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早朝に天守閣を出た。
タガネは曙光を浴びて目を細める。
一時に決着は付けられなかった。
遺憾ながらもベルソートによる助勢で刃傷沙汰までには発展せず、カムイを退かせて束の間の安寧だけが約束された。
もっとも。
相手はいつ破られるとも知れない。
悠長にはしていられない身となった。
タガネは自身の隣を見る。
「早いな」
「監視ですので」
「眠くないのかい」
「務めに障りないほどに」
目も合わせず。
アカツキは淡々と応答する。
まだ出会って若干一日、本人が感情の色をいっさい見せないので、一定の距離感を保っている。
滞在者と監視役。
そこをアカツキは譲歩しない。
機械めいた徹底ぶりを感じさせた。
タガネ側にも心を寄せる積りはない。
親密になっても去るだけ。
おそらく、今生で一度の日輪ノ国になりうるので、ここで徒に距離を縮めても、ここに残して行くので後始末が悪いのだ。
タガネは嘆息する。
「おい、アカツキ」
「はい」
「俺は日輪ノ国を観光したいんだが」
「どうぞ。お供します」
タガネは後頭部を掻く。
「俺はここをよく知らん」
「はい」
「おまえさんは?」
「仕事で城下の巡回などは一通り」
「なら、案内してくれな」
アカツキは一瞬黙った。
「監視以外の務めは」
「つまらん所なら出国るぞ」
「……承知しました」
アカツキが了承した。
若干の不満が見受けられる。
半ば脅迫のような己の言回しにタガネも苦笑した。
二人で観光案内の契約が交わされたと同時に、天守閣の門を潜って二人へとローブの老爺と単衣を着崩した少女が歩み寄る。
ミシェルは寝惚け眼をこする。
曙光を背に立つ二人を煩わしげに睨んだ。
「二人とも眩しい」
「阿呆か」
「挨拶代わりの罵倒っスか」
「間の抜けたこと言うからな」
「未来の妻を労るっス」
「来ねえ未来には要らねえだろ」
ミシェルが肩を落とす。
ふと。
隣のベルソートが静かなことに気づく。
普段の彼を知る者からすれば天変地異に等しく、タガネとミシェルは異様な緊張感に黙ってそちらを見つめた。
沈黙のベルソート。
その唇が小さく震える。
「厠は何処じゃ」
「放っておくっスか」
「行くぞアカツキ」
「はい」
「何でじゃ!?」
三人で背を向けて歩き出す。
「ワシ限界なんじゃぞぅ?」
「勝手にやってろ」
「あれだけ済ませといてって言ったんスけどね」
「まず、あちらから行きましょう」
タガネは冷たく切り捨てた。
ミシェルは呆れて長嘆する。
アカツキに限っては無視していた。
「ええい、漏れても知らんぞぃ」
「行けよ」
ベルソートが後に続く。
アカツキが先頭に立って歩いた。
「何処に行くんだい」
「まずは朝食です」
「……それは?」
アカツキが振り返った。
「蕎麦です」
発表された内容に。
タガネとミシェルは目を瞬かせた。
「ソバ」
「なんスか、それ」
「おまえさんは二年以上いたんだろう」
「味噌汁の虜っス」
「凄まじいな」
アカツキは黙々と案内した。
導かれて辿り着いたのは一軒の家屋。
紺の暖簾が引戸の前に垂れ、裏手から蒸気が立っている。脱穀した米に似た奇妙な匂いが鼻腔に入り、ミシェルはますます疑問で顔を曇らせた。
タガネも沈思する。
ソバ――とは母が話していた。
大陸西方で辺境の郷土料理だったが、最近は店が各地に建てられ、流行しつつある小麦粉を長い紐状に捏ねた物に似ていると聞き及んでいた。
タガネも食したことがある。
だが。
匂いは少々異なるようだった。
「さっそく初体験ってか」
「美味しいんスかね?」
怪訝なミシェルから入る。
タガネも暖簾を潜って行った。
引戸の向こう側。
そこは厨房に沿った張出しのような卓に、人が立って何かを啜っていた。湯気を面に受けて、露を結ぶ肌をときおり拭いながらも一心不乱に箸で掻き込んでいる。
タガネたちは呆然とした。
「立食いっスか!?」
「こりゃあ、また妙な風情だな」
「ほとんどは店内まで入らず、店頭で受け取る形式です」
「ほう」
タガネたちは卓まで寄った。
空いた場所へと配置する。
「蕎麦ってのは」
「はい」
「何か種類でもあるのかい」
「お勧め、といえるほど味に優劣は付けられません。ですが、初めての方ならば『かけ蕎麦』かと」
「そうかい」
厨房の奥から割烹着姿の女性が現れた。
「いらっしゃい」
「かけ蕎麦三つ」
「あれ、一つ足りんぞぅ?」
「漏れる寸前には要らんだろ」
「ひどい!?」
ベルソートが悲鳴を上げた。
「おや、タガネ様じゃないか」
「飯を食いに来ただけだ。客扱いにしてくれな」
「はは、承りました」
女性が厨房で忙しなく動く。
一度に別の釜の面倒を見たりする。
右へ、左へ、後ろへ。
見ていて忙しいのに、どこか落ち着いた手際を全員が注視した。
「楽しみっスね」
「ああ」
そうして。
四人の前に椀が差し出された。
「へい、お待ち」
「これが」
「蕎麦……」
タガネとミシェルは刮目してその椀の中を覗いた。




