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森の奥で吠える巨獣。
ただ一体で国を軽々と滅ぼす存在感を近くに感じる。
いつ死ぬかわからない。
そんな最中。
マリアは身近な死の旋風から逃れ続けた。
大鎌が唸りを上げる。
凶刃が描く刹那の円弧が軽甲冑を削った。直撃すれば絶命は必至、文字通り五体を刈り取る得物は止まる気配がない。
両端に三日月のごとく生えた鎌の刃。
重量も普通の物より倍以上ある。
だが。
「はい、首!」
「くっ」
マリアが右に頭を煽る。
左側で揺れる紺碧の髪を鋭い風がなぶった。
テルクミは事も無げに片手で大鎌を扱う。
その速度。
マリアの経験上ではタガネに匹敵していた。
あの剣速を凌ぐのは困難を極める。
――でも、見える。
「また獲り損なった」
「そう易易とやらないわよ」
マリアが銀剣で突く。
鎌の刃の平面を打って強く弾いた。
テルクミの攻勢に一瞬の綻びが生じる。
マリアは素早く前へ一足、踏み込んだ。
銀剣が閃く。
「はぁッ!」
「おお!?」
テルクミの左肩を深く切る。
鎖骨を断った手応えに、マリアは笑んだ。
戦える。
以前は捕捉できなかったテルクミの攻撃も、フィリアによって体の疲労のある程度が抜けた現状なら処し得る。
銀剣にも幾ばくかの冴えが復活していた。
その実感がある。
「くはっ、やるね」
テルクミが笑って飛び退る。
その片腕がだらりと力なく垂れた。
鎖骨を切断するほど深い一刀だが、戦闘の継続には厳しい傷にもかかわらず、片腕で変わらず鎌を回旋させる。
マリアは目を眇めて観察する。
激痛はあるようだった。
変わらないテルクミの笑顔。
一見涼しげなものの、顔には脂汗がにじむ。
勝利まであと一歩と確信した。
それでも、油断ならない。
手負いの敵ほど、予想を上回る力を見せる場合が戦場では多くあった。その反撃を受けて返り討ちに遭う例も、またその数のほとんどだった。
慢心せず。
マリアは銀剣を中段に持つ。
「必死だね」
「私は敗けるわけにはいかない」
「何故だい」
「守りたいものがあるからよ」
ふーん。
テルクミが興味無さそうに息をつく。
醒めたような真顔で戦場をちらと流し見た。
「それは大層な志だ」
「どうも」
「それでデューク司祭を斃したのかな」
「いいえ。……あのときより、私は強いわ」
「……うざ」
テルクミが舌打ちする。
大鎌の回転運動が止まり、微風が吹く。
マリアの前髪を軽く撫でた。
「僕は彼より強いよ」
「あっそ。でも――」
テルクミが地面を蹴った。
大鎌を大きく振り掲げて接近する。
マリアはその場に体の芯を据えて対した。
鎌の刃が風を切る。
斜めに斬り下ろされ、マリアは紙一重で躱す。それと同時に、一歩前へと踏み込んで一突きした。
テルクミの手首を斬る。
そのまま、まっすぐ首筋へ紫電が走った。
血飛沫が視界を染める。
「私の方が強い、でしょ?」
「あ、はは……参ったなぁ……」
テルクミがその場に倒れる。
マリアは用心深くその首を剣で斬る。
魔神教団の生命力は計り知れない。
先刻は、その不覚で自分を庇ったクレスが痛手を負うことになったのだ。頭と心臓、どちらかだけの損傷だけでは安心できない。
マリアはため息をつく。
「さ、フィリアのところへ……」
「マリアくん」
「え?」
呼び声にマリアは振り返る。
そこにカルディナが静かに佇立していた。
傍には征服団の団員が複数いる。
マリアを円になって包囲していた。
「何かしら」
「それは司祭かな」
「ええ」
「よく頑張ったね」
「お世辞は不要よ。私はもう行くわ」
そういって抜けようとして。
包囲の輪がさらに一歩ぶん狭まった。
異様な雰囲気にマリアが当惑する。
「……どういうつもり?」
「君は剣聖になった後、タガネくんをどうする予定かな」
「いま必要なことかしら」
「私にとっては」
笑顔で迫るカルディナ。
マリアは片眉をつりあげる。
「アイツは私のところで預かるわ」
「切咲からどう奪う」
「それは後で考えるわ」
「……そうかい」
カルディナが片手を挙げた。
包囲している全員がおのおの武器を取る。
マリアは周りを見て顔を険しくした。
「私を殺す気?」
「君が邪魔なのでね」
「…………」
マリアは周囲を見た。
この混戦でも無傷でいる征服団。
その実力、複数名を相手取って無事にいられる自信は無い。何より、眼前のカルディナもまた長剣を手にした。
クレスの警告を想起する。
これが身辺を脅かす悪意の一つ。
「……それでも私は行く」
「ほう」
「たとえ、貴方が相手でもね!」
「やってみるといい」
カルディナが歩み寄る。
マリアは切っ先の欠けた銀剣を構えた。
勝算は無い。
一つ二つの傷は覚悟して突破する。
マリアが飛び出す。
カルディナの剣が動い出した。
二つの影が交わろうとする。
その瞬刻。
「えっ」
「なぬ!?」
上空で風の唸る音。
その後に二人の間に大剣が落下した。
地面に突き刺さり、壁のごとく立ち塞がる。
驚いて、二人は飛来してきた方向を見た。
そこに。
「…………馬鹿な」
カルディナが驚嘆の声を漏らす。
包囲網の外で、黒コートの少年が立っていた。
その姿に。
「……遅いわよ、ばか」
マリアは口元をほころばせる。
その笑みに闖入者の少年が応えた。
「間一髪だったかい?」
「タガネくん……!」
全員が振り返った先で。
剣鬼タガネが昂然と胸を張っていた。




