小話「洞吹き」⑵
そばまで歩み寄った。
草臥れた子供の体を見下ろす。
土で汚れた丈の合わない貫頭衣の裾と袖から細い手足が伸びる。外見は齢五つほどの男児だが、明らかに尋常な様相ではない。
路傍にただ一人。
タガネは顔を苦々しくして。
「ううむ」
唸るしかなかった。
眼前の光景が記憶を呼び覚ます。
それは剣鬼としての最後の年。
干上がった田畑を傍らに王都へと伸びる農道の中央で幼い少女が倒れていた。本性は魔獣であり、かなりの痛打を受ける仕打ちとなった事件である。
如何に似ているとはいえ。
さしも同じ手合による出来事ではない。――と、信じたかった。
タガネは嘆息する。
手元に魔剣がいれば、人外かを判別できた。
ただ無い物を惜しんでも虚しい。
「小僧」
「…………」
「ちっ」
タガネは腰から剣を抜く。
器用に傷つけず先端で子供の顔を持ち上げる。
改めて、その人相を覗き込んだ。
傷跡は無いか、顔色が優れない。白い肌は肌理の細かさではなく、血色の無い不健康の表れだった。
抵抗の意思は見受けられない。
タガネは剣を鞘に納める。
人の姿に化身した魔獣かは不明である。
ただ。
魔獣が発生する地域で無防備に倒れている状態を看過はできない。依頼の関係上、捨て置くわけにもいかず渋々とその腕をつかむ。
油断なく相手を見つつ。
そのまま抱えあげようとした。
「――こらこらこらこらこら!!」
「っ!?」
タガネの左側。
山の斜面から怒号が響き渡る。
見上げた先で、乾いた破裂音とともに次々と樹幹が破裂する木々の異常な光景を捉える。破壊される樹木は、だんだんと接近していた。
子供を脇に担ぎながら飛び退く。
数瞬前までいた地面。
そこに一本の長槍が鋭く突き立つ。
茎に蜷局を巻く蛇の意匠をした赤い長柄の外見に業物であると瞬時に察知した。さらに大気を震わせる怒声の主は、投擲による精密な狙撃の腕がある。
手練の気配!
タガネは剣を再度引き抜いた。
「魔獣ならまだしも」
「子供を拐かすつもりか、この――」
「……人間相手かい」
「変態めがぁああ!!」
猛然と山の斜面を駆け下りる影があった。
タガネは更に後ろに退いて距離を取る。
長槍相手の戦闘には愚策。
だが、争う気は無い。
互いの認識を共有できるだけの猶予が作れる間合いにする必要があった。槍の刃圏よりも遠くへと移動する。
木っ端を蹴散らして。
人影が山道の路上に躍り出る。
槍の長柄をつかみ、その場に仁王立ちとなった。
赤い双眸が剣呑に光る。
柄を足で蹴って回転させた槍をつかみ、流れるように構えの姿勢に体を運んだ。その無駄の無い挙措から実力が窺い知れる。
だが。
それよりも優る印象がある。
タガネは闖入者の顔に瞠目した。
「その子を放せ!」
「まさか……」
「強情なやつめ。ならば我が槍にて――」
「フレデリカ」
「成敗してや…………ほえ?」
いざ飛び出さんとした。
身を低くした闖入者が動きを止める。
赤い瞳が怪訝に細められた。
タガネは剣を軽く顔の横で振る。
顔と剣を見比べて。
だんだんと闖入者の目が見開かれる。
そして――。
「け、け、け、剣鬼ぃぃいい!!」
「やはりか」
滂沱とあふれる落涙で顔を濡らす。
闖入者が叫びながら突進する。槍を横に放り、腕を目いっぱい広げてタガネに迫った。
対して。
タガネは横へ飛退いて回避する。
「なぜ避ける!?」
「痛いから」
「あ、ごめんなさぃ……」
闖入者が肩をすぼめる。
タガネはその様子に呆れ笑いをこぼす。
槍の使い手は面識のある人間だった。
赤い長髪を横で一つに結わえ、鋭いめ付きだが可憐な出で立ちの女性である。漆黒の軽甲冑に、帝国の紋章が刻まれた特殊な造形のそれは、見紛うはずの無い物なのだ。
何より。
先刻の槍による奇襲。
あの芸当が可能な人間を、タガネは一人しか知らない。
拳聖と並ぶ帝国最強の三人の一角。
槍王フレデリカその人である。
「うぅ、生きて、生きて……!」
「ああ」
「じ、死゛んだっで聞いで……!!」
「まあ、色々とあってな」
「わたじは三日三晩を涙で、なみ、なみだでぇえええええ!!」
「面倒くせえ」
タガネが辟易して顔を歪める。
フレデリカの人柄は人情に篤い。
剣姫の好敵手とされ、規則を重んじる性格から軍隊で誰よりも人望がある。
若く、美しく、強い。
これらが槍王を際立たせている。
しかし――それは表向きの体裁。
本人の正体は、内向的で寂しがりな一面がある少女だった。会議での相手からの皮肉や罵りにすら涼しげに応じるが、いざ誰もいないと確認するや意気消沈して抱え込む。
なお。
その完璧な外面と消極的な内面。
これにより近づき難い印象が作られ、友人はいないに等しい。
タガネという、例外を除いて。
「生きてたなら一報を寄越せ!でも顔が見れてとても嬉しい!!」
「忙しくてな」
「忙しいのはマリアだろう!?結婚おめでとう!!」
「おまえさんは忙しないな」
タガネが苦笑する。
決して、悪者ではない。
ただ、その扱いに難儀する。傍から見れば情緒不安定な彼女を捌けるのは、タガネと帝王だけだった。
フレデリカが友人と認めるのはマリアとタガネのみ。
タガネの場合は、とある戦線で一人戦場でのほんの小さな失態をひたすら悔いていたところに遭遇し、不器用ながら慰撫の言葉をかけたときからの関係である。
フレデリカが胸を張る。
「再会を祝おう!近くに酒場は!?」
「いま任務中だ」
「また依頼…………?」
フレデリカが目を潤ませる。
タガネは肯いた。
「近辺に胎窟があるらしく」
「ふむ」
「それが何やら面妖でな、移動するとのことだ」
「そうなのか!?」
「それを確かめる調査依頼だ」
「…………なるほど」
「おまえさんは、どうしてここに?」
「軍を辞めた!」
「はっ?」
思いもよらない返答。
タガネは目を点にして奇声を漏らす。
「だって友達が死んだ後だぞ!」
「あー、うん」
「肩を並べて戦える人がいない!私辞める!バーズとか他の人もみんな私のこと適当に扱うもん!!」
「そ、そうかい」
ふと。
脇で子供の体が身動ぎする。
その存在を失念していたタガネは、抱えたその矮躯を見た。まだ起きた様子は無いか、微かな呻吟の声が聞こえる。
フレデリカもそちらに視線を落とした。
「その子は?」
「路上に倒れていた」
「……とりあえず、落ち着ける場所に行こう」
「ああ」
この少年の正体が何か。
フレデリカの意見も必要だった。
タガネは了承して、二人で山道を進む。
その後ろ姿を、木陰から二つの視線が見つめていた。




