小話「窃刀」①
穏やかな昼の剣爵領地。
マリアは公務を離れて屋敷で休んでいた。
剣爵の務めは、おおむねが迎賓である。
加えて。
騎士学校の校長の執務という重責。
一手に担う彼女にとって、年末の期間は唯一の憩いといって良いほど静かなときである。好きなことをして、好きな時間を過ごす。
あと残る仕事は一つ。
それさえ片付ければ自由。
そうなる――はずだった。
「……また任務?」
「顔が怖え」
年末に夫がいない。
この凶報にマリアは不機嫌だった。
レギューム総括部からの密命。
これまで幾度もあったし、すべてがマリアたちを危険な戦場から遠ざけるため、優先的に自らが一身に背負えるようベルソートとも話をつけていることは承知していた。
この自分勝手な男なりの気遣いだ。
それでも気分は晴れない。
「断れないのかしら」
「大事らしいんでな」
マリアが目を彷徨わせる。
「……アヤメが寂しがるわ」
「アヤメは?」
「迷宮区よ……ふん」
「おまえさんの方が寂しそうだな」
「べっべべべ別に!?」
「そうかい」
タガネは苦笑する。
それから両腕を広げた。
「な、なによ」
「夫婦らしいことでも、と」
「別にいいわよ」
「…………俺がしたいと言ったら?」
その一言に。
ぱっ、とマリアの顔が輝く。
予想通りの反応に内心で嘆息されたことにまでは気づかないほどの喜びを味わう。
マリアは単純なのだ。
「し、仕方ないわねっ」
一歩前に進み出た。
タガネの背中に腕を回す。
屋敷の玄関で二人は抱擁を交わした。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
タガネが背を向けて歩み出す。
愛剣を腰に佩いた黒コートの背中。
それをマリアは見守り続けた。
それから半月後。
マリアは年越しの感慨に耽っていた。
隣にはセインが寄り添う。
「仲睦まじくて何よりです」
「ちゃ、茶化さないで」
「いや、本当のこと」
セインは笑った。
「仲が悪かったなんて嘘みたい」
「それは本当よ」
「ええ?」
マリアは懐かしむように目を閉じる。
反目していた剣姫と剣鬼。
知り合って三年間、ひたすら嫌悪していた。
人としての一面を知るまで、面を見れば剣を執れと叱咤して決闘にまで及んだ。
対抗心を剥き出しにするマリア。
仕方なしと承るタガネ。
そんな遣り取りが会うたびに行われた。
「ふーん」
「反応薄いわね」
話をきいてセインは鼻で笑う。
マリアはむっとした顔になった。
「マリア様の初恋は?」
「私?」
「そう」
「私は……その、恋とか」
「あー、はい。タガネ様しか知らなかったと!塩吐いちゃうくらい甘々ですね〜」
「塩?」
セインは腕を組んだ。
「アイツもそんな感じよ」
「え?」
「どうせ私が初めてだわ」
「タガネ様はそんな感じじゃなかったけど」
「は?」
マリアが低い声で振り返る。
セインの背筋が凍る。
「それ、どういう意味」
「ま、前に聞いたの……初恋ってある?って」
「…………何て言ってたの」
セインはうん、と唸る。
そのとき、タガネは――。
『恋……をしたわけじゃねえ。けど、やたら熱を込めて夫婦になろうって迫られたことがある。強引なヤツってなだけあって無視できなくてな、そのとき色恋沙汰は意識した』
至極嫌そうな顔だった。
苦い初恋、とも判じきれない。
「だ、誰から?」
「たしか、百年戦争で知り合った相手って」
「……あの戦争ね」
マリアが目を見開いた。
セインは小首を傾げる。
「百年戦争って?」
「リューデンベルク南であった大戦よ」
マリアは滔々と語った。
ヌスパルム百年戦争。
列強国の中でリューデンベルクに次ぐ大国の二名は隣接しており、常々その国境で不穏な事件が多発しているのもあって一触即発の空気が漂っていた。
魔法大国のヌステーノ。
武術国家のパルムコット。
二世紀ほど前に後者で革命が起きた。
速やかに新王が据えられ、体制が刷新される。
これに、ヌステーノは希望を見出した。
ところが。
新王は好戦的な人格。
予てより、ヌステーノ侵略を計画していたのもあって、即座に戦争に及んだ。
