小話「冒涜者の宴」⑨
ルキフェルの体から魔剣を抜いた。
正面から圧倒的魔力の渦が迫る。
回避は不可能。
タガネは剣一本で奔流を捌く他ない。
身体強化を行うほどの寸暇もない現状、持ちうる対抗策は技である
祈りの力。
ただ対象の消滅を願って捻出された純粋な凶器は、斬り掃う剣にも途轍もない重圧としてのしかかった。
一瞬で訪れる絶体絶命の危機。
切っても斬っても、際限なく押し寄せる。
両者間で烈しく生と死が錯綜した。
「おおおおおおお!!」
『マコトを騙るなんて、なんと愚かしや!』
「知るか!!」
死力を尽くして破滅の祈りに抗う。
想いに打ち克つには想い。
タガネの狂気と理性を総動員する。
光の暴力の渦中で、さらに加速した。一歩たりとも退かずに、ルキフェルまでの道を斬り拓く。
二人の相克が高まる最中。
その足下の路地が漆黒に染まった。
第二のルキフェルの直下から黒い杭が突出し、歪で不完全な体を滅多刺しにする。渦が光子となって分散し、タガネも動きを止めた。
その背中に白い手が触れる。
タガネは後ろを。振り返った。
「フィリア」
「遅くなりました」
「無事かい」
「ええ」
フィリアが瞑目する。
タガネの体が淡い微光に包まれた。
右足首の捻挫が回復していく。
「すまんな」
「いえ、これくらいは」
フィリアは微笑んだ。
顔色は悪く、明らかな無理か滲んでいる。
タガネは前に向き直って魔剣を振るった。ルキフェルの両翼が斬り落とされ、体を支える腕を損傷して路地に倒れた。
隣のフィリアに片手を触れる。
白銀の光が体へと伝わった。
「これは……」
「今なら毒素も抜けるだろ」
「……はい」
ルキフェルの瘴気。
そこに含有される毒素が体を冒している。
自身の死の回避より、タガネの助勢へ。
強い意思で毒を抑えていた。
フィリアは噛み殺していた苦痛の解消に取り掛かる。祈りの力で血流に乗って拡散し、循環する有害な要素を無毒化した。
聖女の魔力。
それは本来は、守護や治癒に特化している。
更にタガネの魔力が掩護し、その力は高まっていたので、ルキフェルの毒とて注力すれば容易に解毒した。
ようやく回復して。
フィリアがほっと細く息をつく。
「助かりました」
「お互い様だ」
「さて」
タガネは周囲を見回す。
そこかしこで何かが高く浮上した。
目を凝らすと。
夥しい小型のルキフェルが飛翔している。羽音を鳴らして、辺りを黒く染めんばかりに数を増していた。
都市の辻々にも影が湧く。
先刻と同じ歩行型の分身だった。
タガネはフィリアの背後に立つ。
「まさか分裂するのか」
「いえ、血です」
「血」
「流した血量に応じた体格、質が発生するんです。ここに来る途次、そんな現象を目の当たりにしました」
「そうなると有効なのは」
「ネルさんと同じ戦法です」
「いや、火が無くとも殺れる」
タガネは魔剣を地面に突き立てた。
それから。
片腕でフィリアを抱き上げる。
「ふぇっ!!!?」
「しっかり掴まってな」
腕の上に彼女を座らせる。
タガネは魔剣の柄頭に手を乗せた。
「対象からネルと弟を除外してくれな」
「な、何を……?」
「――――『晩鐘』」
タガネが一言唱えた。
魔剣を中心に鐘の音が鳴り響く。
都市全体へと音が伝播すると、地下全体の路地から銀光が上がり、照らされた小型や歩行型の分身ルキフェルの体が霜を踏んだような乾いた音を立てて石化していく。
タガネは柄を握り直した。
「『星を喚ぶもの』」
「えっ」
天井付近に極大の光輪が浮かぶ。
内側から、光を放って小さな星が降り注いだ。
都市に容赦なく破壊の限りを尽くす。礫の一つでありながら、辺り一帯を吹き飛ばして石化したルキフェルたちを粉砕した。
その風景を。
フィリアは唖然として見つめる。
背後でルキフェル本体が動いた。
その体から血が噴き出す。
「させんよ」
『マコ――』
「『飢え渇くもの』」
ルキフェルの流血。
それが急速に乾いていく。
都市の各地にあったルキフェルに由来する物を吸収した。
タガネが魔剣を路地から引き抜く。
「もう話を訊くのは諦める」
『マコ、ト……』
「すまんな」
胸郭の顔を貫く。
湧水のごとく黒い血が噴き出す。
ルキフェルの全身から力が失われた。地面に草臥れて、一切の動きを止める。
タガネは血を払って魔剣を鞘に納めた。
腕の中のフィリアを下ろす。
「二人を迎えに行くか」
「ええ」
「どうした?」
「いいえ……」
恍惚としているフィリア。
タガネは怪訝な顔で見つめながら歩いた。
彼女がその後を追う。
「タガネさん」
「何だい」
「彼女は……ヘルベナなんでしょうか」
「そうかもな。……その原因を作った奴に心当たりはある」
「それは?」
「帰ってからの相談だ」
タガネは嘆息した。
振り返って、ルキフェルを見やる。
十二の死で最悪の悪魔。
その正体が聖女――誰がその身を醜悪な物へと変えたのか、非道と称しても十全な形容ですら無いとさえ思える所業である。
張本人は、よほどの狂人。
たやすく人を貶める本物の悪魔である。
タガネには、一人だけ心当たりがあった。
「尋問だな」
独り言ちて。
ルキフェルのいるその場を後にした。




