5
腰を落として魔剣を肩に担ぐ。
全身に満遍なく魔力を充填させていく。
自然界から奪った厖大な魔素。
今なお奪い続けている。
それが魔剣の柄から血流で運ばれていくように伝わり、前に中段で構えた片手の聖剣を切っ先まで満たした。
上空から迫る隕石。
タガネは目を逸らさずに構える。
「レイン」
『なに』
「最期まで付き合ってくれな」
『うん』
タガネは悽愴な笑みを浮かべた。
黒コートから六枚の翼が生える。
羽毛ではなく、脈が表面に薄く浮いた虫の翅だった。
それぞれが大きく広がる。
このとき。
タガネは漸くコートの性能を心得た。
素材になった魔獣はデナテノルズ。
魔素を収集し、その量によって蛹や羽化と三形態に変化するが、養分として夥しい人間の数を要する。
デナテノルズが生成する糸。
それを編んで作製された黒コートにも同じ性質が継承されていた。
そして。
魔剣によって収集された莫大な魔素に反応し、その真価を発揮したのだった。
タガネが肩越しに確認する。
「こんな絡繰もあったのか」
ひとり苦笑して。
隕石に向かって跳躍した。
体に連動し、翅が空気を叩いて上昇を助ける。
タガネの体が急速に大岩へ接近した。
地表と激突すれば全てが吹き飛ぶ。
討伐軍も、剣鬼隊も。
マリアも。
「ふー……よし」
タガネが鬼の笑みを浮かべる。
背中に庇う者たちを一つずつ頭の中に思い浮かべ、破滅する未来を想像し、自身の中から油断に繋がる一切の感情を排除した。
命を擲って、この災厄を討つ。
「セイン、救けるぞ」
『…………はい』
隕石の迫る風圧を感じ取る。
その距離に突入し。
剣から魔力が溢れる。
黄金と白銀の刃を振り抜く。
「斬れろォオオオオオオオッ!!」
天下を揺るがす衝撃。
隕石の表面に、二色の光が奔る。
弧状に連続で放たれたタガネの斬撃が、隕石を深々と抉り刻む。亀裂から噴煙が上がり、弾けた瓦礫が熱で瞬時に溶解していく。
隕石の下で抗う光の人影。
黄金と白銀の飛沫を散らす。
接近するほどに烈しく衝突する。
だが。
「止まれェェエエエエ!!」
タガネが怒号した。
剣を加速させ、人の域を脱する。
それでも――隕石は止まらない。
肉薄する大質量は速度を緩めず、タガネとの距離を潰した。轟轟と唸りを上げて、人の受け止められない総量を高速で落下させる。
斬撃で止まらない。
その残酷な事実を叩き付けた。
「ぐォッ…………!?」
隕石が激突した。
十字にした剣で受け止める。
間に合わなかった。
タガネの体が下へと圧し戻される。翅で羽ばたき、腕で岩を押しのけるように全力で抵抗した。
背骨が軋りを上げる。
剣身に伝わる重量は経験にない。
これが自然と、人の差。
たとえ意思によって喚び寄せられたとはいえど、その差異は歴然としており、変わることはない。
「…………ははっ、んなわけあるか!」
否。
タガネは歯ぎしりした。
「こ、ンのぉおおおお……!!」
もう一度。
脳内に失いたくないモノを想起させる。
魔力が感情に比例するなら自然にも勝る。ケティルノースによって喚び寄せられただけの現象なら、断ち斬ることが可能だ。
強い意思なら、勝てる!
現に。
人なら踏み潰される重量。
こうして間近で受け止めても、まだ体は形を保っていた。
止められる、抗える、斬れる!
「諦めるかよ……!」
ここで叶える。
誰かを幸せにする、誰かの幸せを守る。
そんな剣になる。
「オオオオオオオ!!」
心の底から叫んだ 。
瞳から皮膚、装束に至るまで白銀に染まる。
自らを星に変えるかのごとく耀く。
剣をつかむ両手に力を込める。
岩の表面を削るように、血の一滴まで注ぐような全力を投じて振り抜いた。
削れた表面で魔力の光が明滅する。
「斬れな」
耳を聾する轟音が響き渡る。
剣で受け止めた隕石の表面。
そこから十字に交錯した黄金と白銀の一線が走り、反対側でふたたび点として交わる。一閃で大地を割るかのような二本の剣と鍔迫り合いをするほど強固だった岩が震撼した。
そして。
「……どんなもんよ」
隕石の半身が爆裂した。
内側で爆ぜた二色の強大な魔力に崩壊し、四散した瓦礫を粉微塵へと変える。空をどよもして半壊した岩は剣圧によって上に跳ね返った。
盆を覆すように。
宙で断面を上にして静止する。
タガネは驚いて絶句した。
何事かを理解する前に、魔剣と隕石が同じ色の微光を帯びていることに気づく。その周囲で、辛うじて熱による溶解を免れた瓦礫の数々も中空にてぴたり、と動きを止めているのを見咎めた。
魔剣の力で――止まった?