争う二国に多くの傭兵が集った。
これは王が代わることなどによって、その都度に休戦協定の締結と破棄が飽くこと無く繰り返され、結果として一世紀以上に及ぶ大戦へと成長する。
終戦させたのは『征服団』と『牛翁』。
だが、彼らのみではない。
団長たるカルディナを含む、戦争で活躍した他三名にもまた破格の報奨が贈与され、パルムコットの守護者として祭り上げられた。
爪切りのニードゥム。
極刀ユキ。
侠客マッテ。
彼らは英雄として地位や領土も与えられた。
ところが、誰もが口を揃えて言う。
彼には敵わない、と。
その『彼』とは敗戦国の戦陣にいた傭兵だ。
パルムコットの要塞で繰り広げられた防衛戦で、ある少年剣士がたった一本の剣で堅く閉ざされた城門を切り裂いたのである。
その後も少年は先陣をきって戦った。
結果、その要塞は陥落する。
彼こそ――剣鬼タガネ。
逸話の一つ、城門裂きだった。
ヌステーノ追討の際にも『五百人斬り』を行って、ヌステーノの民を結果的に守ったことから、密かに『ヌスの英雄』と呼ばれている。
剣聖になった伝説。
それを除けばタガネ最大の武勇伝だ。
セインがほう、と感嘆する。
やたら詳しい、とも密かに思った。
「その知り合いの名前は?」
「ああ、ユキって人」
「……あの『極刀』ね」
マリアが納得した様子だった。
「極刀?」
「大陸東出身の刀使いよ」
「へえ」
「生まれは凋落した貴族らしいけれど、その戦力で後のパルムコットで大出世したのよ。極められた剣技に因んで、そう渾名されたわ」
「マリアさんより強い?」
「戦ったけど互角よ」
「……ということは」
「当時はタガネの方が強かったわ」
マリアは嘆息する。
「だから執着されてたみたいね」
「執着?」
「実は、ユキが一目惚れをした相手っていうのを風の噂で聞いたことがあるのよ。相手の名前は知らなかったけど……はあ、憂鬱だわ」
「え?」
「これから迎賓があるんだけど」
「えーっと、たしか……」
「パルムコット国軍部総督……ユキ」
そのとき。
閉じた扉の外側から。
『たのも――――――!!』
凄まじい声量が突き抜けてくる。
「…………ほら」
「え゛、直接?」
「前に会ったのは十年以上前よ」
「ということは」
「ミストたち並みに面倒な相手だわ」
マリアが静かに頭を抱えた。
その頃。
燃える北の小国でタガネは戦っていた。
煙火の最中で二人が踊る。
魔剣と邪眼の剣が凄烈に交わった。空は一呼吸に幾度も鳴り響く剣戟に震える。
「――ああッ!!」
「疾ッ!」
ザグドが大剣を突き出す。
タガネは横薙ぎの一撃で払い上げた。
頭上を歪な切っ先がかすめていく。
そのまま勢いを利用して一回転しつつ、屈んで足元へさらなる一閃を繰り出した。
だが。
魔剣の刃が虚しく空を切る。
ザグドは高く跳躍していた。
その片手には、風が唸っている。
「風よ、撓り打て!」
「ふん」
ザグドが手を振った。
その瞬間、手中で練られた風の鞭が振り下ろされる。魔剣で斬り裂いた部分を除いて、長い石畳の道を破砕した。
着地地点を予想して。
タガネは前へと駆け出す。
ザグドが大剣を下の虚空に振り下ろす。
その足元に魔法陣が出現した。
魔法陣を踏みしめて、上空に悠然と佇む。
「ちっ」
「死ねい、侵略者!」
ザグドが跳躍した。
タガネも地を蹴って空に躍り出る。
中空で渾身の一撃どうしが交錯し、すれ違う。
「追い討て、昏き焔!」
「レイン!」
宙で翻身してザグドが紫の炎を放つ。
タガネも魔剣を構えた。
水色の光があふれ、紫の炎は火の粉となって消失する。
ふたたび炎の都に着地。
弾かれたように二人は飛び出す。
中間地点で激しく剣がぶつかった。
「ッ…………!」
「どうした、侵略者」
「いや、悪寒がしてな」
「いまさら我が力に恐れを抱いても遅い」
「まさか」
その言葉をタガネは一笑に付す。
「誰かが俺の話でもしてたんだろ」
「私を侮るな」
「安心しな。仲間の後を追わせてやる」
鍔迫り合いになって。
鋭い異色の眼光が至近距離で交錯した。
このとき、死闘にあるタガネは知らない。
その裏で。
己を巡る別の戦いが勃発していたことを。




