小話「死神の進軍」⑦
マリアは屋敷で眠っていた。
寝台の傍らでタガネは椅子に座る。
上掛けから出た彼女の手を握り、その寝顔を見つめた。脈は正常に機能しており、特に外観からわかる異常は無い。
だが。
触れたことで理解した。
決定的な何かが欠落してしまっている。
タガネは歯軋りする。
隣ではレインが困惑していた。
「マリア、寝てる?」
「ちと体を壊したみてえだ」
「……誰の所為?」
「目星はついてる」
レインが魔剣へと姿を変える。
タガネは黒コートの袖を通す。
魔剣を鞘に納めて腰に佩いた。
寝室へと侍女長ナハトとセインが入る。
部屋を息苦しくさせるほどの強烈な怒りを放っていた。銀の眼差しが鋭くなり、かつて鬼と呼ばれた状態へと回帰していく。
緊張に喉が乾く。
ごくり、と唾を呑む音が大きく鳴った。
ナハトは平静を装って歩み寄る。
「マリア様は?」
「魂を盗られてる」
「魂」
タガネは首肯した。
昼のマリア襲撃は一人による犯行である。
レギュームへ侵入した死神の異名で呼ばれるザグドが、彼女の魂を奪い去って逃走した。現場には紙片に書き置きをしており、その宛先は言わずもがなタガネである。
簡潔な内容だった。
『伴侶の魂は頂いた。――返して欲しくば再決戦をしよう』
つまりは――果し状。
タガネは望むところと意気込んでいた。
すでに抑えられない殺気が滲む。
「場所や、日取りは?」
「ヤツの本願はレギュームの滅亡だ」
「では、なぜあなたを?」
タガネが失笑する。
「本来、ヤツらは昔に俺の現状を望んでいた。レギュームと剣聖、この二つを侵すことが至上なんだろうよ」
「……どうしますか」
「近衛団はマリアたちを頼む」
「ここも狙われますよね」
「セインも屋敷に隠れておいてくれな」
レギューム島に属する浮遊島。
ここも危険には変わりない。
剣聖近衛団の実力なら、幸い並大抵の軍では滅ぼせない。十二年も経って、未だ団員たちは実力を上げている。
要塞のごとき堅固な守りだ。
何よりも信頼できる。
「聖剣は社にあります」
タガネはうなずいて。
そっと再びマリアの手を握った。
「おまえさんの魂は曇らせない」
コートの裾を翻して部屋を出る。
物々しい彼の背中に、使用人たちが緊張で立ちすくむ。
その途中で。
アヤメとマヤが彼の前に立った。
「父上」
「マリアの傍にいてやってくれな」
「……はい」
小さな頭の上に手を置く。
颯爽とその隣を過ぎて行った。
屋敷を出て社の前に佇む聖剣を地面から引き抜き、用意した鞘に納めて背中に帯びる。
相手は強力。
全力を惜しんでは仕留め遂せない獲物だ。
タガネは細く息を吐く。
「さて、決着をつけようかね」
夜空の下で鬼が笑った。
夜明け前の騎士学校。
ライアスは学校周辺を歩き回っている。
片手には剣を提げていた。すでに抜身の状態であり、月光に鋼が妖しく濡れ光る。
その視線は月下の校庭を見回した。
隈なく探すことしばし。
遂に探していた物を捉えた。
校庭の東に広がる平原。
そこで一人の男が佇んでいた。
拳一つほどの微光する紺碧の火球を掌上に持って眺めている。
ライアスは足を止めた。
紫の瞳が振り返る。
「また君か、ライアス」
「剣の修行だ」
「すまないが、今は相手ができ……ほう、真剣を持ってどうかしたのかね」
「アンタと試合がしたい」
「殺し合うつもりか」
ライアスは顔を伏せた。
ぎり、と柄を軋ませるほど手に力がこもる。
「ミラに追いつきたい」
「…………」
「その為に、もっと強くならないといけない」
「愚かな」
「実戦に優る経験は無いだろ」
「愚昧極まる……が、嫌いじゃない」
男は大剣を振り掲げた。
歪な剣先は、紫色になって月光を照り返す。
試合の希望が受理されたと見て。
ライアスもまた低く腰を落として剣を構える。
暗紫色の怪剣。
あれは、魔兵器に相当する代物である。
素人の目でも初見で判った。
「これまで幾度か面倒を見た誼だ」
「…………」
「殺しはしない。いや……腑抜けなら斬るまでだ、いつでも来なさい」
「おおッ――!」
ライアスは剣を上段に構えて走る。
大剣の間合いに入った瞬間。
頭上から唸りを上げて凶刃が迫った。
予測していた攻撃に、ライアスは間合いに入っる直前で横へと飛びながら、大剣の側面から打って払う。
どごん。
鈍い音を立てて地面が裂ける。
ライアスの手元が痺れた。
それが戦慄となって全身へと伝播する。
尋常な受け太刀では、確実に押しつぶされる。重量もさることながら、男の膂力はそれを片手で扱ってこの威力だった。
ライアスは果敢に前へ踏み込む。
振り終えた男の隣を過ぎて。
「はあッ!」
胴を一閃する――直前で蹴りが腹部に入る。
ライアスは地面を転がった。
勢いが止んで、すぐ体勢を立て直す。
突き放してすぐ、男は翻身して駆け出した。
大剣で地面を抉りながら疾駆し、土砂もろとも巻き上げてライアスへと振り上げる。
網膜を焦がすほど盛大な火花が散る。
構えた剣ごとライアスの体が跳ね上がった。
衝撃が腕全体を強張らせる。
仰け反った体勢が戻らない。
その隙に。
男が大剣の切っ先を無防備な喉へとかざした。
両者は動きを止める。
「終わりだ」
「……殺すか、おっさん?」
「いいや」
男は大剣を剣帯に装着する。
首を横に振って微笑んだ。
「我が剣に怯まず正面から挑んだ」
「…………」
「それに、あと胴への狙い澄ました一撃は私でなければ躱せなかった」
「ほ、ほんとか!?」
「その胆力と技に免じて命は獲らない」
男の手が肩に置かれる。
「良き戦士となるだろう」
「よっしゃ」
「日中、君とミラの剣を遠くに見ることがあった」
「え……」
「ミラは確かに天才だ。だが、君ほどの丹念な修練で研がれた剣ほど用心深く無く、頻りに油断などで幾度も逸機を作る節がある」
「…………」
「君はミラよりも強いと私は思う」
男は西の空を見上げた。
その紫の瞳が細められる。
ミラと比した称賛に歓喜したライアスは、剣を握って男を見つめた。
「なら、もう一度」
「いや、速やかにここを離れるが良い」
「え?」
「私にも約束があってな。ここが戦場になる……君は早く立ち去れ」
男のまとう空気が変質する。
ライアスは呼吸ができないほどの重圧を感じた。
西の空を見る瞳。
その奥に獰猛な殺意が滾っている。
ライアスは、渋々とその場から走り去った。
男はそれを見送る。
「やはり、ミラか……?」
大剣をふたたび引き抜く。
後ろから、曙光が差した。
自身の影が伸びていく先へと、剣尖を向ける。
「ともあれ、もはや猶予は――無い」