どうして……止めるとは。
はっとして、タガネは瞠目した。
「ベル爺の魔力か」
タガネは魔剣を見て微笑む。
夢の世界で斬り倒した宿敵ベルソート。
その魔力をかなり吸収した。
魔法とは、体内の魔素を決まった手順、量、形として放出することで現象を起こすと以前にミストから教示されている。
その条理に従って考えても。
それでも【時】の魔法を発動させるには足らない、魔力だけでは事欠いている。
――が、それは常識の話。
タガネが有する『勇者の魔力』は、情動に作用してあらゆる限界を打破する能力を有している。
すなわち。
「本当にデタラメな力だな」
タガネが止めたいと願った。
その希求する意思に応えて魔力が発動する。
レインの中に貯蔵されたベルソートの魔力で強引に引き起こした時間停止。
呆れるほどに理屈を無視した力。
本来なら切咲だと厭うていたが。
「感謝するよ、今だけは」
そう言って。
タガネは岩の上に降り立った。
停止した大岩は揺らがずに一人分の体重を受け止める。直径で村一つ分に相当する面積の断面は、綺麗に均されていた。
我ながら神業。
奇妙な感嘆を胸に歩く。
一歩、いっぽと踏みしめて確かめた。
強く踏み込んでも問題ないらしい。
では。
「これで、舞台は整ったかね」
タガネは前を見据える。
何処からともなく現れた光子の群が渦を巻いて、四足獣の輪郭をかたどるように堆積する。煌々と空の上の大地を照らして集合した。
やがて。
ゆっくりと、光体が動き出す。
そこに血塗れのケティルノースが出現した。
牙を剥いて唸り声を上げる、
『ウウウウウッ!!』
「さて、決着付けようや」
タガネも剣を構えた。
もはや両手の剣に込められる魔力は僅かだ。落ちる大岩との拮抗に、ずいぶんと労力を要している。
指先一つを動かすだけで呼吸が苦しい。
もう筋肉は音を上げている。
骨は休息を求めていた。
「辛抱してくれな、俺の体」
疲弊した体に囁く。
これが本当の最後だと覚悟を胸に抱く。
ケティルノースが姿勢を低くした。
唸り声は無い。
風の音が止む。
二人のだけの空に静寂が訪れた。
侵しがたく、もどかしい時間が流れる。
どちらだったか。
互いの体から、一滴の血が滴り落ちる。
強い握力に柄が軋む。
ケティルノースが足を引いて砂が擦れた。
そして。
血が岩の表面を打った。
両者一斉に飛び出す。
『ゴルルァァァァアアッッ!!』
「がぁああああああ!!」
互いの敵意を爆発させて。
爪と牙。
剣と剣。
双方が有する最大の凶器を振りかざす。
過剰な魔力行使の後で悲鳴する体。
さんざ刻まれて血を噴いた獣の脚。
その激痛を、苦悶を忘れてただ眼前にしぶとく命脈を繋ぐ相手の喉笛を噛みちぎるために疾走した。
両の剣で薙ぎ払う。
角が受け止めた。
牙で噛み付きにかかる。
両顎を剣によって阻まれた。
爪を振る。
剣を振る。
互いに浅く裂いて刹那の鮮紅を散らす。
牙で噛む。
剣で突く。
また体に傷が刻まれる、今度は深い。
剣で斬る。
爪を振る。
火花を散らして大きく仰け反る。
剣で突く。
牙で弾く。
爪を振る。
剣で流す。
剣を振る。
爪で防ぐ、返す刃で振る。
剣でいなす、反撃に斬る。
牙で受け止める、そのまま押し込む。
剣で押し返す、相手の顎を蹴り上げた。
仰け反る、それでも止まらず爪を振るった。
剣が弾かれる、体を強引に引き戻してまた斬る。
爪で突く、受け流されてもまた振る。剣で斬る、相手の指の間に刃を滑り込ませた。爪の間から流血が迸る、なおも止まらず爪で攻撃する。両手の剣で受け止める、意地になって力で弾き返す。少し後ろに後退する、再び空いた間隙を潰して爪を振りかざす。相手の動きを予測するや先んじて剣で一閃する、胸に切り込み血を噴かせた直後に爪の一撃を受ける。相手を薙ぎ倒した、それでもまだ止まらずに足を踏み下ろす。転がって回避する、立ち上がりしなに足を斬り下ろす。踏み潰そうとした足から血が流れる、痛みに堪えて吠えながら突進した。激突した体が後ろに飛ぶ、それに抗って地面に剣を突き立てて静止した。追撃を仕掛けようと爪を振る。受け止めて、また斬る。爪を振る。剣を振る。牙を剥く。剣で斬る。頭突きする。剣で突く。爪で裂く。剣で防ぐ。牙で砕く。剣で弾く。爪で斬る。剣で裂く。爪で狩る。剣で斃す。爪で………………………………………………………………………。
