小話「死の隣人」⑷
西の国ツェンテフへ入った。
街道に添って獣道を進むのは辛い。
その苦労を慮ってか背に乗るよう促す獣の厚意に甘え、いま揺れる背の上に腰かけた。背骨の突起がやや痛いが、獣道を行く疲労を負うよりは幾分も堪えやすい。
何より。
獣のおかげで魔獣は寄り付かない。
トエルは助けられてばかりである。
「重くない?」
『…………』
「ううん、ごめんね」
獣とともに進んで。
国の入口付近にまで辿り着いた。
ここまで運んだ獣を撫でて労りつつ、国の検問を遠目に確認する。門となる場所には警衛が二人ほどしかいない。
今まで通過した国よりは警戒網が薄い。
「じゃあ、いつもの…………ね?」
『グルルルッ!』
トエルは小瓶の蓋を開けた。
その中へと、獣が黒い泥となって吸収される。
すべて入ったのを見て、蓋は閉じられた。半透明な容器の中で水音を立てて揺れる。
瓶を懐に入れて検問を目指した。
獣は自在に形を変えられる。
もっとも、力の消耗も烈しいので長時間は変化した形態を保持できない。なるべく早く解放しなければ、五識以外を共有しているトエルまで力尽きてしまう。
検問まで駆けた。
警衛がトエルに気づいて槍を立てる。
「この夜半に入国か」
「すみません」
「用は滞在か、移住か」
「滞在です。薬師見習いとして旅をしていて」
トエルは背嚢を揺すってみせる。
警衛がふ、とため息をつく。
懐中から紐を通した夏鉄の小板を出し、トエルの首へとかけた。
「滞在中の旅人を示す証だ」
「はい」
「紛失すると罰金になる。事情あって破損した場合は願い出ろ。ただし、証明として破片などは保存しておくこと」
「ありがとうございます」
トエルは一礼して検問を抜けた。
近年できた検問の体制。
魔神教団の脅威によって被害を被った国は数知れず、より警戒を強固にすべしと滞在中の旅人かどを見分ける物品の配布が義務付けられた。
判別のため国民にも別の物がある。
国によって異なるが、総じて証が無ければ不審人物。
トエルは胸前に垂れる小板を触る。
「ちょっと怪しまれたね」
瓶から開放し、獣と並んで歩く。
検問からも遠く離れたが幸い人目が無い。
二人で静かな夜道を歩く。
また背に乗るかと尋ねる獣に柔らかく断って、やや痛む臀部をさすった。獣道に比べれば、苦労はあまりない。
「大丈夫、歩けるよ」
「――ンンふふふふふ」
「え?」
行く手から笑声が聞こえる。
トエルは驚いて思わずいっぽ後退った。
ぱっと虚空に光が灯り、目の前が照明される。光源の下で小柄な外套が揺れ、前身頃で二対の腕が組まれている。
フードの下の四つ目が細められた。
「ルーデア」
「やっと着いたか」
「どうして」
「剣聖の加護を有する者として著名人とすれば、この街にいる『無呼のハキ』だ…………ここを目指して訪ねるものと見たが、ずいぶん迂路を巡ったようだな」
「さ、探していたら半年」
「良い、よい。――さあ、行け」
ルーデアが先を指し示す。
トエルは小首を傾げる。
「一緒に行かないんですか」
「私は少し後から来る知己の足ど…………相手をな」
「それって、一体」
トエルの言葉が風に消える。
後ろから吹いた突風に思わず蹌踉けた。
転倒を避けるべく踏ん張って堪え、胸を撫で下ろす。
再び前を向くと。
そこに腕が二本落ちていた。
ルーデアがそれを拾って笑う。
「ンふふふ、少し早いな」
「――また戯れか、いい加減にしてくれな」
「おまえはいつも手が早いな、銀の子」
「さんざ言葉を交わした仲だ、俺なりの挨拶のつもりだったんだがね」
トエルは後ろを振り返った。
片手に龕灯、もう一方に――剣を提げた男が歩いていた。長い黒コートの裾を夜風に揺らし、トエルの隣を過ぎる。
ルーデアから隠すように足を止めた体は、一回りも大きい長身であった。
照らされた銀髪が輝いて見えて、その美しさにトエルは思わず見惚れて忘我する。
肩越しに銀の瞳が振り返った。
「おまえさん、無事かい」
「えっ」
「あんな質の悪いのに好かれると碌なことは無い。どんな事情があるにせよ、あの手の輩は人の生死を余興にしか思ってないからな」
「あの………?」
銀髪の男がふたたび前へ向き直る。
ルーデアが両の腕を広げた。
すでに接合した腕の傷口は塞がっている。
「銀の子よ、おまえは通るな」
「ほう?」
「そこな娘だけは許そう。おまえは私と遊んで行け」
「相変わらず意地の悪い爺だな、その心は?」
「安心せよ。戯れではない、仕事だ」
「そうか、なら」
黒衣の腕がトエルを捕まえる。
脇へと抱き込まれたトエルは、何事かを理解する前に首に剣の刃が突きつけられた。
ぴたり、とルーデアが動きを止める。
「俺も通してもらおう」
「んぬぅ、考えたな銀の子」
「おまえさんを捕まえるのは一苦労だし、それより優先事項があるんでね。とっとと消えな」
「…………ンふふふ」
夜を照らす照明が消える。
ルーデアが闇の中に姿をくらませた。
それを見るや、脇に抱えたトエルを開放して男が何事もなかったように歩き出す。
ぽかん、と途方に暮れた。
「あ、あの?」
「すまんな、利用して」
「い、いえ。あなたは彼と一体…………」
男が振り返った。
「さてね。ただおまえさん、あれとは早く縁を切ることを勧めるよ」
「…………」
不意に隣で獣が前へと進み出た。
男の足へとすり寄る。
「…………なるほどな」
「あ、すみませんっ」
「おまえさん、もしや病魔に憑かれたが一緒にいたいなんざ酔狂を昔に抜かした小娘か?」
「…………!」
「へえ、大きくなったもんだ」
「何で知って」
「そりゃ、おまえさんで思い出してくれな」
男が微笑んだ。
それからまた背を向けて歩き出す。
「夜道には気をつけな。夜でも隣の獣を隠す工夫はした方が良いぞ」
「え、ちょっと」
「それじゃあな」
トエルを無視して先を歩いていく。
残された彼女は、ただ呆然とその背中を見送った。




