小話「魔除の殻」⑶
アッカサリタの中心都市。
その上空は異形の影に覆われていた。
都市の前で。
三人は立ち止まって頭上を振り仰ぐ。
空から歌声たちが響いていた。
不一致な内容の合唱による不協和音。
ヨンは不快になって顔を顰める。
「なんですかね」
「あれだ」
タガネが顎で西の空を示す。
雲霞の中から覗く巨影。
首の無い上体の背部で、二重の歯車が粘りけのある水音とともに廻っている。歯形の先端からは、黒く変色して腐った血の糸に葡萄状で密集した人面が吊るされていた。
雲の切れ間から躍り出る。
歯車を背負う胴から垂れた腰椎の終端に首が逆さで繋がっており、下に伸ばした手でその目元を隠す。
醜さを集約したかのごとき怪物。
地上を見下ろしながら彷徨していた。
中心都市へ入る者たち。
彼らは、誰一人として頭上の怪物を気にせず歩みを進めた。ヨンの瞳には異常な光景として映り、疑問で眉間にしわを作る。
たしかに。
怪物が襲う気配は無い。
それでも、彼らの無警戒さは度が過ぎていた。
あの偉容を前にして平然とできるなど、修羅場を潜り抜けたり、奇っ怪な魔獣を見慣れている経験があろうとも、驚くなと言われることが無理難題である。
むしろ。
ヨンは自身の感性を疑った。
よもや、自分が異常なのではないか。
無駄に神経を尖らせているのか。
比較による客観的な分析のためにも、同じく移住希望者である二人へと視線を向ける。
ミストは微かに瞠目していた。
「噂に違わない大きさですね」
「え?」
「ヨンは知りませんか」
ヨンは小首を傾げた。
「あれは?」
「十のエリヤ」
「『十二の死』の第十位!?」
ヨンは怪物を見上げた。
世界にも轟く悪名。
その代表例の一つである『十二の死』の内、十位に名を列ねるエリヤは平時から大気圏に住み、気に留めた地上の獲物を執念深く追撃する獰猛さで知られている。
行動範囲は世界全土。
「なぜ、エリヤがここに」
「気に召した餌があるんだろ」
ヨンの疑問に。
タガネが嘆息混じりに答える。
入国から依然その愁眉は開かれない。
険しい眼差しを空へ投げかけた。
エリヤが中心都市の頭上をひたすら巡回している様子は、なるほど知られている生態からも執念深く獲物を狙っているのだと察せられる。
ただ、奇妙なことが一つ。
どうして襲わないのか。
中心都市を見下ろしているだけである。
「何してるんでしょうか」
「ヨンは噂を知らないのですか?」
「噂?」
ミストがうなずく。
「ここ数年の話です」
「数年?」
「エリヤによる被害が忽然と途絶えて、アッカサリタの上空に留まり続けている――という」
「な、何でここに留まるんですか」
「原因は不明です」
タガネは腰の剣を撫でた。
鞘を鳴らしていた振動が止まる。
「戦神様とやらの恩寵かね」
「だとしたら凄い」
「どうだか」
「じ、自分で言っといて……」
タガネは自分の発言を嘲笑う。
それから再び歩み出した。
最近はルキフェル討伐が成功され、『十二の死』の活動にも変化が生じている最中でもあり、エリヤの行動もこれに影響された可能性も否めない。
ここまでの道中。
実際に魔獣との遭遇は皆無。
地図で確認すれば胎窟は複数箇所も有している上に、国土面積も広くはないので発生した魔獣の平均的な発生率から予想する数と一個体における活動域から鑑みても、これだけの人間の数が密集する街道が無事で済むはずがないのだ。
にもかかわらす。
街道付近の警備もやや心許ない。
まるで襲撃などないと喧伝するかのごとく、最低限の員数の兵士が等間隔――それも長距離の間隙――で配置されただけだった。
ますます疑問が深まる。
ヨンは不審顔で周囲を見回した。
「みんな平気そうですね」
「よほど戦神を信頼してんだろう」
「タガネさんは?」
「さてね」
タガネは目を眇めた。
「十年以上前に来たことがある」
「へえ」
「その頃は戦争どころか政治的混乱も無い。今と変わらん穏やかな土地だったな。強いていえば魔獣被害が多かった程度だ」
「え、じゃあ――」
「ところが、だ」
「はい?」
「戦神なんてのは初めて聞いた」
タガネは腕を組んで唸る。
十年前までは無かった土地の加護。
以前の姿を知る者として、戦神による恩恵で平和を謳っている現状が異質に思えてならなかった。魔獣被害の多い土地という予備知識があるからこそ、この安穏とした街道の警備体制なども始終懐疑的な眼差しで睨んでいたのだ。
ヨンは二人を見遣った。
「二人とも、やけに警戒してますね」
「まあ、そうですね」
「あんなのが頭上にいればな」
二人の返答は至極当然のもの。
だからこそ。
「本当に移住希望者ですか?」
「はい」
「もちろん」
これから住む土地へ疑り深い態度。
果たして、彼らの目的は何なのか。
ヨンはさらに深遠になっていく疑問の種に悶々としながら都市へと入った。




