小話「雷の港町」
雷の港町。
去年から密かについた呼び名である。
原因は怪奇な事件だった。
幾つもの落雷によって数々の建物などが崩壊し、人々がしばしば記憶を失い、また数日を繰り返したという奇妙な証言を残している。
それは逸話となり。
各地からそこを訪ねる者が増えた。
再興に努めていた街の景気は、例年を超える盛り上がりとなっていたが、被害者にとっては未だ恐怖の記憶として焼き付いている。
大陸随一の物流を誇る街道を経て。
一つの荷馬車が港町へ向かう。
幌で覆われた荷台では、茹だる熱気に二人の旅人が堪えている。
間もなく街に着く。
「すみません、旅の途中に」
「いや、構わんよ」
頭を下げたのは、外套に身を包む少女――フィリアである。
褐色の肌に玉の汗がにじむ。
隣に座る旅人――タガネもまた汗を拭く。
実は。
偶然にも旅の途上で二人は再会した。
それも、同じ目的地に向けて。
現在、行動を共にしているのは、ほんのそれだけの理由である。
「孤児院が建ったらしいな」
「はい」
「どうして、おまえさんがそこに?」
フィリアは馬車の後部を見る。
「ミーニャルテの事件」
「ああ」
「あれで、私たちよりも早々に吸収されてしまった人々がいました。その被害者の大半が親であり、残された子が街に溢れたらしいのです」
「…………」
ミーニャルテ。
雲霞を作って雲中に群棲する魔獣。
捕食対象を体内で『時間』ごと分解し、繰り返し同じ時間を過ごさせて、幾度も捕食し続けることで充分な魔素を得ようとする。
だが。
それは無限ではない。
いずれは完全に魔素として分解される。
延々と続く巡回にも終局はあるのだ。
タガネとフィリアは、数回ほど捕食されて以前と同じ経緯を辿り、ミーニャルテに吸収される奇っ怪な日常を過ごした。
その前に原因に辿り着き、これを打破する。
ただし。
この数回の内に、他の被害者の中にはミーニャルテの中で分解された者がいた。
その多くが子供を抱えていたという。
この事件に思うところがあり。
フィリアの嘆願によって港町に孤児院が建った。
聖女による慈悲。
世間には、大々的に報じられた。
「あれは魔神教団の仕業だろ」
「はい」
「おまえさんの所為じゃ……」
「罪悪感だけではありません。あの土地は、思い出深いんです」
「思い出……」
「はい、ミストさんやマリアさん……それとタガネさんに会えたので」
「……そうかい」
聖バリノー教の巡礼。
その途次にてタガネと出会った。
これが起点となり、彼女がいま聖女と崇められる今へと至っている。いわば、ここがフィリアにとって、始まりの土地でもあった。
タガネとしても忘れられない。
勇者の伝承。
魔神教団から尋問して初めて語られた真実。
知られざる歴史を知った場所だった。
「それなら」
「はい?」
「俺にも縁ある土地だ」
「えっ?」
「おまえさんとの出会いも、俺の人生を豊かにしてくれた大きな一因でもある。感謝してるよ」
「……ずるいです」
「うん?」
フィリアがぐっ、と顔を接近させた。
仄暗い瞳が銀の瞳を覗き込む。
謎の気迫にタガネは、目が逸らせなかった。
「そんなこと、私以外に言わないで下さいね」
「……いや、それを方々に言って回る旅なんだが」
「ずるいです」
「はあ?」
顔を引き攣らせて。
タガネはようやく顔を背けた。
フィリアが引き下がる。
馬車が停車した。
二人で前の方を覗くと、港町の入口がある。到着したと悟り、運賃を支払って降車した。
去っていく馬車を見送って歩き出す。
惑わす進むフィリアの隣に並んで、そのまま孤児院を目指した。タガネ自身は、観光がてらに復興の具合を確認するつもりだったので、孤児院を見に同伴する。
入り組んだ路地を抜け。
白い教会へと辿り着いた。
タガネは見上げて、ふと軒先にある紋章を見つめる。
それは。
「聖バリノー教の教会」
「ええ。もう廃れてしまいましたが」
「じゃあ、おまえさんが巡礼で訪ねたのは」
「ここです」
扉を開いた。
中では、修道女と子供達が戯れている。
フィリアは感慨に目を細めた。
人に忘れられ、ひっそりと佇み、寄す処のないミストが寝床にするほどの廃墟だったのだ。
壊れた壁は修繕され、内装は整っている。
埃一つない床を、無邪気な足音が騒がせた。
ふと。
子供達の注目が二人へ募る。
「あれが聖女様?」
「ええ、そうですよ」
子供の問に修道女が応える。
そして。
視線がタガネへと移った。
「じゃあ、こっちは?」
「こら、人を指差してはいけません」
「誰なの?」
「こちらは…………」
聖女が戸惑った。
タガネは苦笑する。
「聖女の護衛だ」
「ごえー?」
「聖女を守る、って意味だ」
「旦那さんじゃないの?」
「そりゃ畏れ多いんでね」
タガネが肩をすくめた。
その隣でフィリアが頬を膨らませる。
修道女が一礼してから二人を中へと招いた。
それからの時間は忙しかった。
四方八方から呼び声、遊びに付き合ったり、質問攻めにあったり、背負を乞われたりもした。
そして。
無愛想なタガネにすぐ愛想を尽かす。
終盤は、ほとんどの子供がフィリアへと集った。
タガネは椅子に座って静観する。
その隣へ、若い神父が座った。
「子供たち、元気でしょう」
「構い殺すたぁ、あれを言うんだろうな」
「あはは、そんなものですね」
神父が声を上げて笑った。
タガネは疲労にため息する。
「姉が世話になりました」
「……何のことだい?」
「僕はフィリアの弟です」
「……………本当かい?」
タガネは目を剥いて凝視する。
神父が照れくさそうに笑む。
フィリアが巡礼の後に会いたいと吐露していた人物が彼女の弟である。話に聞いてはいた本人を目の当たりにして驚く他なかった。
神父はフィリアを見る。
「暗かった姉さんが、あんなに笑ってる」
「暗かった?」
「ええ。巡礼の前まで、消極的で何でもかんでも自分の所為にしてしまう人だった」
「…………」
「変われたのは、きっと剣鬼さんのお蔭です」
「それは本人に言いな」
「本人でしょう?」
「なぜ」
「姉さんが来る前によこした文で、剣鬼を伴って来ると」
タガネは愕然とする。
港町の前で鉢合わせになったと思っていた。
フィリアもそう話していたのである。
同行してから、どこかへ文を届けた様子は見たことがない。実際、今日再会したばかりなのだ。
まさか。
読んでいたのか。
知っていて、あえて偶然を装った?
「んな、まさか」
「剣鬼さん、姉さんを守ってくれてありがとうございました」
「……俺は何もしてないよ」
タガネはフィリアを一瞥する。
「おまえさんの姉が強くなっただけさ」
「そういうことにしておきます…………義兄さん」
「拘るねえ……ん?」
「はい?」
「いま、最後に何か言ったかい?」
「ええ」
「何て?」
「将来に取っておきます」
「…………?」
弟の瞳が仄暗く光った。
タガネの全身がまだ謎の緊張に強ばる。
この姉弟は、どこか危うい……。
それから夜を孤児院で過ごした。
子供たちとの歓談を続けるフィリアたちに見送られ、翌朝にタガネは出発したのだった。




