小話「灯の子」⑧
室内に木っ端が舞う。
一つの机が拳によって粉砕された。
アマルレアの眼前で、二人が争っていた。
拳で机を破壊してなお収まらない怒気を発散させる橙色の髪の少年と、真正面から彼と反目している青髪の少年が至近距離で睨み合っている。
二色の視線が交わって火花を散らす。
室内は緊張感――とも言い難い空気だった。
他の同級生たちは、各々が好きなことに興じており、二人のことは眼中に無い様子である。
皆が自分勝手。
特別学科と聞き及んだ教室だ。
自身の知る常識では量れない者たちの集団とは予想していたが、的中するどころか想定以上に衝撃的な場面に出会して呆れていた。
剣の在り方に人一倍悩んでいる。
だが同類と信じていた期待感は霧散した。
もはや関わりたくも無い。
それでも。
「アタシの机」
粉砕されたのはアマルレアの机。
二人の諍いの犠牲となった。
理不尽にもほどがある。
紛糾したとて、今の二人が冷静に受け止められるかすら疑わしいほどの熱気だが、熱り立っている少年にはどのみち自身の行いを省みて貰わなくてはならない。
眦を決して。
アマルレアは前へと進み出た。
「あのさ、二人とも」
「あァ!?」
「今年から宜しくって言いたいけど、アタシの机ぶっ壊しといて謝罪もなしに喧嘩するなんて、ちょっと勝手が過ぎるだろ」
「知らねえよ!」
予想通り。
橙髪の少年が反駁する。
気性の荒い内面を示すように、同色の瞳から敵意を向けられた。
アマルレアは首を横に振る。
「仮にも騎士目指してんだろ」
「ッたり前だろうが」
「だったら、礼儀正しく。アタシの机……でなくとも学校の備品をぶっ壊したことに何も無しか?」
「コイツが俺の騎士道を嗤ったからだ!」
びっ、と青髪の少年が指される。
本人は煩わしそうに指先を睨んでいた。
アマルレアは小首をかしげた。
「騎士道」
「そうさ。俺はオドガー・グルカシオ、拳聖の息子って言えば判るか」
「えーと?」
「知らねえのかよ!大陸西部の帝国で最強三人の一人の息子だぞ!」
「アタシ、世情に疎いらしくて」
「あぁん?……ははぁ、どうやらテメェも訳ありらしいな!」
「まあ、うん」
橙髪の少年オドガーが笑った。
親しげに肩を組んでくる。
アマルレアは理解できず沈黙した。
「それで、騎士道って?」
「俺の父親は叛逆者だった」
「ふうん」
「今は何処をほっつき歩いてるか分んねえ。母ちゃんや俺や弟、領地の皆も捨てて勝手に何処かに消えたアイツの所為で外聞は最悪だ。今じゃ落ちぶれた家だとか、卑しい裏切り者の一家だとか言われてる。帝王さまの寛大な処置が無きゃ、俺らは打首だった」
「そりゃ、たしかに酷いな」
「アイツをいつかぶっ倒して皆に謝らせる。んでもって恩人の帝王様のために、家族とか領地を守るために俺の拳を帝国の矛にするんだ!」
「おお、意外と立派だ」
「ンだと!?」
「でも、何で喧嘩に?」
オドガーが身を翻す。
改めて青髪の少年と正対した。
野生の獣めいた唸り声で威嚇しているオドガーに冷笑を向けている。
それが殊更気に食わないオドガーが拳を振り上げた。
慌ててアマルレアが後ろから羽交い締めにする。
「お、落ち着きなって?」
「コイツ人を馬鹿にしやがって」
「人を守る拳で人を傷付けていいのかよ!?」
「む…………たしかに」
オドガーが拳を下ろす。
苦虫を潰したような顔で引き下がった。
「ンでよ、チビ」
「あ?」
「テメェは何て言うんだ?」
「アマルレア・ビューテクルク」
「ビューテクルク?剣聖近衛団の団長様の娘ってことか」
「訳アリのな」
「面白ぇ、よろしくなアミー」
「いきなり愛称かよ。……別にいいけど」
二人は握手を交わす。
それを静観していた青髪の少年がふ、と笑う。
「野鼠と猫が握手かい」
「あ?」
「あん?」
「剣ではなく拳で戦う間抜けと、剣と槍のどっちつかずの半可者。この教室は特別なのに、いつから異端児を匿う場所になったんだ」
「それ自分に返ってるぜ?」
