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フィリアの背筋に電流が走る。
悪意の波動を魔力として感知した。客室区画の付近で、誰かが争っている。
席を立ってマリアに一瞥した。
意を察して、彼女も頷く。
「私の不在時も結界は解けません」
「ええ」
「ですが、もしもの場合」
「分かってるわ」
決然とした面持ちでフィリアは客室を辞した。
通路を出て。
一帯にけたたましく鳴った破裂音に驚く。
悪意を感知した方角が音源だと推測し、フィリアは足を急がせた。距離が縮まるほどに、大きくなる人の笑声を耳にする。
心底楽しそうな声。
音のする場所まで、そう時間を要さなかった。
辿り着いた先の光景に絶句する。
通路にナハトが倒れていた。
所々が剥がされた侍女服、足に刃傷が刻まれ、背中にはあえかな魔素の光を帯びた火傷を負った惨憺たる姿である。
その周囲を黒装束が囲っていた。
だからこそか。
金色の甲冑姿の勇者マサトが際立つ。
相手の様子を窺いつつ、フィリアは立ち上がろうとするナハトに寄り添った。
マサトが微笑む。
「フィリアじゃないか」
「これは貴方がたの仕業ですか」
「仕方ないだろう。彼から仕掛けてきたんだ」
ナハトを見遣る。
剣鬼隊では誰よりも冷静沈着。
勇者たちとの間に余計な諍いが起こることは負担にしかならないことを理解しているので、絶対に自ら火種を作る真似はしない。
ナハトの人柄には信頼がおける。
対して。
勇者は気に入らなければ事あるごとに対立する上に、自身や周囲への迷惑を慮ることなく行動する。
浅慮なマサトならあり得る。
したがって。
「信用できません」
「どうしてさ」
「ナハト君は、貴方がたと争う動機は無い上に、実力差を考えて挑みかかることもありません。――そうでしょう?」
「……はい」
ナハトが苦痛に堪えて肯く。
フィリアの信頼が自分にはない。
そんなことまでも意図せず確認したマサトは、悔しげに口もとを歪める。黒装束は成り行きを見守って沈黙していた。
相手は現代の聖女。
迂闊な行動にまでは出ない。
フィリアが両手を握って祈る。
ナハトの傷がまたたく間に癒えた。
「所要があって茶会の誘いをお断りしたところ、黒装束の方に不敬だと打擲されてしまいました」
「勇者様」
「ん?なんだい、フィリア」
「……その方々は?」
黒装束たちを見回した。
勇者は醒めた顔で彼らを指差す。
「僕に充てられた部下さ」
「部下」
「勇者としての部隊の構成員だよ」
ナハトが立ち上がったのを確認して。
「私たちはこれで」
「もう行っちゃうのかい?」
「では、失礼します」
一礼だけして立ち去る。
ナハトはその後ろに従って歩んだ。
「やり方が粗いです」
「強引になりましたね」
「早急に剣鬼を処理したいのでしょう」
勇者たちの見送る眼差しを感じる。
気取られないよう、二人は前を見据えたまま小声で会話した。
参謀陣営の手段。
それが次第に過激になり始めている。
聖女、剣姫、ミスト、優秀な剣鬼隊に庇護されていることが、何よりも厄介で、気に食わないのだろう。
フィリアは嘆息する。
「剣鬼隊にも注意を促して下さい」
「承知しました」
「あと、タガネさんは私が面倒を見るので、ナハトさんも自身の職務に集中して大丈夫ですよ」
「ですが、剣鬼隊としては」
「今回のようなことがあれば、大変ですし」
「……そう、ですね」
ナハトは怪訝に眉をひそめる。
正論ではある。
フィリアに任せて不安はない……はずだった。
だが、語調が一顧だにしない強制の意を感じて疑ってしまう。声色に出た、わずかばかりの独占欲に似た何かが窺えた。
彼女は悪意を感じ取れる。
では、自身はどうなのだろうか。
そんな思考が過って、フィリアを見る。
「大丈夫ですよ」
フィリアは、前だけを見ていた。




