8
大天守の最上階。
床面が穿たれて階下へ瓦礫が降り注ぐ。
その中に紛れて、リョウは縦横無尽に奔った。
タガネは落下中も油断なく神経を研ぎ澄ます。
背後から振るわれた包丁を、背剣のように構えた魔剣で防ぎ、振り向きざまに弾きなが左の太刀を横に薙ぐ。
首を刎ね飛ばさんとする刃。
リョウは首を後ろへと倒す。
否。
首が直角に折れ曲がり、後ろに倒れた。
ぎょっとするタガネの眼前で一太刀が空を斬る。
ごくり、と鈍い音を立てて首が矯正され、再びリョウの凶相が正対した。
右手の包丁が振り下ろされる。
タガネは宙で背転。
振り上がる足で、包丁の握り手を蹴り上げた。
手首を強か打擲して攻撃を阻止する。
リョウが舌打ちを鳴らす。
二人は階下の床に着地した。
タガネは落下する瓦礫を躱し、あるいは斬って避ける。
ところが。
「なッ?」
「常識なああ―――――ンってな!!」
降り注ぐ木片。
落下物の雨中から猛然とリョウが肉薄する。
体に激突する物は、逆に跳ね返されていた。
剣で振り払う猶予も許さない距離。
タガネは咄嗟に剣と太刀を胸前に掲げる。交わった刃の交錯点に、鈍重な包丁の一撃が叩き込まれた。
衝撃が体を突き抜ける。
刹那。
さらに伸ばされた手がタガネの首を掴んだ。
止まらず駆ける突進力に圧される。
間髪入れずに足を払われ、地面に磔にされた。
首を掌握した手に力が入る。
「このぉま〜ま♪」
「かはっ」
「ぽっきり、ぽっくり!」
頚椎を折られる。
反射的にタガネは魔剣を振るった。
その直前に、動きを察知したリョウは床を蹴って飛ぶ。首を掴んだ手を支点に、その場で逆さになった体勢を維持した。
首にさらなる圧力がかかる。
生命を脅かされる危機感に本能が刺激された。
タガネは太刀で右腕に一閃する。
リョウは手で直上に跳ね上がった。
タガネの首に強い衝撃が加わる。――が、幸いにも頚椎を損傷することはなかった。
太刀を回避したリョウは横へと着地する。
タガネは起き上がろうとして。
「――包丁は?」
相手の得物が消えたことに気づく。
大きくなって近づく鈍い風切り音。
戦慄に背中の産毛が逆立つ。
タガネは横へと飛び跳ねた。
遅れてその場に包丁が落下し、深々と床に刺さる。
あのとき――投げていたのだ。
魔剣と太刀の防御。
両手が塞がる瞬間を誘った一撃の後、首を掴むや上へと放り上げられ、包丁は緩やかにタガネへと落下する……という算段だった。
――あと反応が一瞬遅れていれば。
悍しい死の結果だけの仮想にタガネの背筋は凍った。
ぴょう、と。
口で吹いてリョウが笑う。
「お、やるぅ」
飄然とした態度。
およそ修羅場にある者の空気ではない。
あの男はまだ切迫していない。
タガネは舌打ちして首を回す。
「おまえさんの首は折っても無駄そうだな。自在に折れ曲がるらしいし」
「黄泉ならではの芸だぜァ」
「奇術で躱されるとはな」
「まーだまっだ、これからダダン!」
リョウが強く床を踏み下ろす。
足下が波打ち、瓦礫が中空に踊る。
「第二幕」
「ちっ」
リョウが柄を補強する包帯を剥いだ。
その下は、等間隔で孔が空いている。柄頭は笛の口に似た形状をしており、そこに酷薄な唇がそっと添えられた。
尋常ならざる拵えの武器。
微かに感じた異色の魔力。
「魔兵器か」
「魔包丁ヤクパムント――『魔音』♡」
「けっ」
正体を看破して。
即座にタガネは魔剣を構えた。
刃元の水晶が水色に耀く。
リョウがふっ、と息を吹き込んだ。
柄の内側を通る呼気が孔を音色となって吹き抜ける。空間全体へと伝播し、崩落などの騒音なども圧倒して辺り一帯を満たす。
だが――それはタガネには届かなかった。
水色に光る半球状の結界が展開される。
魔剣を中心としたそれに音は弾かれ――いや、吸収されていた。
リョウが息を止めて瞠目する。
「あッ、ずりィ!」
「は?」
「フツーは相手の初手も甘んじて受け容れんのが流れだろーんがよぉオ!?こっちぁ小学生レベルのリコーダー技術で奏でてるっつーのに!」
「知らんよ」
「空気読め!」
「その拵えで笛と判りゃ力は音にあるなんざ容易に読める。それに……大体の魔兵器なんざレインの前では無意味なんでね」
「まぅた武器恃みかァ??」
「頼もしい家族なんでね」
「家族……吐き気がするな!!」
リョウが床を蹴って前に出る。
再び肉弾戦の挙に出た。
それを目にして。
タガネは太刀を後ろへと引き絞る。
左肩から手先、鋒までに全身から集中させた全魔力を充填させた。景色が陽炎のように波打つほどの圧力が刀身から滲み出す。
リョウは笑いながら突進した。
「吐き気がする……?」
「みはははははは!」
「――俺が言いたいね」
タガネが一歩前に踏み込む。
リョウの眼前で。
後ろに振りかぶられた太刀が――視界から消える。彼にとっては、今日で二度も目にした光景だった。
太刀の行方を追う。
それすら許されず。
「――げばァッ!!!?」
リョウの胴が袈裟斬りにされた。
背後にあった壁や支柱、降り舞う微細な木端までもが同じように寸断される。遅れて突風がタガネからすべてを斥けるように吹いた。
下半身を残して。
リョウは床上を跳ね転がる。
「ぞれ、まさがッ……?」
「この太刀の持ち主ほどとはいかんがな」
タガネは軽く一振りした。
ひょう、と刃先が短く鳴く。
「味わいが違う『神速』だろ」
「がっ、かき、下半身取れちったぁ……」
「安心しな、次は神速も使わん」
「ああ?」
「ゆっくり、刻んでやる」
「魂に触れられるようになったからって調子づきやがってぇぇえ……!」
「たしかに調子はいいな」
タガネは嘲笑って見下ろす。
床を這うリョウの顔を踏み押さえた。
「さて、どうしてや――」
「でも残念」
「うん?」
「オレ様も死ぬ気でやるからオマエじゃ勝てませーん」
「なら死ね」
タガネが魔剣を振り下ろす。
目指すは心臓。
魂でもそこを損傷すれば絶命は必至である。
「奥の手ええええ!」
リョウが頭上で掌を叩く。
乾いた音が響いて。
タガネの足下がまばゆい光を放って爆発する。
リョウから引き離されて宙を舞う。
天高く弾き上げられた。
爆風に揉まれながら、宙で体勢を整える。
地上を見下ろして。
タガネは唖然とする他なかった。
「なんだ……これは」
切咲の城から北の当主を葬る社まで。
天下を呑み込むほどの轟音とともに大地が爆ぜた。




