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馴染みの剣鬼  作者: スタミナ0
五話『義憤の花』春
661/1102

10



「この世はすべて完全です」

 祭壇の上から朗々と響く。

 壇上の者へと、子供たちは祈りを捧げる。

「ヘルベナ様が愛し、守った世界。

 そこに生を受けた我々は、彼女の愛によって完全となります。世に蔓延る罪人とは、彼女から身を偽り、敬うことを忘れた者たちへの罰です。不幸な身の上も、ヘルベナ様への愛を忘れたからなのです。

 だから、祈りましょう。

 我々には彼女がいる。

 ヘルベナを愛すれば、あなた方は幸せになれる」

 祭壇で修道女が瞑目した。

「どうか、あなた方に祝福を――導きたまえ(リーダント)

「リーダント」

 子どもたちが続いて復唱する。

 修道女は目を開いて笑顔になった。

 そのとき、教会の扉を叩く音が鳴る。

 修道女はそちらへと歩んだ。

「どちら様でしょうか」

 扉を開くと。

 そこには少年が立っていた。

 後ろで結わえられた白髪を揺らす少年は、現れた修道女に対して穏やかな笑みを向ける。その隣では、仮面で顔を隠す長身の黒衣が寄り添っていた。

 修道女は眉をひそめる。

「何でしょうか」

「祈りの言葉が聞こえて、とても興味深い内容でしたので」

「興味深い」

「愛を享けた者が完全なる者とか」

「ええ、そうです」

 少年がにこり、と笑う。

「そういえば、こちらに影人の子供がいるとお聞きしたのですが」

「――ああ、あれですか」

 修道女が冷たい声で答える。

「もう長い間、留守にしています」

「へえ」

「何処かで捕まり、売られたのでしょう。全く、教会の為に働く敬虔な信徒でしたが、残念です」

 最後だけを取り繕って修道女が冷笑する。

 少年はただ微笑んでいた。

「そうですか。――セヌ」

『宜しいので?』

「ええ。後学の為にも、彼らには良い経験となる」

 黒衣が前に進み出た。

 修道女が小首を傾げる。

 彼女から姿が遮られて見えなくなった途端、少年は表情を変えた。

「欠落者は、不足分を補おうと強欲になる」

「え?」

「完全なる者は、その餌食にしかなれない哀れな存在なのですよ」

 少年が静かに告げた。

 それを合図に、黒衣が指を鳴らす。



 胎窟の入口から飛び出す。

 襤褸布を纏った小さな影が空を仰いだ。

 次いで地面に伏せる。

 最後に胸いっぱいに空気を吸った。

「久し振りの空ッ!大地ッ!いい空気ッ!」

 久し振りの外界に。

 キルトラは感極まって燥いでいた。

 周囲から奇異の眼差しが注がれる。

 キルトラは冒険者組合の支部へ向かった。

 その足取りは弾んでいる。

 大きな一歩を踏み出す都度に、腰に下げた漆黒の長剣がかちりと音を立てて揺れた。

 中央に髑髏の意匠をあしらった歯車の形の鍔が特徴的なその剣は、死闘を繰り広げた深層の主を討伐した折に入手した戦利品である。

 長く、辛い戦い。

 勝つまでに死んだ回数は百を超える。

 辛くも勝利し、そこから上層を目指した。

 漆黒の愛剣で障害を斬り伏せ、遂に辿り着いた地上に感動が止まない。

 キルトラは鼻唄を歌いながら歩む。

「久し振りの地上!久し振りの…………」

 ぴたり、と動きを止める。

 やがて。

 全身から血の気が引いていく感覚がした。

 実際に影人に血や臓物は無い。

 だが、体が冷めていく。

「あれから、どれくらい経った…………!?」

 先刻までの歓びは霧散した。

 キルトラは頭を抱える。

 深層の主との格闘。

 それでけでも数日はかかっていた。

 地上までの道行きは、あの戦闘に比しては易しかったが、それでも何度も休憩を挟むほど長い時間を費やした。

 本来なら日の昇った数で計る。

 ところが。

 異空間に長時間も隔離されていた。

 その所為で時間感覚も乱れている。

「…………シスター、アストレア!」

 キルトラは駆け出す。

 足先を方向転換した。

 まずは孤児院へと急いで向かう。

 不在が長ければシスターも不安に思う。だが、稼ぎ頭でもあったキルトラを失った時間、果たして孤児院が無事であったか。

 悪い予感ばかりが加速する。

