小話「意思を打つ」上
僕の友達だった人の話。
鬼になって、英雄になった。
そんな話を風の噂で聞いたことがあるが、果たして本当かどうかも分からない。
一つだけ確かなこと。
それは彼も最初は、ただの子供だったことだ。
辺境の街の早朝。
この辺境でも名高い彫刻師の家では石を打つ音がする。
かつ、かつと。
跳ね返る音は石の声。
ひたすら石と向き合い、対話をする。
彫刻に必要不可欠な技能だと彼は嘯く。
その音を枕元に。
少年は薄く目を開けて起きた。
「また、父さんと兄さんか」
託ち顔で起き上がる。
扉を開けて部屋を出た。
すでに居間の床は石の粉で白くなっていた。
二人が黙々と石を打つ。
こちらに一瞥もくれない素振りが、いかに意識を石との対話に傾注しているかがありありと窺える。
少年は黙って母の朝食作りを手伝う。
石を刳るのは容易ではない。
小道具だけでも何種類かある。まだ教育を受けていない少年は、曖昧なことしか知らない。
いま目の前で石を刳る年の離れた兄。
幼い頃から英才教育を施され、友人と遊ぶ間もなく仕事を継ぐのだと熱中していた。
才能もある。
父は彼に家を継がせるつもりだった。
兄がいるからか、少年には特に目をかけずに放任している。
少年はまだ五歳。
たしかに任せられる物では無い。
恐らく先にも望んでいないはずだ。
少年は家の中では肩身が狭かった。
「お、飯はできたか」
「腹減った」
朝食の匂いを嗅ぎつけて。
石から離れた二人が食卓へと駆け寄る。
煩わしかった石の音が、ようやく止んだ。
だが、朝食が終わればまた始まる。
少年は逃げるように家を出た。
耳に親しんだ音は、たとえ家を離れても鼓膜の内側で鳴り続けているような錯覚がする。振り払おうとしても、消えてはくれない。
一人で苦悶していると。
気づけば墓所に辿り着いていた。
無我夢中だったこともあり、我に返ってそこにいると知るや呆然と立ち尽くす。
ふと。
一つの墓石に子供が屈んでいた。
少年は興味本位で近づく。
「なにして――」
話しかけようとして息を呑む。
見たこともない銀髪だった。
元からそれが珍しいのもあるが、加齢などで色が抜け落ちた白髪などとは、別の艶やかさがある。
まるで、磨かれた鋼のようだった。
気配を感じだ子供が振り返る。
その瞳も、銀色。
顔立ちは男か、女かも分からない。
人の形をした神秘のようだった。
相手の容姿に面食らって言葉が出ない。
「……誰?」
子供が訝しんで問う。
これが英雄であり、鬼の前身。
将来、剣聖として名を馳せるタガネと、少年の初めての出会いだった。




