小話「意思を打つ」中
その子供はタガネといった。
この辺境で商館を建てるほどの栄えた商人の家の子らしく、母親は病床に臥せっており、つい先日に亡くなったのである。
タガネがいるのは、彼女の墓標の前。
最近作られた墓石である。
立派に名も刻んであった。
名は――『ヨゾラ』、東方の音で読む。
銀の瞳は、しごく興味の無い顔で少年を見るだけで、基本的には墓を見つめるだけで自身から動くことは一切しない。
ただ少年といるとき。
不思議と石の声は聞こえなかった。
名前だけを交換して、ただ時間が流れるまま静かに墓所で過ごす。タガネは黙って墓石を眺めるだけである。
少年もその隣に座るだけだった。
それから日が暮れて。
家に帰るとやや騒がしかった。
その原因は父と兄だった。
「親父の造形は古すぎる!」
「これで成功きたんだぞ!」
「俺には合わない」
「なんだと、おまえは――」
言い争う二人を前に。
母は止めるか逡巡している。
その日、結局二人の喧嘩は終止符が打たれず、そのまま解散となった。ぽつりと晩に父が少年に継がせるかと呟いているのを聞いて、あの石の声を間近で聞き付ける地獄を想像した少年は身震いする。
その夜に彫刻に必要な道具の説明を受けた。
酒の勢いであるとしても、少年は辟易した。
翌朝。
逃げるように家を出た。
墓所に逃げ込めば、タガネはいない。
外では子供の遊ぶ声がする。
気晴らしに参加するかと足を動かしたところで、墓所に入る小さな影が見えた。目も醒めるような銀髪と中性的な顔立ちに思わず立ち止まる。
あの顔を見ただけで。
まるで非日常の中にいるようだった。
銀の瞳がふと少年を見咎める。
「またいる」
「お、おう」
「誰かの墓参り?」
「いや、違うけど」
「なにしに来てるの」
「ただ家にいたくなくてさ」
「そう」
タガネは手に花束を抱いていた。
それは、街近くの丘で採れる花ばかり。
「タガネは、毎日?」
「うん」
「母さんのこと大好きなのか」
「俺の家族、母さんだけだし」
「…………?」
タガネはそう応えるだけだった。
「タガネも東方出身?」
「なんで」
「母さんの名前がそうじゃん」
「……母さんが東方出身なだけ」
「なるほど。て、ことはタガネって名前も?」
「石削りの道具の名前らしい」
「へ、へえ……」
石削り、と聞いて。
少年の心臓がどきり、と跳ねた。
「家で心配する人はいないのか?」
「父さんはいるけど」
「いるけど?」
「あの人は母さんが好きなだけで」
その先はタガネも言わなかった。
それからも墓所に通い続けた。
何日も。
何日も。
その度に、一人のタガネを見る。
彼は本当に、独りだった。
幾度も顔合わせはしたが、友達になろうという勇気もない。タガネから好意的に接してもらっこともなく、たまに振り返るだけ。
それだけの関係だった。
ある日。
父と母は少年を連れて、遠くの王都へ仕事があると嘯いた。その間、兄に留守を任せることにしたのである。
訝りながらも承った兄の不審顔。
少年は墓所にいるタガネに挨拶だけしにいった。
変わらずに独り、墓石に向き合う。
少年はその背中に声をかけた。
「よう」
「……なに?」
「これから家の用事で王都に行くんだ」
「あっそ」
「もしよかったら、一緒に来るか?」
「…………」
タガネが小首を傾げる。
「家にいるのが嫌なんだろ。それに、出発まであと一刻はあるから、荷物準備して……黙って行っても文句は言わないだろ」
そう言うと。
タガネは首を横に振った。
「母さんが寂しがる」
「そ……うだよな」
少年は苦笑した。
「それなら何か土産買ってくるよ」
「土産」
「甘いお菓子とか」
しばらくタガネは黙った。
それから、小さくうなずく。
少年はそれだけ満足して、手を振りながら去った。
王都に行ってお菓子を買う。
その任務ができた。
タガネの喜ぶ顔を想像して馬車に乗り込んだ。王都に着いて、お菓子を買うときも、あの無表情が変わる瞬間だけを想像した。
そして。
次に会うときは友達になろう。
そんな決意を胸に抱いた。
だが、現実はそれを許さなかった。
「うそだ」
帰ってきて、絶望した。
タガネはいなくなっていたのだ。
否、タガネだけではない。
街から多くの子供が消えていた。
血に塗れた街の景観に、ただただ唖然とする。家に帰れば、兄らしき肉片も目撃した。
大人に話を聞けば。
家を出る前から魔獣の大発生があったという。
衛兵が報せたときには、すでに辺境の街に迫っていたのだ。対抗しようにも、傭兵を募るには時期が遅い上に、援軍を頼んでも間に合わない。
街が抱える戦力も心許なかった。
ゆえに。
大人たちは囮を使うことにした。
彼らの総意は、また子供は産めるという身勝手かつ非人道的なもので、子供をその的にしたのだった。
結果。
知らされなかった子供は取り残された。
魔獣に食い荒らされ、その隙に皆は避難したのだ。
父がなぜ、兄を家に残したか。
それは、自身と相容れない兄よりも、家を継がせて可能性の豊かな少年を残した方がいいと、敢えて兄を囮役に指名した。
あの兄の不審顔。
それが最期に見た顔だったのだ。
いや、それよりも。
少年はタガネが消えたことに虚脱感を抱いていた。
あの子も食われたのか?
せっかく約束したのに。
大人たちに聞けば、嫌な顔をされて突き放される。墓所に行けば、ヨゾラの墓石は血を浴びていた。
結局、タガネの安否は諦めた。
それから。
父の跡を継いで彫刻師となった。
石を避けて、その結果から運良く生き残った。兄を死に追いやったのは自分ではないにせよ、生き残ったことに自責の念が絶えなかった。
そして。
タガネという名。
石削りの道具と同じ意。
せめて、この石刳りを手がかりにタガネと繋がる。あのとき強引に連れてでも行けば、きっと魔獣になど襲われはしなかった。
石を削る。
魔獣や大人を憎みながら。
そして、タガネに謝りながら。
十四になった頃。
遠い地で名を挙げる剣士の噂を耳にした。
父の伝手で知り合いの彫刻師の家で世話になっている。そこで改めて弟子になり、彫刻師として励んでいるときだった。
鬼のような戦いぶり。
若くして数々の逸話を残す剣士。
その名は――。
「……『剣鬼』タガネ?」
いつかの。
あの墓所にひっそり佇む背中を思い出した。




