8
本来は和やかな宴席のはずだった。
たった一つの出来事。
それだけで異なる様相へと変わる。
王宮の広間にて催された会場から少し離れ、全員が庭園へと移動していた。
庭園では。
すでに二人が正対している。
幼い鬼仔の騎士少女。
片やリューデンベルク近衛団の副団長。
戦歴などからしても、後者が圧倒的優位に思われる対戦である。
現に。
庭園に募った者の過半数。
それが彼の勝利を確信している。
もう、決闘後の敗北を喫した分不相応な鬼仔にどんな侮辱を味わわせるか、剣爵の専属騎士になったアムスを介した剣爵家への干渉の方法などを勘案していた。
立会人は剣聖姫マリア。
庭園へと進み出て、両者の間に立つ。
彼女が片手を高く掲げる。
これが下に振り下ろされた瞬間、決闘開始の合図となるのだ。
二人が一呼吸の間をおいて抜剣した。
「…………」
マヤは相手の武器を観察する。
大男の背丈に見合った刃渡りの大剣だった。
奇妙なのは細い剣身と、うっすらと血溝から刃まで等間隔に浮かぶ並行線の数々である。
絡繰仕込の手合と察した。
初手は相手の間合いを見測る。
マヤは前面で二本の剣を交差させた。
「軽く揉んでやるよ、へへ」
「…………」
相手の殺気。
庭園を包む嫌悪が犇と伝わってくる。
敵しかいない。
容赦なく相手は自分を刻みに来る。
だが。
怖じ気を震う程度ではない。
マヤはそれ以上に恐ろしい物を知っていた。
タガネと初めて出会ったとき。
当時の主人に命令され、傭兵が催した決闘大会に彼が乱入し、自身を商品として賭けた戦闘になった。
相対してすぐ、マヤは敗ける。
正確には、決闘にもならなかった。
ただ、鬼気迫るタガネに本能が恐怖して剣を手放した。体はそれから言うことを聞かず、戦わずして敗北する。
それに比べれば。
ここは逆境ですらならない。
「では――始め」
マリアの手が振り下ろされる。
すると。
早速アムスが大剣を振りかざした。
まだ刃を立てることもできない遠間。
マヤは相手の攻撃が空振った瞬間に飛び出す積もりで、身を低くして前傾姿勢になった。
長い剣の刃が閃く。
「そーらよっ」
「――ッ!?」
マヤの体に衝撃が走る。
交差した剣に刹那の火花が散った。
体がわずかに後ろへ押し戻される。
不意に。
視界の端を波打つ鋼色の線が擦過した。
そちらへ体を巡らせるや否や、金属音が炸裂し、マヤの手元が痺れる。剣身から伝わった手応えは、紛れもなく剣圧によるものだった。
次いで。
手甲の鉄板に亀裂が生じる。
何かが掠めた。
マヤは後ろに飛び退る。
一瞬の後、爪先の土が薙ぎ払われた。
アムスを再び見る。
「ほら、ほら」
「…………魔法剣?」
「蛇腹剣だっつの」
アムスが不機嫌に言い放つ。
彼の手には振り抜かれた長剣がある。
ただし。
その剣身は均等に分けられたかのような鉄片になっており、それらが光沢を帯びた鉄線で連結している。
彼が軽く振るえば、鞭のように走った。
鋭く地面を打ち、虚空を切り裂く。
生きた蛇のように滑らかに動作している。
「間合いなんて関係ないんだよ」
「…………」
「命が惜しくても降参なんて許さねぇぞ?」
「降参、無し」
「ああ。相手を殺すまでだ」
アムスが下卑た笑みを浮かべる。
勝利を確信していた。
彼自身の自惚れを差し引いても蛇腹剣の手練は凄まじく、数々の戦場で活躍した実績により裏打ちされた自負がある。
相手は戦場を知らない小娘。
初撃は手加減したので防がれたが、それでも翻弄している。
次の一手で肉片に変えられる手応えだった。
鬼仔ならば。
情けもかけず微塵に刻める。
アムスは呵々と大笑した。
「どうする、どうするよ!?」
蛇腹剣をふたたび振るう。
変幻自在に角度を変える剣尖がマヤへと殺到した。地面が激しい驟雨に打たれたかのごとく、土砂が飛び散る。
その中心で。
マヤは剣で弾き続けていた。
アムスは手加減して、相手の防御の間に合う速度で操っている。
誰の目にも彼の優位が確保されていると理解する戦況だった。
哄笑が庭園に響く。
「…………!」
「俺はもう少し遊んでも良いんだぜ」
「遊ぶ?」
「これだけ面子が揃ってるのに、早期決着じゃ詰まらんだろ?だから――」
「別に要り、ません」
「……は?」
アムスは小首を傾げた。
ふと。
じわりと滲んだ違和感が胸の内を騒がせる。
「……あれ」
追い詰めているはずである。
なのに。
鬼仔の少女は平然としていた。
ようよう見てみれば防ぎ遂せている。
全方位から全身が凶器である鋼の蛇の肉薄を跳ね返していた。
アムスが手を止める。
庭園に静寂が訪れた。
「……終わり、ですか」
マヤの白い頬にかすり傷が滲む。
防御姿勢を解いて、両手の剣を構え直した。無感動な赤い瞳が、愉悦に浸っていたアムスの間の抜けた面を冷淡に見詰める。
ぴしり、と空気が凍りつく。
アムスは齢八の矮躯が巨大化したかのように感じて後退った。
よく見れば、相手は小さい。
転瞬の錯覚である。
――何なのか、今の感覚は……?