 キルトラは街へと入った。

 治安は悪いが馴染みのある景観。

 そこに際立った変化は無かった――だが、ふと違和感が湧く。

 歩調を緩めて眺めながら歩いた。

 安く卸した雑貨屋。

 商いの誇りすら無い者が蓆を敷いて展き、稀に普通の品質を提供する露店たち。

 どれも店や、名残はある。

 それでも。

 異様なほど静かだった。

「人が、いない?」

 キルトラは来た道を顧みる。

 人の気配は皆無。

 たしかに、一人とも出会していない。

 胎窟でも冒険者と遭遇しなかった。

 そんなことはあり得るはずがない。

 呆然自失として、しかし足だけは思考と切り離された独自の意思を持つように動く。その足先は、孤児院へとゆっくりと、しかし真っ直ぐと向かった。

 無人であることを除いて見慣れた景色が流れる。

 歩くことしばし。

 キルトラは孤児院に到着した。 

「…………何だ、これ」

 人だけが消えたような街。

 その異変に慣れつつあった意識を打ちのめす光景があった。

 孤児院の屋根が崩れ落ちていた。

 壁の市場は倒壊し、折れた支柱は黒く焦げている。

 象徴だった聖バリノー教の紋章は地面で砕けていた。

 キルトラはその場に膝をつく。

「よう」

「…………その声」

「ようやく帰ったか」

 背後からの声に振り返る。

 そこにローブ姿のイオリが佇んでいた。

 キルトラの知る剽軽な笑顔はそこに無く、ただ憮然とした表情で見下ろしている。

 彼は長杖を地面に置いた。

「イオリ、これは…………?」

「成長したな、キルトラ」

「イオリ」

「人って変わるよな、そりゃ」

「イオリ!!」

「――一年もいなけりゃ、さ」

「…………一年?」

 今度こそキルトラの思考が停止する。

 イオリは苦笑した。

「シスター、最期まで心配してたぜ」

「最期…………」

「ああ。お前のことじゃねえよ、金のことだ。流石は聖バリノー教、とんでもねえ女尊男卑だな。子供のお前であろうと男なら道具当然ってスタンスだ」

「嘘だ…………死んだ、のか?」

「あれ、もしかしてシスターに騙されてるの現在進行形で気付いてない?…………まあ、良いか」

 イオリが傍に屈む。

 キルトラはその顔を見つめた。

「半年前に逝ったよ」

「…………へ?」

「何処からともなく現れた黒衣の魔法使いに、街の人は消されたし、孤児院は子供もろとも焼かれた」

「黒衣の」

「お前の知る奴だよ」

 キルトラは記憶の糸を手繰る。

 黒衣の魔法使い。

 その特徴に思い当たる節が一つだけあった。

 アストレアの屋敷で出会った家庭教師だ。

 街の異変も、孤児院の惨状も。

 すべてが彼による所業であるとイオリが語ったが、未だに理解が追いつかない。

 キルトラは彼の肩をつかむ。

「なあ、イオリ」

「…………」

「何があったんだ」

「…………」

「ここで何があったんだよ!!」

 イオリは沈黙する。

 キルトラの悲痛な叫びだけが、無人の街に虚しく響き渡った。






ここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます。


この後、幕間の話(タガネが書きたい)を幾つか投稿します。

内容は、リギンディア関連で彼の末裔であるリクルとリンフィアが出会う切っ掛けとなった『ガーディア戦争』についてです。剣鬼時代な上に、たぶん作中一の外道タガネになる予定です。


予定


五話『義憤の花』春

   ↓

幕間『ガーディア戦争』序・及び小話

   ↓

五話『義憤の花』夏

   ↓

幕間『ガーディア戦争』破・及び小話

   ↓

五話『義憤の花』秋

   ↓

幕間『ガーディア戦争』急・及び小話

   ↓

五話『義憤の花』冬




因みに、この話は物語の中や登場人物紹介で名前が挙げられた通り、キルトラとアストレアの物語は、結末が既に知れている話です。救うか否かは、筆の勢いに任せようかと思います。。


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[一言] 楽しみにしてます! 頑張ってください!!
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