小話「二代目竜殺し」前・②
イグラの訪問から半年。
マヤは単身で大陸東部の都市に赴いていた。
海に面したそこは、この十年で大陸部有数の港湾都市へと成長を果たした地域である。
元は密輸船が行き交い、日の下に生きられなくなった与太者の屯した暗渠とさえ呼ばれていた。
だが。
景色を見る限りでは影も形もない。
穏やかな街の空気にマヤも安心感を抱く。
評判と逆転した実態を現す街は珍しくないのでまだ油断はできないが、表に粗が目立たない限りは問題にならない。
ならば、敵は街の外にある。
「お、もしかして」
「鬼剣じゃねえか!」
「大陸の英雄様だ」
通れば路肩から歓声が上がる。
マヤは二年前からある一件で著名人となった。
慣れない歓迎の空気につい顔が強張る。
「懐かしいな」
「雰囲気があの銀髪の剣客にそっくりだ」
「…………?」
耳に拾った言葉にマヤは振り返る。
銀髪の剣客。
銀髪に剣士という特徴ですぐ思い当たる。
ここは、かつてタガネが日輪ノ国へ密入国を実行する際に頼った場所である。当時の治安は最悪だったと言われていたが、彼はここが近く、また理に適っていたので利用した。
自身は銀髪の剣客の弟子。
彼の道を辿っているようで胸裏に喜びが湧く。
「さすが、ご主人様」
ひとり満足げに賛嘆する。
それから真っ直ぐと港へと向かった。
路肩に開かれた露店。
そこに日輪ノ国の品々が見受けられた。
国交は始まっている。
魔神戦線以降に興ってから国を鎖していた国の豹変ぶりに大陸が懐疑的になり、これを受け容れたレギュームの沙汰にも眉を顰める世情が広まったのも当然だった。
だが。
見る限りではその憂いは認められない。
この港湾都市の発展に、その交易も恩恵の一つとなって栄えている。
ただ一つ影を落とすならば。
「海の瑞獣アマツカゼ」
海域を荒らす瑞獣がいる。
マヤはその討伐任務で遠路はるばる赴いていた。
依頼主はイグラ。
当然、絶縁したとあってタガネは協力しない。
それにはマリアすら同意だった。
彼女の場合は、タガネではなく自身が赴くとさえ提案し、それはそれでタガネが難色を示す。ただ命を賭けても譲りたくないほどに、マリアの出撃と切咲への協力への拒絶感は断固たる物だった。
一向に話は進まず。
アヤメの推挙した人物が請け負うことになる。
自らが混乱の火種であることも気負わないような素知らぬ顔でイグラは口論を傍観しており、これにますますタガネが嫌悪を露わにしてしまうのだった。
そうして。
結果的に矢面に立ったのはマヤだった。
「ご主人様の為に完遂、する」
敵は海の瑞獣。
マヤは密かに闘志を燃やして領地を出発した。
長い半年の旅路であろうと冷めたことはない。
いざ――港へ!
マヤは迷いのない足取りで進んだ。
「瑞獣?――いねえよ」
「…………」
思いもよらない真実にマヤは閉口した。
半年を要して目指した海の瑞獣。
その存在が霞のごとき嘘だったと知らされる。
他の船にも尋ねたが、同じ反応ばかり。
イグラの罠か。
そんな考えが脳裏を過ったが、マヤを嵌めたからといって彼らに利得があるとは思えない。間接的にタガネを狙った策謀だとしても、次は剣爵やレギュームを敵に回す愚挙である。
ならば真実か。
海の瑞獣など存在しない。
その現状が目の前にある。
「何が、敵…………」
情報が足りないと考えてマヤは港を出た。
港ではなく街へ。
瑞獣でなくとも、海にまつわる不吉な噂があればそれがイグラの依頼に繋がる物となる可能性は高い。
瑞獣は三大魔獣に近い脅威がある。
確信も無くては策も練れない。
無策で挑めば太刀打ちできない。
「もし」
「あん?噂の鬼剣殿じゃねえか」
マヤは目についた露店の主に尋ねる。
一瞬だけ鬼仔の角に目つきが鋭くなったが、その正体がマヤだと悟るや掌を返すように表情を柔らかくした。
「尋ねたいことがあり、ます」
「おう」
「ここ最近、海で何か事故や不可解な現象があったという話を聞きま、せんでしたか」
「不可解な現象…………」
「ありま、せんか?」
「とんと聞かんな」
「そう、ですか」
マヤは頷いて店頭から退こうとする。
その後ろを盛大な轆轢が過ぎていく。
振り返ると、先頭で馬数頭に荷台を牽かせる大きな馬車だった。六つの車輪を駆動させる荷台は、幌で包まれて見えない。
その中に――複数人の子供が乗っていた。
街の北側へと向かっていく。
「……………奴隷?」
「違えよ」
「なら、何?」
「知らねえよ。ほら、とっとと退いた、退いた」
店主が話を投げる。
マヤは渋々とその場を離れた。
しばらく歩いて、先刻の会話を振り返る。
「怪しい」
店主の反応に不可解な点が二つある。
一つ。
海で起きている事故や不可解な現象について訊ねたとき、二つある内で後者を小声で口にこぼして反応した。
二つ。
先刻の巨大な荷馬車である。
奴隷商が抱える馬車であることを即否定しながらも、中身については知らない。――明らかに矛盾している。
知っている風で、何かを誤魔化した。
そう勘繰ることもできる。
「…………ふむ」
マヤは歩み出そうとして。
ふとその袖を小さな手がつかんだ。
足下を見下ろせば、小さな子供が自身を見上げていた。継ぎ接ぎの襤褸で、辛うじて装束の風采を保った服装だった。
「…………?」
「…………助けて」
「…………どうか、したの?」
マヤは屈んで視線を合わせる。
子供は袖を離さず、何かを堪えるように唇をわなわなと震わせた。
「お姉さん、聞いてたよね」
「…………海で起こる変なこと、知ってる?」
「今は、海じゃない」
「今は?」
「山に、行かないと…………殺されちゃう」
「誰に」
マヤは安心させるべく子供の手を握る。
そのとき、手触りに違和感を覚えた。
「冷たい」
異様なほど冷たかった。
死体――ではなく、まるで氷のようだった。
そして何より。
「酒……………?」
くらりと脳髄に来るような酒の匂い。
明らかに子供から漂っていた。
酒で呑んだ者であっても、ここまで強い匂いを発したりしない。
子供の異常状態にしばし言葉を失う。
「…………」
「お願い、助けて」
「話を聞かせて」
動揺から立ち直って肯く。
何かが起きている。
子供に関わるそれが、自身の依頼に関与していると直感して、マヤは話を聞くことにした。




