小話「窃刀」⑩
ユキが地を蹴る。
その瞬間。
「ぐぶッ!」
「えっ?」
ユキの口から血が溢れた。
前傾姿勢で進んでいた体が地に伏せる。
マリアは呆気に取られて立ち尽くした。
事の異常さを察して、ナハトが目を眇める。それから挙手しながら前に進み出て、二人の間に割って入った。
マリアが困惑気味に見つめる。
「決闘はここまで」
「そう、ね」
「ユキ様については私が診ます」
「お願いするわ」
ナハトがユキを抱え上げる。
彼の知識は広範に及ぶ。
元から要人暗殺として鍛えられたが故に、人体構造や毒の類などにも精通しているので、この屋敷でも侍医を兼ねている。
おそらく。
ナハトにしか察せられない異常だ。
ユキの体は、不穏な何かを抱えている。
去っていく後ろ姿を見送った。
「何が起きてるのよ」
「マリア様、大丈夫?」
「ええ、私は平気よ。セイン」
歩み寄ったセインが心配する。
マリアは微笑んで応えた。
「あの吐血、危険ですね」
「健康そうには見えたけれど」
「病、の類でしょうか」
「…………」
二人も屋敷内へと向かった。
それから数刻。
診察を終えたナハトが報告に現れる。
マリアは書斎で待っていた。
「ユキと話せる?」
「ええ。彼女も奥様と話したい、と」
マリアは椅子から腰を上げる。
じゃっかん早足で客室へと足先を運ぶ。
ナハトの案内で示された部屋へと入れば、そこで寝台に座るユキがいた。乱れた呼吸と青白い顔は、一見して不健康さが見て取れる。
マリアは傍へと寄った。
「アンタ、一体……」
「あはは、ちょっとした持病……」
「ええ、病です」
神妙な面持ちでマリアはうつむく。
ちら、とユキがナハトを見た。
「これは遺伝性の病です」
「遺伝性」
「ユキ様の生家は、かつて亜人種でありながら一国にて地位を与るほどに活躍なされた武官の名家です」
「それは知っているわ」
ナハトが頷く。
「彼女の父ゴグデンは、ある任務で国境防衛の統括の任に就きました。当初は見事な差配で、例年の魔獣被害や治安のことについて民たちは、とても満足しておられました。
ところが、ある日事件が起きます。
その国境に『凪』の胎窟を出身とする邪悪な魔獣が出現しました」
「魔獣」
「『毒の老人』」
「それって……」
マリアは瞠目した。
その魔獣は、一般人でも知られている。
百、二百年ごとに現れる病毒の魔獣だ。
猛毒の鱗粉を撒いて飛び、近づくことすら危うく討伐は至難とされている。大陸全体がその陰険な脅威に幾度となく頭を悩まされた。
病毒。
それも凶悪すぎる毒性がある。
猛毒に冒される者の血族に限定して、まるで『家族の絆』から感染するがごとく、被害を大きく拡大していく。
また。
血を啜って、その人間を同じ毒を振りまく毒樹へと変える能力があるのだ。
なぜ、ウルマジュゲブがこの話題に挙がるか。
つまり。
「ユキ様の生家」
「まさか」
「国が滅んだ、失態を犯した、と諸説ありますが……この症状を見るに、真の理由は――」
「ウルマジュゲブの毒」
マリアが唖然とする。
魔獣の毒に冒されるもの。
特に『凪』の胎窟を起源とするなら不治に違いない。
「でも、それは何年も前でしょ?」
「ウルマジュゲヴの毒は即効性」
「そうだね」
「本来なら一年以内にその一族は滅びます。……ですが、例外もあるのです。ウルマジュゲブの毒は、喩えとして『家族の絆』というものから感染する……という不可解な毒性があります」
「絆」
「ユキ様は……養子なのです」
「えっ」
マリアは彼女を見る。
初めて、ユキが気まずそうに苦笑した。
養子――血の縁は無いが家族の枠組にある。
「そんなところまで、毒が……」
「効果は二十年ほどで致死」
「…………」
「初期症状は、痛覚の鈍さ。それと出血時は常人よりも早くなる。……それから様々な症状が現れます。養子の者は、そうなります……その人が成した子は毒牙にかからないのが幸いですが」
ユキが頭を掻いた。
「タガネにはバレたよ」
「アイツに」
「耳を切ったときの疲弊具合から、かな」
ユキは思い返した。
あの茶屋の前の決闘。
店頭で繰り広げた剣戟を阻害してしまったのは、けっきょく自分の体を冒す毒だった。そのときからタガネには違和感として悟られていたのだろう。
決闘後の症状で、看破された。
「だからね」
「…………」
「タガネが欲しかった」
「そう」
「パルムコットで地位を得ても、残せる物は少ない。だからせめて、好きになった人と、作った子供だったり……色んな物で、この世に生きた証を作りたかった」
「……………」
「好きな人と家族が、作りたかった」
マリアはふ、と息をついた。
「ユキ」
「ん?」
「アイツが帰るまで、しばらくここにいなさい」
「……奥様!?」
ナハトが瞠目する。
ユキもきょとんとしていた。
あれだけ否定していたタガネの生存を暴露している己に、全く疑問を抱いていない様子である。
寝台の隣に屈み、ユキの手を握った。
「アイツなら治せるわ」
「え、タガネに?」
「アイツがアンタを憶えてれば、の話だけどね」
「…………」
「だけど、これだけ女の子に想わせて何も責任取らないっていうのは私が許さないわ」
「じゃあタガネ頂戴」
「それは嫌」
二人は睨み合った。
こんなときまで諍うのか――その言葉を、扉越しに聞いていたセインが嘆息する。
しかし。
「ふふ」
「…………えへへ」
二人から笑みがこぼれた。
初めの装いとは違う。
虚飾ない、本当の笑顔だった。
「じゃあ、待とうかな」
「そうしなさい」
「それで、タガネって今どこ?」
「それは――」
同刻。
廃都ユルヌで二人が斬り結ぶ。
二度目の夜を迎える長期戦となっていた。
「ぬぅあッ!」
「うおっ!?」
ザグドが至近距離で斬撃を放つ。
魔剣で正面から受け止めた。
紫光の凶刃に圧されてタガネは吹き飛ぶ。
ザグドが手をかざす。
「雷よ、冥暗に咲き乱れろ!」
「ちぃッ!」
タガネが魔剣を掲げる。
薄い水色に微光する球状の膜に包まれた。
一瞬遅れて、夜空を照らす赤雷がその表面を強襲する。雷鳴を轟かせて、しかし威力はすべて膜に触れた途端に散逸した。
無効化されたと見て。
ザグドは走り出して追う。
タガネは着地と同時に魔剣を振り下ろした。
銀光の斬撃は都を裂いて疾駆する。
ザグドが大剣で一閃して切り払った。
「しぶといな」
「貴様こそ!!」
互いに立ち止まって睨み合う。
一日中戦っているとあって、さしもの二人も疲労の色が顔に滲んでいた。
ザグドは顎に伝う汗を拭う。
「見事な剣技だ」
「そりゃどうも」
「その剣で常勝を謳い、さぞや多くを奪ってきたのだろう」
「いや、そうでもない」
タガネは首を横に振る。
「俺は女に勝てた例は無いんでね」
「…………?」
「鍔迫りにすらならない。気づけば押されて、相手の流れの中にある。俺の剣がそれに勝ったことなんざ一度も無い」
「戯れるな!」
「大真面目だが?」
ザグドが駆け出す。
タガネは悠々と構え直した。