両者の体感で。
果てしない時間が流れたように錯覚した。
その感覚に酔う。
現実では、まだ一瞬の出来事。
互いに傷ばかり増える。
もう立っているかさえわからない。
朧になっていく意識。
それでも爪を、剣を振る。
やがて。
幾久しく続くとさえ思えた凶器の応酬は、あるときを境にぷっつりと途絶えた。
それは。
『グル、ルルルルル……!』
「――――」
タガネが沈黙した。
両腕を垂らし、上体は前に傾く。
腰を落として、踏ん張ったまま止まった。
赤黒く染まる黒コート。
その裾から血が垂れて足下に溜まる。
『ウ――――――』
ケティルノースが吠える。
相手の生命を断った。
空いっぱいに胸中の感慨を声にして響かせる。
タガネは動かない。
血色の目を眇めて、ケティルノースが腕を振り上げた。高々と、余裕をもって、矯めて、狙いを定める。
余さず全力で引き裂く。
その一念に応え、爪が七色に光る。
動かない強敵へ。
『グルァァァァアアアッ!!』
決着の爪が振り下ろされた。
――が。
「危ねえ、逝くとこだった」
『グル!?』
血飛沫がほとばしる。
ケティルノースの片足が空高く舞う。
それを、振り抜かれた聖剣が偶然にも指し示していた。遠くにべちゃりと落ちたそれに、魔獣の瞳が見開かれる。
眼前で死んだはずの人間。
その体がゆっくりと動き、面を上げる。
「まだ、だ」
『グルルルルルル』
ケティルノースが毛を逆立てる。
そう。
「まだだァァァアッ!!」
『ガァアアアアアッ!!』
タガネが二振りの剣を後ろに引き絞る。
その剣身が魔力をふたたび宿す。
これが最後。
タガネが深く踏み込んだ。
ケティルノースがもう片方の前足を振り上げて――。
「はああああああああッ!!」
無数の斬撃が奔る。
決河の勢いで、ケティルノースを斬り刻んだ。
寸陰の間に、幾度も斬られる。
もはや、魔獣の体は間歇的に血が噴き出すだけの彫像となっていた。振り上げた前足は止まり、その姿勢で剣を受け止める。
腕が飛ぶ。
目が潰れる。
顎が寸断される。
だんだんと肉塊へと変貌していく。
そして。
タガネが魔剣を腰元で引き絞る。
その剣身が淡い水色に輝いた。
「受け取れ、セイン!!」
渾身の突きが放たれる。
ケティルノースの胸を深く貫いた。
互いに動きを止める。
どっぷりとケティルノースの血を浴びながら、タガネはゆっくりと剣を引き抜いた。剣で穿った箇所の肉がうごめき、変形して人の形になる。
そして。
それはタガネの胸の中に倒れ込んだ。
「タ、ガネ……さん」
「すまんな、遅れた」
セインを抱き止めて。
タガネは後ろへと引き下がった。
その後。
惨たらしい姿になり果てたケティルノースの骸が岩の上に倒れ伏す。あっという間に血溜まりが作られ、二人の爪先を濡らした。
タガネは両手の剣を地面に突き刺す。
セインとともに、その場に座り込んだ。
「無茶しすぎですよ」
「その前に、無茶させたヤツがいるからな。奴さんの手前……俺も退けなかっただけだよ」
「剣姫さんですよね」
「……見てたのか」
「うん、ずっとそばで」
セインが微笑む。
タガネも笑顔で応えた。
セインの意識を注入し、融合し一体化したはずの肉体を異物と認識させ、拒絶反応を誘発させて分離する。
夢の世界で教わった救出方法。
それを果たすまでは倒れられなかった。
血塗れのタガネは、セインの肩の上に顎を乗せて嘆息する。
力が入らない。
「もう、動けん」
「というか、致命傷が……」
「ここで死ぬのも、悪くない」
「そんなっ……!」
セインが悲痛に顔を歪める。
そのとき。
上空から星の瞬きが消え、夜闇が一気に吹き散らされた。
頭上に蒼天が取り戻される。
二人で振り仰いだ。
「これでいい」
タガネはふっ、と笑った。
「幸せだ」
目を閉じる。
セインの腕の中で、タガネの体が脱力した。
ぐったりと、身を委ねる。
「タガネさんっ!!」
セインの叫び声に応えない。
青空の下で。
穏やかな笑顔のままタガネの命は終わりを迎えた。




