11
通路で見たリクルの顔。
それは、検問で別れるまで見たことがない。
まるで別人のような表情だった。
内側から畏怖と嫌悪が湧き立つ。
「なるほど」
本能が理解した。
目の前にいるのは気優しい少年ではない。
侮れない敵である。
「駄目なぴかぴか、だな」
「何です?」
「いや、別に」
タガネは剣を構えて。
ちら、とクレスとリクルの手元を流眄する。
手足に突き立つ光。
あれが魔素の構成物なら魔剣で処理可能。
問題は――リクルである。
あの光の剣も、魔剣の前では無力だ。
しかし、彼は魔剣の性能を知っている。ここまでの周到さといい、無策で切り抜けんとする人間ではない。
対策を講じるはずである。
逃走か、戦闘か。
どちらにせよ。
王国随一の暗殺者が床に倒れた有り様。
魔法にせよ武術にせよ、油断ならない。
タガネは摺り足で前に出た。
リンフィアが小さな悲鳴を上げる。
「剣鬼殿」
「何だい?」
「見逃して、くれませんか?」
「ああ、駄目だね」
リクルが苦笑する。
すると、光の剣が消失した。
両手を空にして。
足元に落ちたクレスの右手から短剣を奪う。
片手に握ったそれを手中で回旋させた。
「では、こちらで」
「む」
タガネは目を眇めて唸った。
短剣を慣れた手つきで扱うのが気になる。
剣の腕前は知れないが、魔法で武器として作る辺りから、剣術にも心得があるのだ。
だとしても。
短剣を握る手元から感じたもの。
直感が叫んでいた。
リクルは概ねの武器に対応しうる技の持ち主。
自他共に認める剣鬼。
それを前に逃げずに対決することを選択した。
紛れもない戦闘への自信が窺い知れる。
リクルが悠々と歩み出す。
「じき報酬を支払うつもりでしたが」
「拳聖も欺してるのか?」
「拳聖……?」
リクルが小首をかしげた。
演技など微塵も感じさせない困惑の色を目に浮かべる。
タガネはぞっとした。
真意を気取られない精巧な演技。
人間は大抵が見え透いているし、そも拳聖本人からの言質は得ている。
偽るのはリンフィアに対してか。
初めて見る人種だった。
自分さえも完璧に欺ける。
それかリクルには可能なのだ。
「つくづく、胡散臭い」
「リンフィアは、僕が守ります」
「……これが革命家リクルか」
リクルが床を蹴った。
身を低くして接近してくる。
短剣なら、得物の差としては分があるが、至近距離に寄られると厄介だった。
タガネは近付けまいと。
牽制に広く横一閃に薙ぎ払った。
リクルが床を転がって回避する。
勢いのまま、更に懐に侵入してきた。
短剣の間合いに入る。
床から跳ねるように短剣をタガネの顎めがけて突き上げた。すべての一動作が流れるように行われる。
予備動作が極端に少ない。
まるで卒然と体が浮いたように錯覚した。
タガネは咄嗟に首を横に傾けて回避する。
耳元を短剣の刃が擦過した。
「早いな……ん?」
相手の初手を凌いだ。
そのとき、タガネは違和感を覚える。
至近距離にある相手の体。
細い腕は十全に躱したはずだった。
なのに、まるで紙一重を過ぎたように動作に伴う空気の流れや熱気を感じる。
タガネが剣を振り下ろす。
リクルが横へ体を運んで避けた。
刃は掠りもしなかった――と手応えが告げている。にも関わらず、剣先に小さく血が付いていた。
リクルが短剣を横へ振る。
タガネはその腕を掴んで止めた。
不意に。
掴んだ感触から勃然と疑問が浮かび上がる。
外観に反して、腕が太い。
それどころか、どこかリクルが大きく見えた。
何かがおかしい。
何より、リクルの体捌き。
確かに軽快で読み難くはある。
しかし、戦場での経験からも予備動作を少なく攻撃を切り出してくるものと対峙したが、どれとも似ていないと感じた。
