小話「鬼と姫の新婚旅行」①
星狩りから三年後。
日輪ノ国で事件が起き、鎖国体制緩和が布かれて数月が経つ。長らく秘密主義となっていた最大武力を秘める島国の全貌が明らかになりつつあった。
それを海外への侵略、あるいは友好。
この二つを疑って、世界中が緊張し騒ぎ立つ。
だが。
そんな剣呑な時期に、一組の幸福が歩み出していた。
剣爵領地の社。
剣聖の栄光を讃えた石碑が陽光に照らされる。
刻まれた名がわずかに煌めいた。
一流の職人を寄せて建造されたそれは、今は直近に立つ端然とした佇まいの女性によって、余人にはその高い美術的価値も霞んで見える。
なぜなら。
そこにいるのが剣聖姫――マリアだからだ。
紺碧の髪を軽く結って肩に流した女性は、忙しなく自らの身なりや荷物を確認し直した。普段の彼女を知る者なら、目を疑う取り乱しようである。
平時は嫋やかな振る舞い。
それが今や動揺と緊張で辿々しい。
胸に手を当て、深呼吸する。
「大丈夫、だいじょうぶよ……私」
「何がだい?」
「きゃあっ!?」
唐突にかけられた声に。
マリアは全身で跳ねて驚いた。
反射的に腰に手を伸ばして身構える。――が、そこに佩剣は無いので、指先が空をさまよった。
そんな姿を。
銀髪の男は困惑気味に見つめた。
「どうした?」
「び、びっくりしただけよ!」
「ほう?」
男が片眉をつりあげた。
同時に、口角をいやらしく上げる。
「背後を許すなんざ」
「ん?」
「おまえさんも衰えたな」
「斬るわよ」
「剣無いだろ」
マリアが頬を膨らませる。
男――タガネは笑って、その肩を軽く叩いた。
黒コートに鋼の剣を帯びた姿である。旅から帰ったばかりの装束のままだった。
マリアが不満げに口を尖らせた。
「着替えて来なさいよ」
「いいだろ、これで」
「……私がばかみたいじゃない」
紺碧の瞳が羞恥で伏せられる。
タガネはその姿を頭から爪先まで眺めた。
町娘の着る質素なワンピースの腰元を紐で絞り、上着を軽く羽織っただけの服装である。平生の銀の軽甲冑や帯剣からは想像できない。
やや面食らって。
それでも彼女の不平顔の真意がわからない。
タガネは顎に手を当てて黙考する。
「……何よ」
「おまえさん、そんな装備で大丈夫かい?」
「え?」
「内面はともかく、見た目は美事なんだから護身の類は携帯しておきな」
「いいわよ、別に」
タガネは小首を傾げた。
その片手を、マリアが握る。
「アンタが私を守るの」
「そりゃ、そうかもしれんが」
「今回は甲冑とか嫌なのよ」
「なんで?」
マリアの顔が真っ赤になった。
きっ、と強く怒声を上げる直前の表情になる。
身構えるタガネから顔を背けて。
「だって、新婚旅行……だもの」
「……ああ、なるほど」
タガネは納得して頭を掻いた。
婚姻を結んで三年。
方々に謝意を伝え、切咲家との決着を目的とした旅が終わるまで、マリアを剣爵領地に待たせていた。
新婚旅行とは、本来は貴族の嗜み。
タガネはその出自からも、尋常な夫婦を見た記憶が無いため、マリアがそれを楽しみにしていることも察せなかった。
剣爵領地に帰還するまでの予定を伝えると、その間はどうしてか、欠かさず文を送って来たり、帰還すると異様に嬉々とした表情など。
だが。
いつもと雰囲気のちがう服装。
剣を置いて楽しみたい心構え。
タガネは自身の鈍さに呆れて笑った。
「そうさね」
「…………」
「待たせて悪かったな」
「ふん」
ふと。
タガネは自身の体の強張りに気づく。
不思議なマリアの空気に、我知らず緊張していたことをようよう自覚し、深呼吸して肩の力を抜いた。
それから、マリアの荷物を持つ。
慌てる彼女から取り上げるように担いだ。
「旅行か」
「実は、明確な目的地は無いわ」
「うん?」
「その……何処行ってもたのしそうだったから」
「そりゃ良い」
「え?」
「俺は予定通りに行った経験が無いんでね」
タガネは苦笑する。
長い付き合いになると、互いの気質が読めてくる。特に剣を幾度も交え、衝突し、最後に認め合った仲となれば尚更だった。
マリアもつられて笑う。
「……ふふ、たしかに」
「だから、気ままに行くか」
「ええ」
マリアの手を引いて。
タガネは旅行への一歩を踏み出した。




