
「なっ、何言ってんのよ!い、いいい言い方ってものがあるでしょ!?」
「は?」
「は、恥を知りなさい!」
「解せない」
タガネは短く息を吐いた。
「無事に帰ると言ったろう」
「…………」
「信じてくれな」
「…………いいわ、許す」
今度は深く息を吐いていく。
タガネの体が銀色に微光し、それが繋がれた手を起点にマリアにまで伝播した。体を包む温かさに、彼女の顔色が少し良くなる。
マリアは苦笑した。
――やはり、見抜かれていたか。
起きて話すのも億劫だった。
体は良好なはずだが、気を抜くと体が懈い。
その影響についてはベルソートから聞き及んでいた。
『タガネの魔力は強力じゃ』
『強力』
『正確には勇者の魔力じゃのぅ。マコトも切咲家も、ヨゾラもじゃが子を生むのに大量の魔素が要る。ときには母体が保たんほどに強い』
『…………この子は?』
『感知したところタガネほどではない』
『そう』
『じゃが勇者の血筋でないヌシにとっては、恐らく普通よりも多くの辛苦を味わうじゃろうな』
『…………乗り切るわよ、絶対』
マリアは覚悟を決めていた。
ヨゾラはタガネを置いて行った。
父は味方にもならず、周囲の大人すら敵となった孤独が如何なる人生を歩ませたかはマリアもよく知っている。
幸いにも。
お腹の子にはタガネがいる。
だが、母のいない生は歩ませたくない。
必ず生きて子の顔を拝む。
「こら」
「いたっ!?」
タガネの頭に手刀が落とされる。
「いつまで魔力注ぐのよ」
「しかし、な………」
「充分もらったわよ」
「そうか」
タガネは寝台のそばから重い腰を上げる。
「いつ出るの?」
「明日か、明後日には」
「なら、お願いがあるんだけど」
「うん?」
「…………一緒に寝ましょ?」
「…………それておまえさんが楽になるなら」
タガネは柔らかく微笑んだ。
マリアは手を握る力を強くした。




