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ジルは通路の壁に凭れていた。
客室付近の警備を担当する剣鬼隊に、誰も不満を漏らす者はいない。実際に、彼を嘲る声はなくとも不安の声はあった。
剣鬼の不在時、方針をどうするか。
前回の不祥事にはレインが頭目になった。
一時的な交代とはいえ、それでも十全に隊として機能していたのである。
今はそのレインすら眠っていた。
現状では実質的な頭目がジルとなる。
敵対勢力は多い。
タガネが目覚める見込みは無い。
「先は暗い、か」
独り言ちる。
ジルはふと近くに足音を聞いた。
交代の時間もそろそろかと、味方だと思って壁から背を離す。一応は客室の位置を捕捉されないよう、出会した態を装うべく歩み出す。
目の前の通路を左折して。
足音に対して笑顔で迎えようとして、その顔を強張らせた。
足音の正体。
それが一人の騎士だった。
褐色肌に波打つ豊かな黒髪と翡翠の瞳をした彫りの深い顔の青年である。リューデンベルク騎士団の軍装を着こなした姿は、ジルとしては見慣れた物だった。
いや、その青年にもまた面識がある。
「よ、よォ」
「久しぶりですね、隊長」
「堅苦しいぞ、マルク。今は親子だろ」
鷹揚に応える青年――マルク。
ジルにとっては親子の関係。
いや、正確には義理の息子である。
剣鬼隊への帰属の際、家督を譲った実の息子はまだ幼いので、家をまとめる為にジルの妻はリューデンベルクで名を上げつつあった青年騎士を養子として迎えた。
騎士団でも実績や信頼もある。
ジルとも面識があった。
「何でここに?」
「隊長がここにいると聞いて」
「よせ。オレはもう騎士じゃねぇぞ」
マルクが神妙な面持ちになった。
甲冑の襟元からの、筒状になった一枚の紙を取り出す。
ジルへと両手で差し出した。
「これを」
「んだ、これ?」
ジルは紙面を展げて検める。
そこには王家の捺印がついていた。
文書を読み解いていくと、騎士団隊長職への復帰という待遇が載せられていた。剣鬼への圧迫によって、剣鬼隊に所属するジルを案じた知り合いからの嘆願という旨が添えられているが、おそらく戦力低下を意図した勧誘としか考えられない。
ジルは深々とため息して。
文書を雑に丸めてマルクへと突き返した。
驚く彼へ朗らかな笑みを向ける。
「悪ィな、ここが居心地いいんだよ」
「し、しかしっ!」
「心配はありがてぇが、オレは自分のやりたい事をやってる真っ最中なんだよ。みんなには宜しく言っといてくれ」
「……そう、ですか」
「ああ、だから」
「なら――」
言葉よりも先に。
抜剣の鋭い銀光が走った。
一瞬先に飛び退いたジルの胸甲をかすめる。
距離を置いて立ち、ジルも戦斧を手にした。
「なら――これ以上は家の名に疵が付くから死んでくれ、と?」
「貴方の存在が、僕や義弟にまで迷惑をかけるんですよ」
「薄情なヤツだな、ははは」
ジルは笑って戦斧を構える。
「オレに殺すつもりは無ぇが」
「僕はあります」
「そうかよ」
二人は互いの意思を了解した。
踏み出した足が重なる。
通路で剣戟の火花が散った。
後刻、ジルニアスは忽然と姿を消した。
ここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます。
何か暗い話になってきましたが、バッドエンドにはなりません。もちろん、彼も起きますが修羅場あります。




