小話「戸紛い」⑺
急ぐように日は山陰へと隠れた。
空が流れていく様子。
旅支度のタガネは庭でそれを眺める。
茫洋としていながら、その眼差しは、退屈に喘いでいるわけでもなく炯々と冷たい光で何かを睨め上げていた。その眼光に日すら逃げるようで、ギマは時折彼が恐ろしく思った。
腰元に吊る剣は、鞘に収まっている。
なのに。
その雰囲気は触れれば斬れるような鋭さ。
話しかけることすら憚られる。
旅芸人として歩んだ中で、多様な景色を見てきた。その中には凄惨な戦場の跡地すらあったが、そこから状況を連想し、歌にして人に伝えるために実際に戦地に赴くなど工夫もした。
だから知っている。
タガネの纏う空気が戦争前の兵士と同様であることを。
ひたすらに危うい。
タガネは殺気立っていた。
「タガネ、さん?」
やがて月光が差す。
タガネは全く動かなかった。
旅支度を終えたギマが歩み寄る。
「ん、ああ」
「何か、気分が優れませんか」
「…………まあ、そうだな」
銀瞳がギマを冷たく映す。
腰を上げて土を払い落とした。
「人ってのは、本当に度し難いな」
「え…………」
「平気で嘘をつく」
「は、はい」
「他人を守る為の嘘は美徳というが、そりゃ嘘つく方の勝手だ。嘘をつかれた方が、報われるまでに過程で味わった苦痛を是としてる。苦しまない為の嘘で人を苦しませたりしてんだからな。自分を守る為だけの嘘がクズだというなら、結果的にこれもクズってわけだ」
「何の、話ですか?」
「嘘つきってのは――」
タガネの視線がわずかに逸れる。
ギマの背景に焦点が合わさった。
母屋の方角から、雑踏が聞こえ始める。ギマも自身の後ろを顧みた。
転瞬。
タガネが地面を蹴った。
剣柄をがっしりと手が掴む。
視界の隅に捉えたギマが、何事かと恐怖で反射的に身構えた。
そして。
その脇を潜り、剣で一閃する。
ギマの背後で金属音が炸裂した。
遠くの地面に斧が転がる。
「――――要は碌でもないって話だ」
「…………!?」
タガネが体を起こす。
剣を肩に担いで嘲笑った。
母屋の影から、ぞろぞろと人影が現れる。庭へと殺到する足音がたちまち二人と庵を包囲する陣形に固まった。
冷静に銀の瞳が周囲を見回す。
一人が斧を拾い上げた。
「どうして分かった」
「見え透いてただけだよ」
農夫がぎり、と歯軋りする。
「俺は傭兵だ、地方を渡り歩いてる」
「だから何だ」
「旅人にとっては、一年程度の空白で盗賊がいなかっただけで情報を絶やすほど安全に気配りしないほど阿呆じゃねえ」
「は?」
「俺はここに来る道中、盗賊団の話なんざ耳に少しも入らなかったよ」
「…………!」
旅とは常に危険と隣合せである。
たった一年の安全。
それだけで、姿を消した盗賊団に怯えないはずがない。襲われた町や村の位置を把握し、盗賊団に襲われた事実があるからこそ警戒する。
特に。
この自衛能力の低い村。
襲われたにも関わらず、村の周辺に警備は無い。金銭的な問題ならば、罠の類は設えておくのが定石なのだ。
ところが。
タガネが痛痒も無く村に到着できた。
罠も仕掛けていない証拠である。
過去に恐怖体験をした村の構えではない。
「盗賊団なんていないんだろ」
「そんなことで根拠に」
「なるさ」
タガネは嘲笑を深める。
「当時の状況を聞いたときの反応」
「反応?」
「おまえさん、怖い思いをして必死になって娘を仕方なく突き出した割には、人数やら襲撃された方角を思い出そうとするとき、すっと出てこなかった。朧な記憶を手繰るような…………思い出すのに苦労しねえ怖い過去の反応じゃない」
「なッ…………!」
「そこが一等怪しかったな」
農夫が狼狽して後退る。
