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剣爵領地の屋敷裏庭で。
アヤメはひとり剣を振るっていた。
昼食後の軽い運動と称し、侍女長の制止も振り切って、木剣ではなく鋼の物を手にしている。
唸りを上げて空を切り裂く。
午後からは、最も楽しみにしているひと時が始まる。
それは――父との稽古だった。
剣聖として世に敬われる剣士。
そんな彼に剣を教えられる。
それは、世にも類を見ない恩寵ですらあった。
その血を継ぎ、技を教授する一人娘として。
矜持を胸に臨んでいる。
ところが。
最近は、その時間以外での交流の機会が減っていた。
主に――新しく従者として屋敷に迎えられた少女である。
旅から連れ帰ったという経緯。
母は納得していたが、アヤメは釈然としていなかった。数奇な運命を辿ってきた父の半生を知る者なら理解できるのだが、旅を愛し、だが自分を疎んでいるわけではなく、むしろ愛してくれる父のことを初めて疑ったのだ。
まさか。
他に子が欲しくなったのか。
自身が不甲斐ないから。
そんな不安が脳裏をよぎった。
胸中を占める負の念を払うように、剣を一心不乱に振るう。それはもはや、食後の軽い運動の範疇ではない。
そこへ。
「アヤメ」
「っ……父上!」
父――タガネの声を聞いて手を止める。
喜色満面の笑みで振り返った。
「稽古しましょう!」
「ああ」
「その後、い、一緒に話せますか?」
「おうとも」
「えへへ」
タガネの服の裾をにぎって。
朗らかに顔を綻ばせる。
ふと、その後ろに小さな影を見咎めた。
すっ、と血の気が引いていく。
「あの、その娘は」
「ああ、改めてだな」
タガネが一歩横へ退く。
入れ替わるように、少女が前へ出た。
「お嬢様の従者になる、マヤです」
「あ、こ、心得ました」
青い瞳と赤い瞳が見合う。
久しく視線を交わし、アヤメは固まる。
屋敷に来た頃とは比較にならない、どこか従者の枠に収まりきらない気品めいた物を纏う存在感に成長していた。
少女マヤが恭しく頭を下げる。
「お嬢様の、傍付きとして」
「……」
「よろしく、お願いします」
赤い瞳が細まる。
悩みの種だった相手が、今日から側に仕える。
「……よろしく頼みます」
その奇妙な状況に。
アヤメはただ内心では呆然としていた。




