小話「灯の子」②
男が廃屋の中で腰を下ろす。
少女が放つ金色の視線が猜疑心に鋭くなる。
だが、正面の男は怯まなかった。
銀の瞳は、じっと少女を見つめ返す。
「改めて、俺はタガネ」
「アタシは、アマルレア」
「そうか」
男が前の床に首飾りを置く。
箱を開いて中身を改めて見せた。
蓋の裏側に文字が刻まれている。自身の物と見比べても、やはり筆跡とは言い難くも文字の特徴は似通う点が多かった。
少女は首飾りを拾い上げる。
酷似した二つを面前に垂らした。
「どうして」
「おまえさんの母親とは既知の仲だ」
「ど、どこで会ったんだよ!」
「それよりも先に」
男は眉根を寄せる。
不快――という表情の色ではなかった。むしろ疑問を呈する含意が多くを占めている。
少女は小首をかしげた。
「おまえさんの母親は?」
「…………」
「ここにいると訊いて来た」
「その前に答えろよ、アンタは母さんの何だ」
「…………ふむ」
男が頭上を振り仰いだ。
半壊した屋根から漏れる陽光に目を細めた。
「友人、ではねえな」
「はあ?」
「昔は傭兵でな、その頃に知り合った」
「だから、関係は」
「いちど護衛と主だっただけの仲だ」
「そ、そんだけ?」
「それだけだ」
少女は失笑して首を横に振る。
予想外の返答に呆れ返った。
護衛依頼を受注しただけでそれ以外の関係は無いのだ。親密でもなければ、ただの仕事以上にすら発展しない浅い因縁である。
だからこそ。
「今さら母さんに何の用だ」
「そうだな…………」
「勿体ぶんな、早く言えよ」
「罪滅ぼしかもしれん」
「ああん?」
男が苦笑した。
「たった一度の護衛依頼」
「そんだけなのに」
「おまえさんの母親はある侯爵家の娘でな。俺はそこで護衛任務を受けてた。当時、アイツは『哭く墓』っていう殺人鬼に狙われていてな。俺はその対抗策として雇われた」
「哭く墓って、お伽噺の?」
「いいや、実在する」
男はきっぱりと断言した。
一瞬の逡巡も無いので少女も面食らう。
大陸で何百年と続き、一つの談話として親から子へと語り継がれる。それは悪しき魔女の手下だったり、何百人も平らげる怪獣だったり、その姿は様々である。
ただし。
大人になって知る真実は異なる。
殺したい人間を執拗に追い、少しずつ精神を病ませる罠で心を殺し、最後に殺めた後の死体を棺に入れて去っていく。現れるとき、悲鳴とも歓喜ともつかない泣き声で迫ってくることから『哭く墓』と渾名された。
少女は目を瞬かせた。
「信じられんか?」
「いや、母さんが侯爵の出ってのが」
「ああ、それは――」
「それより!」
男の言葉を遮って叫ぶ。
「その殺人鬼が母さんに何かしたのか!?」
「…………ああ」
「何したんだよ」
「ヤツに婚約者や兄を殺され、仲の良かった侍女に怯えられるような状況になったり、周囲から人がいなくなって孤独感に苛まれた瞬間にヤツが殺しに来た」
「…………む、胸糞ワリィ。そ、それで」
「辛うじて俺が撃退した」
「なんだよ、いい話じゃん。自慢だったのか?」
「いいや」
タガネは否定した。
その顔が陰りを帯びる。
「おまえさんの母親は心を壊した」
「…………」
「口も利けん始末でな。そも意識があるかも疑わしいほどに消耗していた。報酬を受けて去るまでも会話は無かった。護衛依頼とはいえ……ただの仕事とはいえ、あんなモンを見せられたらな」
「母さんに同情してんのか」
「しない方が無理な話だ」
少女はふん、と鼻を鳴らす。
首飾りを懐にしまって男を睨め上げた。
「それで?」
「…………少し経ってからだ」
男は語り始めた。
変わらず流浪の傭兵だった。
各地に依頼を受けつつ、定住地を探す。
そんな旅の最中で、知人からの報せの文と同封されて首飾りが届いた。
手紙の送り主。
それは護衛した侯爵令嬢だった。
あの一件の後。
別の家へと密かに嫁いだとされる。
それ以降の行方は噂でも聞かず、知らないままだった。男の記憶にも凄惨な過去として刻まれていたため、その名から顔と関わった出来事を想起するのに時間を要さなかった。
内容は、かつてとは異なる依頼。
いや、嘆願のようなものだった。
ただ。
男はその手紙の内容に目を通した。
嫁ぎ先の家を出たこと。
娘が一人いること。
そして。
「もし俺がどこかに腰を据えたなら」
「なら?」
「娘を助けて欲しい、とな」
「は、はあ!?」
「手紙に従って、家を得てから二年の間は片手間で探したな。おまえさんの母親とのこともあってな、放置はできなかった。その後も仲間の協力で調査は続けて……おまえさんの噂を耳にした」
「何でアタシが娘って」
「おまえさんの母親が嫁いだ先の家のヤツが吐いた情報でな」
「ふーん、で?」
「おまえさんの母親はどうした」
タガネが直截な質問を投げかける。
少女の顔が見る間に強張った。
金の双眸が戸惑いに泳ぐ。
「……し、死んだよ」
「いつ」
「アタシが四歳のとき」
「いま幾つだ」
「十二」
「なるほど、ね」
男は廃屋を眺め回した。
親を幼い頃に失って迷走したのか。
そこで生きる為に盗みを働き、ときに人を殺め、この『掃溜め』に辿り着いたのだとは容易に想像できた。
子供には過酷に過ぎる半生である。
「母親は最後に何か言ってたかい」
「え?……さよなら、って」
「そうかい」
男が無言になる。
長く重い沈黙が続き、空気を緊張させた。
少女は気まずさに頭を掻く。
「でも、母さんは何で首飾りを」
「おまえさんに警戒されんようにだろ」
「警戒してるっつの!」
「だろうな」
少女からの眼光が鋭くなる。
男はそれを一笑に付した。
「俺は、おまえさんを助けに来た」
「何様だよ」
「さてね、俺も知らん。だが…………おまえさんが助けを必要としていないのなら、このまま去るべきだろう。余計なお世話ってのが、後でどんな厄介を生むかは身に沁みて理解してる」
「…………変なヤツ」
少女が小声でつぶやく。
「それで、アマルレア」
「あん?」
「助けるってのも、何だから考えた」
「なんだよ」
「俺がおまえさんの夢を叶える手助けをする」
「て、手助け?」
「それしか思いつかなんだ」
男が嘆息混じりに告げる。
少女はきょとんと途方に暮れた。
夢――なんてものは、そもそもない。
ただ生きることに精一杯だったので、そんな余裕は無かった。ただ明日の命を繋ぐことだけを目標にした思考は、ずっと先の展望になど向いた例がない。
ゆえに。
困惑に口を閉ざした。
正直な思いは、突然の来訪と告げられる真実で頭が混乱している。
これ以上の思考は苦痛ですらあった。
「無いか」
「…………」
「おまえさん、俺と一緒に来い」
「…………はあ?」
唐突な提案に。
少女は今度こそ思考を放棄しかけた。




