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大陸北部の国の王都では。
年の遷り目を目前にする日を目前にし、不穏な足音がするかと耳を澄ます者の不安な心が犇めいていた。
破滅の獣が目指す地である。
大陸中の主戦力が募り、都は静かに決戦の用意を着々と進めていた。
新雪に包まれた路地。
石畳の上で凍ったそれらが、街の全体を厳寒の冷気で満たす。
屋根には氷柱が垂れた。
大陸北部とあって、一晩あれば水分が氷へと変化する気候である。人々はかじかむ手先を吐息の熱でほぐす。
寝床を出ることすら億劫になる。
それでも。
曙光に染まる王城に一日を始めた。
そんな営みに築かれた城下町。
道を往来する人々に新雪は踏み荒らされ、おびただしい足跡を絶えることなく刻まれる。大小さまざまなそれらが水を張り、また冷気に薄氷を張って人の足をすくう罠になる。
それらを避けて進めば。
また雪の余白は消えて罠は増えていく。
その結果。
駆け回る一人の子供が餌食になった。
道の中心で盛大に転ぶ。
案じる友人の声を聞きながら起き上がろうとして、差し伸べられた手に気づいた。
視線で辿ると。
銀髪の少年が静かに立っている。
彼は催促するように手が指間を広げた。
子供が応えて掴み取る。
ゆっくりと、力強い手に引き上げられて立ち上がった。
「お兄さん、ありがと!」
「足下に気をつけな」
「うん!」
子供は礼を言って。
注意を受けたそばから駆け出した。
転倒の危険すら念頭にない勢い。
「この寒さで元気なこって」
その背中を見送って。
銀髪の少年が路地を進み出した。
雪を踏む足先は、王城へと向いている。
その後ろ姿に複数の視線を飛ばす。
それらの正体は路肩で輪になって歓談していた人々。
その顔には憂いの陰りがある。
接近する災厄の足音に怯え、避難の算段やその後の心配など、深刻な先行きに暗い話題が絶えず、ますます顔色を悪くする一方だった。
しかし。
瞳だけは絶望と異なる色に光る。
「あれよ」
「……間違いない」
「へえ、あれが」
雑談の口を止めず。
少年の姿を目で追った。
腰元をベルトで絞った黒いロングコートの長裾をなびかせる。腰に奇怪な長剣を佩き、銀の双眸が冷たく先を見据えていた。
横を過ぎた少年の横顔。
そこに誰もが期待の眼差しを注ぐ。
数人の若者が騒ぎ出した。
「あれが剣鬼だ」
「あんな若いのが!?」
「銀の髪って、やっぱそうだろ」
「かの王国の跡地で、魔獣数百を単騎で狩り続けたって」
「噂じゃ、ヴリトラを討ったのも彼らしいぜ」
「人間かよ…………」
「彼ならケティルノースを倒せるんじゃ」
畏敬に震える囁き声。
それらを耳にして。
密かに白いため息を漏らした。
タガネは辺りを流眄する。
隠す素振りもなく自分を凝視する衆目に足を加速させた。
たった一睨み。
それだけで人々はさっと顔を背ける。
遺憾ながら。
露骨ではあるものの効果絶大。
自身の厭わしい部分を利した慚愧に堪えて、タガネは人の視線を避けるように王城に急いだ。
その足取りは重い。
「情報は早いな」
若者の言った通り。
第一王子ルナートスが所有し、リッセイウム家が誇る宝剣を王国跡地に葬りに向かった際、迫り来る魔獣をすべて撃滅した。
それが噂となっている。
その討伐数。
もう片道で数えられる量ではなくなった。
その過酷な道を経て。
大陸北部へと足を運んでいた。
「しかし」
一度だけ止まって辺りを見回す。
「さすが、最大国家」
タガネは小さく呟いた。
大陸最大の国土と歴史を誇る軍事国家。
リューデンベルク王国。
ここはその王都である。
ケティルノース対策の世界規模の連合軍が組織され、その本部を立ち上げたのがリューデンベルク王国だった。
発展した王都の広さや人と店の数。
どれもが類を見ない質と量だった。
その景観の中に。
傭兵の数が多く、中には名のある凄腕の戦士の姿もある。大陸中の戦力が集中している証拠であり、ここが世界の中心だと感じさせる。
タガネは空を見上げた。
「約束したしな」
もう逃げられない。
タガネは王城を見据えて踏み出した。




