12
北の山嶺の盆地では。
子供の声が消えた寂寥に堪える孤児院を出て、シスターは水を汲みに小川へ出ていた。
豊かな草原も水も。
シスターの目には色を失って見える。
川の畔に座り、桶でその水を掬う。
普段なら子供と一緒にしていた作業で、よく隣に付き添う子供たちから気を引きたいが為の妨害などを受けていた。
事あるごとに子供の顔がちらつく。
頭を振って。
桶を手にシスターは立ち上がる。
それと同時だった。
「どふっ」
「げぶ」
「ごぼぉ!?」
小川の河面が次々と水柱を立てた。
飛沫に驚いてシスターは転倒する。
地面に打った腰をさすりながら上を見ると、水柱の正体は空に出現する男たちだと分かった。小川へと落ちて悲鳴を漏らす。
河を騒がせる謎の放擲。
その中に小さな影が紛れ込む。
河に落ちた声もまた幼かった。
事態を理解できないシスターの驚愕も冷めない間に、今度は南の空が太陽の光を搔き消すほどに輝き、地鳴りに揺れる草原が一瞬だけ暗くなる。
遠雷のような響き。
それが止んだ頃に落下物も絶えた。
小川から誰かが立ち上がる。
「ここは、何処だ?」
「……あ、貴方は?」
シスターは震えながら問う。
誰よりも先に小川から立ち上がるのは、銀髪の少年だった。髪を指で掻き上げて水分を払い落としつつ彼女を見た。
腰に奇怪な剣を佩いている。
眼光の鋭さに思わず身がすくむ。
シスターは萎縮する。
その様子から怯えを察して、少年は胸前で手を振った。
「驚かせて申し訳無い、俺は――」
「シスター!」
「どぶっ」
「え……?」
銀髪の少年が突き飛ばされた。
河に倒れる彼を踏み越えて、小さな影たちが躍り出る。一斉にシスターへ飛びかかり、首筋や胴に抱きつく。
突然のことに面食らって。
しばし茫然自失していたが、やがて体を包む体温たちの正体を悟って抱き返した。
それは。
居なくなったはずの子供たちだった。
「あなた達、どうして!?」
「あの男は亡くなりました」
「……ナハト?」
「ただいま戻りました」
シスターに対し。
遅れてやって来たナハトが目礼する。
その一言だけで、弑逆に及んだ彼の経緯を知って、彼女の目に涙が浮かぶ。その背後に並んだ侍女服たちもまた、久しく見なかった孤児院とシスターの様子に声を忍んで泣いていた。
突き飛ばされた少年――タガネは立ち上がる。
「この……!」
「ええじゃないのぅ」
その隣にベルソートが浮遊する。
タガネは水気を払って渋々と紛糾を飲み込む。
再会したナハトとシスターの遣り取りから視線を外し、剣鬼隊は自身の現状を確認した。唐突に知らない場所に投げ出されている。
数秒前までいた連合国中央の巨塔。
その影すらも無い。
「改めて礼を言うよ、ベル爺」
「対価はもちろん?」
「承った」
「ほほ。楽しみにしとるぞい」
陽気な笑声を上げる。
ジルが小首を傾げながら腕を組む。
「誰だ、そのジジイ」
「ベルソート・クロノスタシア」
「……どっかで聞いた名だな」
「昔凄い魔法使いがいたじゃろ?」
「いや、知らねぇな」
「マジ?ワシって傭兵には知名度無し?」
タガネは苦笑して。
シスター達の方へと歩んだ。
身構える彼女たちに剣が届かない間合いで立ち止まり、乾いた草の上に腰を下ろした。剣鬼隊も後ろへと集合し、同じようにその場で胡座を掻く。
ナハトが振り返った。
「ナハト」
「はい」
「おまえさんの家族は取り戻した」
「ええ」
「……正直、勝手に組織された剣鬼隊なんぞ俺にはどうでも良い。だから、おまえさんも家族と一緒に過ごすも良し、だ」
取り戻した物。
主人から奪うのは剣鬼隊の都合である。
その両者と関わったのは、そもそも家族を護る為だった。もう戦う必要性が無くなり、剣鬼隊と共にいる理由もまた消滅した。
タガネとしても。
本意ではないのに組織された部隊なのだ。
その統轄はジルの一存である。
タガネは自身を狙うイーザスを倒す、ジルら剣鬼隊はナハトを取り戻す、その上で結託した契約関係とも換言できる。
つまり。
剣鬼隊に拘束される謂れは、タガネもナハトにもない。
「自由にしな」
「貴方は、どうするのですか?」
「俺はケティルノース討伐に向かう」
「あれだけ嫌がっていたのに」
「肚はもう決まった」
タガネが顎でシスター達を示す。
「俺の伝手を使って」
「はい」
「シスター達は帝国に移住して貰う。そこなら安全に暮らせるだろう、預かり先には恩を売ってあるから保証する」
ナハトは黙って。
前後の剣鬼隊とシスター達を見る。
どちらを選択しても憂いは無い。
ジル達も、黙ってその決断を待っていた。
「……私は――」