間合いを幻惑されている。
錯覚が連続している気分だった。
見たものと、触れたもの。
それらが噛み合わない。
間近に感じる空気の流れ。視覚と触覚の齟齬。……光の魔法。
タガネは、はっとした。
まさか。
「レイン、やれ!」
魔剣が震えた。
タガネ以外に周囲一帯から魔素を吸い上げる。空気中や離れている人間からも貪った。
クレスを拘束していた光の杭が消失する。
リンフィアが顔色を悪くして座り込む。
そして――
目の前のリクルだったもの。
それがシュバルツに変貌した。
タガネは剣の柄頭でシュバルツのこめかみを打ち、一撃で失神させる。
脱力した彼を床に転がした。
同時に、背後で物音がする。
振り返ると、何もなかった。
しかし、数瞬の後にリクルの姿がその場に浮かび上がる。
床に膝を突いて、苦しげに顔を歪めていた。
顔は青白くなっている。
「な、なぜ判ったんですか……?」
「やはりね」
タガネが肩を竦める。
剣を鞘に納めて、シュバルツを踏み締める。
「五感のずれで納得した」
「……」
「聞いたことがある。物を見るとき、眼は物体から反射した光で色・形・大きさなんぞを認識していると」
「さすがですね」
「光の魔法で、欺してたんだな。相手にシュバルツを自分として認識させ、背後から姿を消したおまえさんが不意討ちを喰らわす」
リクルが肩を落とす。
絡繰は単純だった。
光の魔法で、光の反射を操作する。
それにより、シュバルツの姿がリクルのように見え、リクル自身は光の屈折率を操って姿を消した。
そして前後からの挟撃を仕掛ける。
あのクレスの敗因は、巧妙な光の作り出す錯覚だった。
視覚情報をごまかせる。
だから、不自然さを覆い隠せる。
そうやって、リンフィアを欺いていたのだ。
リクルが手にしていた長剣を落とす。
「やっぱり、勝てませんでしたか」
「俺も危なかったが」
倒れているクレスを見遣った。
「前例がそこにいたんでね」
「き、貴様……!」
「ありがたや」
「ぬぁぁああ!!」
合掌して態とらしく謝意を示す。
クレスは怒りと、動けない歯痒さで叫んだ。
タガネは笑いながら、リクルの両手を縄で縛る。失神したシュバルツも拘束した。
魔素が抜けて動けない状態である。
反抗も逃亡もできない。
「大人しくしといてくれな」
クレスに歩み寄る。
断たれた右腕を見た。
切断面は炎で焼いたように焦げている。
光の剣――光をあの形に固定するのだから、発散される熱量もまた凄まじいのだろう。その一太刀ならば、どんな武器も敵わない。
嘆息して、彼を担ぎ上げた。
「さて、防衛大臣に見つかる前に……」
「フォクスなら死んだ」
「……何?」
クレスの言葉に。
リンフィアがえっ、と声を上げた。
「獣兵三名も死んでる」
「バーズの仕業か」
「いや、リクルだ。襲撃に来る我々になすりつける積もり」
クレスは滔々と告げる。
タガネはリクルへと振り向いた。
「……そりゃ本当かい?」
「……ええ、そうです」
「うそ」
リンフィアが横に首を振った。
信じられない、その一念で否定する。
「だって」
「…………」
「り、リクルは良い人なんでしょ?そうなんでしょ。剣士様が本当は悪人で、きっと何か……」
「リンフィア」
リクルの声が言葉を遮る。
現実を否定していたリンフィアの悲愴な笑顔が凍りついた。
「ごめん」
「…………うそ、嘘だよ、だって……!」
「はい、そこまで」
タガネが手刀を落とす。
リンフィアの首筋を静かに打ち、気絶させた。
リクルが顔を伏せる。
床に倒れたリンフィアの顔。
その頬を涙が伝っていた。
「……とんだ茶番だったな」
冷然と放たれたタガネの一言。
その声が沈黙した通路の中に溶けて消えた。
注)本当にハッピーエンドです。




