小話「灯の子」──After
ぱたり、と本を閉じた。
退屈を全面に出したチゼルが表紙を見る。
題名は『灯火の騎士』。
ベルソートに勧められた一冊である。
膝上に安置し、体を軽く伸ばす。
字を追っていた目を休めるように瞼を閉じた。
「読んだかのぅ」
「うん」
「どうじゃった」
「別に、面白くはない」
ベルソートが肩を落とす。
チゼルに読書の嗜みは無い。
加えて、世知辛い世情を目にしてきた感性では神話や英雄譚を勧めたとしても、非現実的だと鼻で笑って一蹴される。特に彼女が読むのを途中で諦めたのは剣聖英雄譚だ。
ならば、と。
その次に人気の高い騎士譚。
騎士になるまでの苦悩を綴り、その後の過酷な半生と、けれどその末に栄光と己なりの幸福を手にした少女の物語だ。
他の英雄譚に比して人間味に満ちる。
結果は――。
「ボクは共感できないね」
「むぅ」
「これまで、ずっと剣を振ってきたけど……初期の奴さんみたく、剣は戦争の道具でしかない」
「そうじゃのぅ」
チゼルの隣へ近寄る。
本を取り上げて、開く。
「ヌシとは環境が異なる」
「うん?」
「アマルレアには、周囲に人がおった。だから、ヌシには無い幸福を見つけた」
「ボクにはダウルとセインがいる」
「いいや、もっとじゃ」
ベルソートがきっぱりと否定した。
「ヌシは多くの人間を見てきた」
「…………」
「じゃが、それも一部。奇しくも人の内包する醜悪な面を目にする機会が多かっただけじゃ。アマルレアは騎士学校でその対の面に触れ合い、ようやく夢について考えられるようになったんじゃよ」
「ふうん」
「ヌシを騎士学校に入れたのも、そういう意味じゃ」
「は?」
チゼルに背を向けて。
ベルソートはにやりと口端をつり上げる。
剣の意味。
それを導き出さなければ――チゼルは英雄にはなれない。邪悪を切り裂いてみせた剣の真髄の復活は、彼女が剣に対する意義を見出すまでは遥か遠い。
だからこそ。
ダウルと距離を取らせた。
近くに天敵の子孫をつかせた。
父と慕っていた男の生き写しの傍に置かせた。
「ところでさ」
チゼルが小首を傾げる。
「アマルレアの最後はどうなった?」
「む?」
「いや、本に書かれてないし」
「え、そうなの?」
「おまえさん、読んでないのか」
「軽い知り合いじゃったから話も知っとったし、周囲の評価でヌシには都合いいんじゃ無いかと思うてのぅ」
「クソ爺め」
チゼルは嘆息する。
ベルソートは本を開いた。
仙女リャクナの事件の後。
騎士アマルレアは放浪の旅を続けていた。物語はそこで完結している。無論、そこで敗死したわけでも行方を晦ませたわけでもない。
物語として、そこで止まっている。
「人伝で聞いた話なんじゃが」
「なんだい」
「『火猿』という盗賊団が昔はおった」
「ああ。たしか大陸でも吟遊詩人の中に『魔の弓』って話で唄われてたな」
「その首領マダリと夫婦になったとか」
「盗賊と?」
「じゃから、なのかもしれん」
ベルソートが得心顔で本を閉じた。
それから机の上に放る。
執務室に、どんと重い音が鳴った。
「騎士が盗賊と結ばれる」
「たしかに都合悪いな」
「だから書かれんかった」
灯火の騎士は英雄。
その栄光ある人生に瑕があってはならない。
盗賊との結婚は、その要因になりうる。
だから著者は綴らなかった。
その甲斐があってか、歴史でも数人がレギュームが認める『至高の騎士』と呼ばれる名誉を授かった一人として周知される。
「少なくとも」
「…………」
「騎士としても、自由に生きた子じゃったわぃ」
「…………ボクも、そうなれと」
「ヌシなりの形を見つけてほしい」
チゼルに夢は無い。
だからこそ。
探すべきなのかもしれない。
何も無い闇の中で何かを欲する意思を燃やし、かの騎士のようにそれを灯火として道を照らして模索する。
チゼルも生きることに必死だった。
まだ、考えたことがないだけ。
いまアマルレアのように、探す機会が与えられたのだ。
ふっ、と失笑する。
「探してみるかね、夢とやらを」
「その意気じゃ」
おまけ
「アミーをおいらに下さい!」
「なぜ俺に訊く」
「な、なんとなく」
剣爵の屋敷の門前で。
タガネは静かに困り果てていた。
目の前には、騎士アマルレアと――かつて共闘した仲であり、今や悪名高い盗賊団の長となった男が立っている。
二人を幼い頃から知っていた。
並んで立てば大きくなった様に時間の経過を感じる。
だが。
「兄ちゃん!」
「おう」
「アタシ、マダリと結婚するから!」
「だから、なぜ俺に訊く」
「だって、母さんに頼まれてアタシを引き取ったろ?」
「まあ、うん」
「つまり、兄ちゃんは後見人、保護者みてえなモンじゃん!」
「考えようによってはな」
タガネは呆れ笑いをこぼす。
二人の顔を眺めた。
「別に構わんよ」
「え?」
「どんな経緯でそうなったかはともかく、マダリの内面は知っている。生意気で腹の立つ部分もあるが、性根の良いやつだ。おまえさんを蔑ろにする真似はせんだろう」
「じゃ、じゃあ!」
「ただし」
歓喜するマダリ。
それをタガネが一声で制する。
「おまえさんは盗賊。いずれは捕まって打首になる場合もあるな」
「…………おう」
「そうならんように努めろ。して、仮にそんなことになった場合は死んでもアミーやら、或いはおまえさんらの子らにも被害が及ばんよう準備はしておくこと」
「も、もちろんだ!」
「その準備については、俺が生きてる限りは協力を惜しまん。だから死ぬな…………目いっぱい幸せを味わえ」
「…………兄ちゃん」
「おっさん…………!」
二人が感動にタガネの手を握る。
彼はふっ、と笑った。
「それと、だな」
「なんだよ」
「妻ってもんは、この世の何よりも恐ろしいから侮ってると殺されるぞ。大概は理屈なんざ通じないから、理不尽の権化だと思って――」
「何の話かしら?」
「…………いたのか」
「ええ、ずっと」
にこり、と背後ではマリアが微笑んでいた。
タガネの顔から血の気が引いていく。
マダリは察した。
そして、アマルレアは首を横に振る。
恐ろしいのは妻ではない。
ただ、マリアが恐ろしいだけである、と。




