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出立まで、あと三日。
マヤは日課をこなしずつ準備を進める。
必需品については大方揃っており、諸々は当日に買い寄せれば問題無いが、魔宮潜りに耽溺しているアヤメの進行具合が案じられた。
これも傍付き騎士の務め。
マヤは立ち上がって自室を出る。
屋敷三階の奥側にある部屋を目指した。
その途中で。
「マヤ」
聞き慣れた声に呼び留められる。
マヤはばっ、と後ろへ振り向く。
後ろにタガネが立っていた。
「アヤメの部屋かい?」
「はい」
「ちょうど良い、俺も用があってな」
「勉強のお時間、ですか」
「そう」
二人で並んで歩く。
それは憚られてマヤは一歩後ろに控える。
その判断が却って苦心を呼び覚ます。
あの背中が前を歩くと、そちらに集中してしまう。抑えがたい胸中の騒めきに、もどかしさで体の芯がくすぐられる。
たちまち冷静さが失せていく。
マヤは悟られないよう深呼吸する。
「準備の方はどうだ?」
唐突なタガネの一声。
マヤの心臓が大きく跳ねた。
「問題あり、ません」
「旅は楽しみかい」
「……任務です、から」
「任務?」
タガネが振り向いた。
努めて平静を装って肯く。
「旦那様に頂いた命令です」
「…………」
「この数年で、私もお嬢様と親しくなった積もり、です。私も彼女に同道したいと願ったのもそれがあっての、こと」
「ああ」
「でも私は、まだ旦那様の命令……であることが最も大きいと自覚して、います」
「いや」
タガネの手が頭を撫でた。
その感触に、マヤの努力は呆気なく崩れる。
一瞬で悟った。
浮遊島を離れるだけでは断ち切れない。剣士になりたいという願いに、自身を剣に見立てて鍛え上げてきた。胸を締め付ける、この名前の知らない感情は剣を鈍らせる錆なのだ。
目指す剣から遠ざかっていた。
その感情がある限り、彼の背中に追いつけはしない。
目を見開いて、彼を見上げた。
「それでいい」
「え……?」
「わずかであっても、おまえさんがアイツの友人として共にいることを望んでくれたってのが重要だ」
「……はい」
「それに、アイツだけじゃねえ」
「…………?」
「おまえさん自身も、剣爵領地以外とも関係を結ぶべきだ。おまえさんにとって、世界の中でここだけが居場所ってワケじゃない」
「そうで、しょうか」
マヤは首をひねる。
もし、他に居場所があっても、そこに忘れさせてくれるほどの眩しい物があるか。
それこそ疑わしかった。
「おまえさんが望めば、何だって成る」
マヤはその一言に俯いた。
「多少の理不尽はあるがな」
「私が望めば、何でも」
麻薬じみた言葉だった。
望めば、そこに限界は無い。
奴隷時代ならば、根本からそれを否定していた。今では、恵まれすぎているほどの環境である。
それ以上を望んではならない。
自身の望みを叶えれば――この領地そのものを崩しかねない。
だが。
意思とは関係なく口は動いた。
「……なら、旦那様――」
「父上、遅いです!」
「ん、おお」
通路の奥の扉が開け放たれる。
その音にマヤは息を呑んで口を手で覆った。
アヤメが怒りの相で飛び出す。
タガネは苦笑し、そちらへと足を運ぶ。
「父上、あと三日ですよ!」
「すまんな、マヤと話し込んでな」
「……マヤ?」
「ああ」
タガネは後ろへ振り返って。
誰もいない通路にきょとんとした。




