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傭兵としての生活が始まった。
イオリの指導の下。
こなした任務は、一月ですでに十を超える。
ただ、専らが街の外や街道の警備である。
三回に一度はある周辺調査では、野営をするときもあった。
「いいか、タガネ」
「ん?」
「正義は人の数だけある」
イオリは常に何かを説く。
夜営であっても、夜の子守唄のように語る。
熾火のそばで休むタガネは、寝ぼけ眼でそちらを見る。火を挟んだ向こう側に、イオリの穏やかな笑顔は揺れていた。
青い瞳が仄かに光を帯びる。
「善悪を判じるのは法だ。法に則れば、その環境に適した暮らしができるし、罰も受けない。だが、法は命を守る盾にもなり得ない。
さて、質問だ。
己が身を守るために人間が忠実になるのは?」
「…………心?」
「もっと具体的に」
「……したい気持ち」
タガネは茫洋とした意識で応える。
正解だったらしい。
イオリは肯いた。
「そう、欲望だ」
人を人たらしめる物。
それは曖昧である。
ただ人は、知性の高さで繁殖し、やがて強力になる同族での戦争や争いによる全滅を避けるべく、生存戦略として社会を築いた。そこに全ての人間に共通する法という規則を敷いて、抑制することで危険を回避する。
それが互いの安全に繋がるからだ。
ただ。
人はそれだけの存在。
生き残る為に世界最大の社会を築いた。
それ以外は、獣と別称する異種族と差異など無い。
イオリは人間を獣と称した。
「すべては欲望なのさ」
「欲望」
「正義と善は違う。
善とは、その環境における法に則した物。
正義は、己が欲を定義づけた物。
人の数だけ欲があり、総じて正義の数となる」
「正しいか間違いかは」
「法の中だけさ」
「…………」
「善と正義を同じと仮定する。すると、おまえは近隣の村に悪さをする狼を斃した。だが、その場所に住んでる部族じゃ狼は神聖な生き物、殺すことは禁忌だ。
だから部族はおまえを殺す。
おまえは近隣の村の為に狼を殺したのに」
「…………どっちも悪くない?」
「そう。
どちらにも言い分はある。
善は、敷いた法の中だけだ。おまえが味方する方にとって善だろうと、相手には悪でしかない。
なら正義とは?」
「えっ、と…………」
「たとえば、ある子供が戦争で父親を殺したヤツを襲う。相手は家族のために、自国を愛するゆえに、子供いる国に酷いことをされたから、そして戦って子供の父親を殺したのに。
さあて、どちらが正義かな?」
「ぜ、善悪は社会だけ…………?」
「正義ってのは個人のみ」
タガネがうん、と唸って考える。
あまり思考が巡らない。
何事よりも眠気が勝る。
「これが俺の信じる正義かな」
「…………」
「今まで見てきたが、正義を持たないヤツが幸せになった記憶がないね」
「俺だけの正義」
「考えて、しっかり持て」
「俺だけの、せい…………ぎ…………」
「見張りは俺がしとく。――おやすみ」
タガネは眠りに落ちた。
どれだけ意識が朦朧だとしても。
イオリの言葉は、いつも忘れたことはない。いつ言っていたか、については忘失しても、内容はしっかりと頭に根付く。