「黙れ野鼠」
アマルレアのこめかみに青筋が立つ。
それも知らずに少年は哄笑した。
「騎士とは剣であり、人の上に立つ指針なのだ」
「…………」
「人より上位の存在、そうなり得る資質を見出された者だけが集えるここに、貴様らのような野獣が――ぐぼぁッ!?」
「うるせえ!」
アマルレアが蹴りを放つ。
少年の腹部に足が突き刺さった。
アマルレアの脚力は、一丈ある軒まで魔力による掩護も要らずに一跳びで到達する。それが攻撃に転換され、余さず少年へと投じられた。
宙を舞って、遠くの壁に激突する。
壁際でくたびれた少年にアマルレアが舌打ちした。
「人をバカにすんのも大概にしろ」
「やるな、アミー!」
「は?何が――って、あ…………」
自身の行いを省みて。
アマルレアは顔面蒼白になった。
数刻の後。
校長室でアマルレアは正座していた。
眼の前には静かに見つめるマリアがいる。
「騎士たる者」
「常に冷静であれ」
「事情は了解したけれど、言葉で説くことを諦めては駄目よ。相手が鎮圧の難しい相手ならば初めから剣を抜くことは許されても、彼にはまだその余地はあったでしょう」
「でも……」
「まだ互いを知らないから衝突も当然。けれどね、拳で伝わるのは痛いということだけ。なぜ相手が怒ったかという理由は、結局本人の察知能力に依存する。まだ自分を知らない相手には悪手だわ、話し合うことを止めて片方が匙を投げたなら理解し合う場が失われるわ」
「うう〜!」
「もう」
アマルレアが唸って涙目で見上げる。
マリアは苦笑してその頭を撫でた。
「辛かったのも分かるわ」
「…………うん」
「許せる人、嫌な人がいるのは仕方ないわ」
「師匠は許せる?」
「ん?」
「騎士以外は下等だとか、そういうヤツ」
「許さないわ、八つ裂きよ」
「えぇ?」
マリアがふん、と胸を張る。
「平民あっての貴族、騎士、そして王よ」
「は、はあ」
「支える者がいる、だからこそ彼らは人よりも力を有する。それ故に義務を背負い、それぞれの役目を担うの。しかも、それは個人の力でなく皆の力の結晶」
「う、うん」
「上の人間だけで世界が成り立つと勘違いした者は、遅かれ早かれ破滅するわ」
「アマルレア」
「え?」
名を呼ばれてきょとんとする。
柔らかい紺碧の眼差しに射竦められた。
「あなたも、誰かに支えられている」
「…………」
「だから、今のあなたがあるの」
「うん」
「独りになれる人間なんていない。結局、他人をどんな形であれ心の支えにしてる…………その上で、『剣』は成り立つの」
「わかった」
アマルレアは深く頷いた。
自分にとって、タガネのような剣。
目標という心の拠り所があるからこそ、今の自分は突き進めている。必ずどこかで、他人との繋がりがあるのだ。
あの青髪の少年も然り。
他人がいるから比較できる。
その差による悦で自身を騎士とさせているのだ。
個では生きられない。
だからこそ他者を蔑ろにしてはならない。
「アタシ、アイツに謝るよ」
「いい心がけよ」
「でも、自分が間違ってるとは言わない」
「ええ」
マリアが微笑む。
「あなたの剣はあなただけの物」
「うん」
「誰かに自由にされて良い物じゃないわ」
アマルレアは校長室を飛び出した。
教室へと向かおうとして。
通路の対岸から歩んでくる影に思わず足を止めた。
人を映す鋼のような銀の瞳と目があった。
一年ぶりのタガネである。
「おう、息災で何より」
「兄ちゃん」
「何だい」
「アタシ、立派な剣になれないかもしれない」
「…………おう」
「それでも良いのかな」
「それで良いんだよ。おまえさんが夢見る剣のように、おまえさんの剣に誰かが憧れることはある。一つとして貴賤なんざ無い、おまえさんにしかない剣なんだからな」
「えへへ」
「なんだ、気色悪い」
「ひどッ!?」
タガネは淡々と言った。
それから隣を過ぎて校長室へ入っていく。
アマルレアは後ろ姿を見送ってから。
「頑張ろう」
小さく、誓うように囁いた。