アムスは乾いた喉に唾を飲んだ。
ぐっ、とマヤが前に体を傾ける。
「殺すまで、です」
「お、おい?」
マヤが地面を蹴った。
どっとアムスの全身に冷や汗がにじむ。
慌てて蛇腹剣を振るった。
謎の迫力に気圧されて、手心を加える余裕などなく、全力で変則的な剣撃の数々を見舞う。
速度も威力も、倍以上。
だが。
「もう読め、ました」
マヤの剣が唸りを上げた。
蛇腹剣の刃を悉く跳ね返し続ける。
無傷のまま凶刃の雨の中を前進した。無表情ではあるが、猛り狂う蛇腹剣を掻い潜る様は、観戦者たちには鬼気迫る光景として目に焼き付く。
常人ならあっという間に微塵切り。
少女は死の嵐の中を進む。
「鬼だ……」
その姿に誰かが小さく呟いた。
アムスが焦燥に手元を加速させる。
「くそっ、くそ、くそっ!?」
「…………」
蛇腹剣は、その性質上は鞭に近い。
なので、剣や槍などでは絡め取られるし、まともに弾くことすら至難なのだ。
マヤはそれを可能にしている。
蛇腹剣の刃が迫る。
マヤの剣が衝突した部分が弛む。
理解不能だった。
「なんで、なんでだ!?」
マヤは淡々と相手の攻撃を処理する。
タガネから伝授した秘伝の技だった。
ある日。
対人戦の極意を尋ねたときだった。
『鞭相手に剣は不利、です』
『鞭なんぞは弾きにくいが、振られた瞬間に一点だけ撓りが強い部分がある。そこに一打を加えてやれ』
『巻き取られ、ます』
『その前に剣を引け』
要するに。
まるで軽く触れて、すぐ離す。
鞭が振るわれ、撓った際に力の負荷がかかる一点が生じる。そこに剣を当てれば、鞭の勢いが削げて殺傷力を無効化する。
直後に自ら離れるように剣を引き戻す。
すると、巻き取られずに済める。
そんな方法だった。
必要なのは、当てる箇所にかかる力と同等の力で叩くこと。
一瞬の見切りと高い技量が求められる。
言うは易いが実現は難しい。
タガネ本人にしかできないと一蹴される話である。
ところが。
「何で当たらないんだよ!?」
「……………」
マヤは蛇腹剣を止める。
彼我の距離は、すでに二歩分に縮まっていた。
距離が短ければ、もはや威力は無い。
振り下ろされた蛇腹剣を、交差した状態から斬り上げた二閃で弾いた。アムスの手が柄から離れる。
――ここだ。
片手の剣を後ろに引絞る。
「――終わり」
前へ一歩、踏み込む。
剣がアムスの顔に突き放たれた。
「そこまでよ」
直前で。
マリアの手が後ろから肩をつかむ。
凝然とマヤの体が静止する。
剣尖がアムスの眉間と紙一重の間隙を残した。
眼前ではアムスが白目を剥いて失神し、後ろへと大の字になって空を仰ぐ。
マヤは剣を鞘にしまう。
庭園は静寂に包まれていた。
誰もが大口を開けて声も出ない。
覆しようがない不利な状況下にあったはずの少女が、ただ頬の小さな傷を残し、倒れた相手を冷然と見下ろしている。
これを。
誰も予想した者はいなかった。
マリアが口を開く。
「勝者――マヤ」
勝者の名が静かに告げられた。