再度タガネが周りを一瞥した。
包囲網のそこかしこで動揺の声が上がる。
「そして娘だ」
「は?」
「盗賊団に襲われたのは怖いだろうな。自分を突き出した村も信じられない…………ってのもあるだろう。話してる途中で蒼褪めて吐気を堪えたあの顔は知ってる表情だ」
タガネの眉間に深いしわが刻まれる。
その相貌が静かな怒りの色に染まっていく。
少女のあの顔。
あれは――裏切られた者の表情だ。
知っていた者に、信じていた環境そのものが敵だったと知った瞬間の絶望である。
昔の自分と同じだった。
魔獣の死骸と、足首まで浸かる血溜まり。
足下の赤い水面に映る自身の顔。
少女のあの相と、よく似ていた。
「見え透いてんだよ」
「な、なに?」
「つくなら、もうちと上等な嘘をつきな」
「…………」
「まあ、寄って集って娘を襲った連中だ」
「…………」
「そんな倫理観も乏しい獣には無理か」
「虚仮にしやがって」
「有名な旅芸人の娘と財産、それを手にしようと父親が不在のときに襲撃を決行し、敢えなく撃退され、それで娘を連れ出して醜態が露見する前に仕留める、と…………お笑い種だな」
「こ、こいつを殺せ!!」
農夫が叫ぶ。
じりじりと包囲網が収斂する。
ギマは視線を奔らせて慌てふためく。
タガネは余裕の笑みを崩さず、彼を肩に担いだ。身を翻して、剣を後ろの村人たちの一歩先の地面めがけて投擲した。
慌てて村人たちが飛び退く。
固い音を立てて剣が地面に突き立った。
その瞬間。
タガネが駆け出す。
突き立った剣へと跳躍した。
上を向く柄頭に足裏を合わせ、そこで再び深く踏み込んでさらに高く跳び上がる。
村人たちの頭上を通過した。
着地点にいた数名を蹴り倒して降り立つ。
勢いそのままに庵の縁側へと上がった。
「開けろ」
その一言に。
すっ、と戸が開く。
タガネはその中へと飛び込んだ。
慌てて村人たちが追走する。
ぴしゃりと戸が閉まった。
「くそ、閉じこもったな!?」
戸を開けて中へと雪崩込む。
そこには――幾つもの扉を有する異空間。
全員がそれぞれ一つに飛びついた。
「どれかが正解だ!」
「ん、あれは………?」
扉を開放する村人たち。
彼らの中央の虚空に、一枚の扉が現れた。
衆目の前で少しだけ開いて止まる。
「あれだな!」
「行くぞ、相手は剣も無い!」
村人が一斉に殺到する。
扉の中へ、次から次へと飛び込み、全員が入った。
ぱたり。
扉が静かに閉まって――消えた。
「はい、完了」
「む、無茶苦茶だ」
「そうかね」
一枚の扉が開かれる。
そこからタガネたちは身を乗り出した。
無人であることを確認して出る。
隣でユムが胸を撫で下ろした。
「彼らは今、ここと同じような異空間で立ち往生しているでしょう」
「出口は?」
「私が良いと言うまで出れません」
「はは、笑える」
タガネが縁側を出た。
庭に佇む剣を拾って鞘に納めた。
すべては作戦。
ユムの能力によって全員を隔離できれば、その隙にギマたちと共に逃走ができる。ただし、効果がいつ途絶えるのかは不明だった。
屋外へ出ても持続するのか。
一定の距離で消失するのか。
或いは任意で解除可能か。
「さて、ここからが正念場だな」
ギマを肩に担いだまま。
タガネはさらにユムを脇に抱える。
「な、なにを!?」
「運動不足と病人、走れるわけ無いだろ」
「で、でも」
「行くぞ」
タガネは庭を駆け出す。
母屋の隣を通過し、そのまま村の出口までの道を行く心積もりで足を急がせた。
そのとき。
「――タガネさん、危ない!!」
ユムが耳元で叫ぶ。
それよりも早く。
母屋の影から、人影がタガネめがけて飛びかかった。




