一話「隠り歌」前編
森の奥の館に。
陽に当たれば焼かれる娘がいた。
親を知らず、太陽を識らず。
ただ、ひっそり生きている娘がいた。
大陸の最西端は森深い地だった。
常緑樹の植生で満たされた地は、吹雪や乾燥にさらされても蒼然と大地から根を絶やさない。
だからこそか、獣の国となっている。
鳥の鳴き声、草を食む音、樹間をよぎる影。
緑が萌え、大気は生気に充ち満ちる。
だが、人は誰も寄り付かない。
狩人が獣を仕留めに足を運ぶが、あまり深い所に行くと、帰れなくなるとの風聞がある。
遭難か。
それとも、森の奥に怪物がいるのか。
はたまた、人を惹き留める桃源郷。
そんな噂が立ち始める。
いつしか。
人々はここを緑の沼と呼んだ。
そんな森の中。
少年が木漏れ日を頼りに進んだ。
まだ開拓がなされておらず、舗装された道が細々と木立の中を巡る。
半ば獣道となっており、鞘ぐるみの剣で払いながら歩んでいた。
そうして少年タガネが嘆息する。
齢十六の夏、今年で六度目の仕事だった。
それは森の奥地を調査すること。
すでに十二件の行方不明の報告が上がっており、これを不審に思って森に隣接する地域を治める辺境伯から依頼が出された。
そうして。
請け負った傭兵もまた数名が行方知れず。
巡りめぐって。
タガネのところへ話が来た。
「本当、面倒なこって」
思わず愚痴がこぼれる。
タガネは方角をあらためながら進んだ。
日の角度などから進行方向を確認し、森の奥地を目指す。気になった都度に修整などを心がけるが、特段その足先が過つことはなかった。
人を惑わせる力が作用しているわけではない。
噂では幻惑されると言っていたが。
尾ひれがついて話が誇張されているのだろう。
だからこそ。
タガネは呆れるしかなかった。
「概ねの噂はウソだと」
もうすぐ噂の奥地に着く。
信憑性を欠く情報ばかりだったが、実際に行方不明者がいる。その後の消息が杳として知れないので、偶然で十数件に及ぶとは考えがたい。
タガネの予想では。
純然たる危険が潜んでいる。
「どうせ魔獣か何かだろ」
タガネは進み出して。
ふと奥から聞こえた音に耳を澄ます。
足音、ではない。
獣の鳴き声にしては、妙に上ずったり低くなったり、語調の変化を感じる。
しばらく聴いて、タガネはそれが歌だと理解した。
まだ歌詞は聞き取れない。
しかし、綺麗な音色だった。
タガネはそちらへ足を運ぶ。
そして。
「……化かされてるのか?」
辿り着いた先。
そこに集落があった。
生け垣で囲われ、扉と思しき物も設えてある。その奥では土を叩く音がしており、中へ入れば人が畑仕事に勤しんでいた。
畝の間に体の芯を据えて。
力強く鍬を振り下ろして土に叩き込む。
人の営みがあった。
遠くには多数の民家も見受けられる。
タガネは畑へと立ち寄った。
「もし、そこの方」
「ん……もしかして、傭兵かい?」
「ああ。ちと訊きたいんだが」
「構わんぞ」
畑仕事に当たる人物。
その一人だった男に尋ねた。
彼は肩にかけた手ぬぐいで顔の汗を拭きながら、タガネの下まで歩み寄る。
「地図じゃ、ここに村は無いんだが」
「そりゃ、そうさ」
「……おまえさんは、いつからここに?」
「ここに来て十余年だな」
「今年は移住者なんかがいたかい?」
「いや?」
タガネは小首をかしげた。
地図上に無い場所に十年以上前からいる。
人の手が届いているなら、地図にも記される。『緑の沼』などと謂われる所以などないはずなのだ。
行方不明者は、この村にいない。
では、何処に……?
猜疑心にタガネが黙り込むと。
農夫が北を指した。
「疲れたろ。茶でもどうだ?」
「いや、仕事の邪魔になる」
タガネは畑を斜視する。
すると農夫が笑って手を振った。
「なら夜主の館はどうだ?」
「夜主……?」
「この村を治めてる方だ」
指し示された方向を見た。
両脇から梢を伸ばして屋根を作る街路樹の列、その中を潜る長い坂がある。
そこに薄闇を湛えていた。
「なら、挨拶しに行くかね」
不気味さに苦笑しつつ。
タガネはそちらへ向かった。




