小話「雨の子」上
世に語られる十六魔兵器。
只人には決して得られないとされる。
歴史に名を残す英雄の十分条件であり、世界的にこれを手にした者はその末路が幸運であろうと悲劇であろうと、幾代もの後世にすら記憶に名を焼き付ける。
その中でも。
名実ともに至高とされる逸品。
それこそ――『魔剣レイン』。
入手してからは、剣聖タガネが最後の戦場まで愛用し、その戦中にて剣自身も進化し、他の追随を許さない位階に到達した。
誰もが認める最強の兵器。
故に。
先に魔剣として名を馳せていた物は、全てが新たな呼称を設けられる形で格下げされ、唯一無二にして絶対となった。
今や誰もが知る魔兵器。
だが。
そんなレインにも知られざる日常があった。
剣爵家の屋敷にて。
早朝にレインは目を覚ます。
柔らかい毛布に埋めた体は、未だ寝目覚めの懈さで更に沈み込むようだった。
窓外は朝霧に包まれて霞んでいる。
まだ起きるには早い時間帯だ。
レインは毛布を手繰り寄せて顔まで覆いつつ――隣で眠るタガネに身を寄せた。
彼の肩に頭を乗せて再び寝入る。
その瞬間。
「レ、イ、ン〜?」
「青いぴかぴか、うるさい」
「出なさい」
腕を引かれて。
寝台から強引に放り出された。
瞼をこすりつつ、毛布の外に連れ出すという暴挙に打って出た相手を非難めいた意思を孕む水色の瞳で睨め上げる。
寝癖がついた水色の毛先が跳ねた。
寝間着に包んだ幼い体で蹌踉と立ち上がる。
そうして。
欠伸を一つこぼした。
「タガネと寝る」
「ここ、夫婦の寝室よ」
「む」
レインの顔が曇る。
表情は希薄だが、既に交流関係は長い。
マリアにもそのわずかな機微も読めた。
だからこそか。
レインの胸中の不満の原因。
これが容易に察せられる。
星狩りによる激闘で一時は致死の危殆に瀕したタガネの体に、自らの生命力を注ぎ込んで絶命を回避させた。
その代償に、魔剣としての性能は残しながらも、内在する人格は消滅寸前の状態で長い眠りについたのである。
それが半年前。
レギュームの依頼による凍岳域で膨張しつつあった『ディーンオーズの魔宮』解体の折に、莫大な魔素を吸収したことで復活した。
久しくタガネと触れ合える。
そんな日々に胸を躍らせたレイン。
眠っている間も朧気ながらに外界の出来事を認識していた。その過程で、タガネがどうなっていたかも承知している。
それは――。
「そこ」
レインが寝台の上を指差す。
タガネの隣を示していた。
「そこ、レインのとこ」
「ご主人様が取られて不機嫌なのね」
「分不相応」
「――何か言ったかしら?」
マリアは小首を傾げた。
室内が凍てつくように冷たい声で問う。
それでもレインは動じない。
事も無げに、小さく鼻を鳴らした。
「タガネ、いつも言ってる」
「何よ」
「青いぴかぴか、うるさいって」
「…………へえ」
マリアが寝台に振り向いた。
怒りの焔を紺碧の瞳の奥で燃やす。
「敵襲ッ!?」
本能的な危機感を悟って。
タガネは勢いよく寝台から跳ね起きた。
そして。
怒髪天のマリアと目が合う。
「……敵襲?」
「寝ぼけるのも大概にしなさい」
タガネは部屋を見回した。
相対するレインとマリアの雰囲気に、背筋に寒い物を覚えてゆっくりと警戒の構えを解く。
そっと。
半足ぶん後ろに寝台の上を動いた。
「やけに殺伐としてるな」
「誰のせいかしらね」
「……ああ、あれか」
原因に思い当たる節があった。
タガネは寝台の上で頭を垂れる。
「すまなかった」
「…………」
「一緒に寝るのが面倒臭いとか言って」
「それ蒸し返す気かしら?」
「え゛、違うのかい」
「違うわよ!」
マリアが怒鳴った。
その脇を通って、タガネの横にレインが滑り込む。
「青いぴかぴか、レインいじめる」
「酷えやつがいたもんだ」
「眠いのに、出てけ言われた」
「血も涙も無え」
レインがふん、と満足げに息をつく。
再び毛布を体にかけて眠り始めた。
ぴしり。
乾いた音――否。
空気の凍りつく音がした。
タガネはすべてを諦観し、寝台に横たわる。
「朝から悪い夢を見た」
「タガネ、いっしょ寝る」
「ああ、勝手にしな」
タガネが腕を広げる。
レインの小さな頭がその上に乗った。
二人で寝息を立て始める。
「……どうやら、死にたいらしいわね?」
早朝から。
剣聖姫の怒りが屋敷を震撼させた。




