小話「毒祖」( Ⅴ )
依頼から十日後。
アヤメとマヤが不在となった古城で、カルディナは露台で夜空を見上げていた。傍らに愛用している大盾と十字の意匠が刻まれた長剣を塀に立て掛けている。
片手に酒瓶を持ち、晩酌に興じる。
本来なら副団長と飲むのが日課。
彼を二人に伴わせたのもあって、独り酒で喉を潤す。
リャクナの根城と思しき地点に潜入しているであろう二人の剣士の武運を祈って、頭上に瞬く星に祈る。
それは、あの日の光に似ていた。
星空から迫る大岩。
大地との間に、白銀の星が閃く。
命を散らすような剣撃で大岩を空に留め、あまつさえ世界最悪の魔獣と相討ちに持ち込んだ。
皮肉なのか。
星の瞬く夜空の中に散る運命とは。
「二人して私を置いて行くとは」
カルディナは独り苦笑する。
妻のヨゾラは、いつも星を見上げていた。
どんな意図があるかと尋ねれば。
『いつ見えなくなるか判らないし』
自身の短命を憂いていたのである。
毒に冒されても。
ヨゾラの美しさは衰えなかった。
際立っていく一方で、異なる次元に存在する生命なのではないかと言わんばかりだ。誰かに譲ることが恐ろしいので傍に縛り付けたが、懐にいるほど自身が手にしていて良い代物であるか不安にさせられる。
それに。
カルディナの胸に一抹の罪悪感があった。
本来なら誰の手にも入らない。
ただ死に際に、偶然にも彼女の目に留まっただけに過ぎない自分が手にした僥倖は、許されざる罪と紙一重である。
本当に彼女は幸福だったのか。
最後に交わした会話にも気遣いが感じられた。
だからタガネとも話したかったのだ。
最期に彼女は笑えていたか。
せめて、カルディナの手でなくとも幸せの中で眠れたのかを。
最早、それを知る術も無い。
せめてもの救済は、ヨゾラの命がタガネに継がれ、その先のアヤメに繋がれたことである。時代が変遷しても絶えずに生きている。
未だ立ち直れはしないが愛した命で未来は紡がれている。
小癪にも。
剣姫に諭された後とあって、自分の執着心の醜さを自覚している。
だから、アヤメににまでは向かない。
向けてはならない。
「私は愚かだな」
カルディナは夜空を見上げた。
瓶を塀の上に安置する。
それから長剣と大盾を手にして身を翻した。
「何用かな?」
「少し良いですか、団長」
振り返った先で。
三十人以上が露台に出ていた。
屋内に控えている人影も含め、おそらく古城にいる人員のほとんどがいると察する。
広い空間が人で占められ、塀にいるカルディナと数歩分の距離を置いて半円形に包囲した。
戦支度の彼らを鷹揚に迎えるカルディナ。
その姿に誰かの舌打ちが響く。
「リャクナの手先かい」
「お気づきでしたか」
「悪習ほど伝染しやすいね」
「カルディナ様にお願いです」
「聞こう」
「リャクナ様の手を取って下さい」
「反吐が出るね」
カルディナは鼻で笑った。
露台の風が吹き上がった殺意で凍てつく。
常人ならば肺を荒縄で縛り上げられたような苦しさを感じる緊張感――にもかかわらず、その微笑を消すには足らない。
集団から一人が進み出る。
「征服団は生まれ変わります」
「ふむ」
「前線に出なくなった臆病者は、ここには不要です。時代に淘汰される、新しい時代に代わるのです」
「……新しい、時代か」
カルディナは改めて空を見上げた。
執着する先を失って。
蛻となっていくだけなのに影響力だけは強く後から来る新鋭を抑え留める自分は、なるほど時代にとって置き去り難く、さりとて害悪だけでしかない。
その鬱憤が、新時代に利用された形だが、これを理不尽と断ずる権利はカルディナには無い。
新時代に懸ける。
彼らの目には、歪ながら強い意志が宿っている。
それならば。
自身も新しい時代を担う誰かに懸ければ変われるのではないか。
なるほど、と頷いて。
「私は引退する身だ」
「では」
「いずれ征服団は変わる」
「お別れですね」
「だが、それは私の去った後で良いのだよ」
カルディナが長剣を掲げた。
「私の信じる新時代を見届けてからでも」
「ならば殺すまで」
「今の貴方では我々には勝てない!」
「前線を離れた小心者が!!」
一人が前に飛び出して斬りかかる。
それをカルディナは微笑みで迎えた。
翌朝。
アヤメとマヤは古城に帰還した。
心身の疲労で顔色を悪くした副団長が後ろに続く。門の前に立って叩扉の音を打ち鳴らすが、一向に開くことがない様子を訝りながら副団長の意思で入る。
そして。
古城の前庭の光景に絶句した。
壁も床も、すべてが血に濡れた凄惨な風体。
数日の内に遂げた変貌の衝撃に、副団長すらも数瞬の自失を強いられた。
そして。
アヤメは周囲に視線を巡らせた。
庭の一画に佇むカルディナを発見する。
「な、何があったんですか!?」
「ああ、アヤメ君」
カルディナは微笑んだ。
その顔に、副団長の背筋に悪寒が走る。
「……戻った」
歩み寄って来るカルディナ。
その一歩、いっぽにアヤメたちは息を呑む。
やがて直近に立った彼の手が、アヤメの手に置かれる。
「頼むよ」
「え?あ、は、はい」
カルディナの昏い瞳。
その視線に気圧されてアヤメは頷くしかなかった。
その隣で副団長は確信した。
彼は、新しい夜空を見つけたのだと。




