8
マリアが摺り足で前に出る。
距離を慎重に測って、出方を見ていた。
タガネも構えた剣を揺らして牽制する。
互いに相手に半身だけ見せるように斜に構えて、剣を前に差し出して対峙していた。
タガネは右手に長剣。
マリアは左手に銀剣。
まだ攻撃は出さない。
マリアは短い歩幅で躙り寄るだけ。
すると。
タガネは剣を大上段に構え直した。
マリアの目がわずかに動く。
――誘っている。
剣姫の戦術は、相手の攻撃をいなして乱れた隙を衝いて鮮やかに倒すことを目的とする。鉄壁の防御が最大の武器なのだ。
先手ではない方が効果を発揮する。
しかし、タガネは……。
「……………」
「ふふ、そう来るわよね」
全く動かなかった。
泰然とマリアの挙を待つ。
剣姫が苦手とする攻勢に転身するのを狙っていた。防御こそ主流のマリアが徒に攻め手に出れば、その技に綻びが生じる。
それが却って致命的な隙に繋がるのだ。
並大抵の敵なら、たとえ攻勢であろうと苦闘することは少ない。
相手がタガネでさえ無ければ。
「どうした。俺を負かすんじゃないのかい?」
「本っ当に腹立つわね」
「その割に冷静だな」
「…………」
飛び込めば敗ける。
初手の前から一つの敗北を確信した。
何せ、その手法で十二敗している。
怒りに身を委ねてタガネに利用されてきた。
今は違う。
何度かタガネの仕事を手伝った折、その剣を戦場でじっくりと観察したことがある。今更ながら、剣の冴えを引き出すのは冷静さに尽きると痛感したのだった。
だから、易々と先手に出ない。
「少しは成長したな」
マリアの思わぬ成長。
タガネは自身の失策を悟って笑った。
そもそも。
剣鬼の剣術は、反撃の余地すら与えない連撃に次ぐ連撃で相手の防御もろともすり潰す。
誰の目にも、マリアと比較しても理性の欠片も無さそうな戦法である。
ただし。
猛撃を構成する一閃の技巧。
そこには修羅場で研磨された鋭さがある。苛烈な本能を厳重な理性が緻密に制御するからこそ織り成された。
相性が悪いとすれば。
マリアのように防御に特化した剣術。
相手の技が格上であるほど、タガネの剣技は無力化される。
犇々と感じ取っていた。
今のマリアは、それに相当する力を持つ。
タガネが連合国の戦場に身を投じる間、マリアもまた自身なりの研鑽を積んでいたのだ。
タガネの胸が緊張ですくむ。
震える喉から呼気が漏れた。
「面倒なこって」
「来なさい」
楚々と光る強い紺碧の瞳。
その眼差しを受け止め。
「そうしようか」
タガネは大地を蹴った。
踏み出した一歩に合わせ、下から逆袈裟に剣先がマリアへと趨る。
音すらもしない一閃。
マリアは逆に一歩退く。
眼下から迫る剣を、横から添えるように寄せた銀剣で横へと弾き、自身の隣の虚空へと導く。空振りしたタガネの剣先から風が吹き荒れ、砂塵が大量に巻き上がる。
銀剣を握る手元が痺れた。
音もしない。
それなのに、剣圧だけは犀じみた重さ。
マリアの全身を戦慄が駆け巡る。
そして。
「ふふっ」
それは昂ぶりへと繋がった。
対峙した敵の力量を改めて知る。戦場でも滅多に会えない、自身を高めてくれる極上の相手であることの悦びだった。
その情念に背を押されて。
次はマリアが一歩前進する。
直線軌道かつ高速で刺突を放つ。予備動作すら制して繰り出した妙技だった。
タガネは逆袈裟斬りをいなされた体勢。
上体が右に大きく逸れている。
今ならば避けられない、剣を握るタガネの右肩へ必中の一刺だった。
灰色の瞳が瞠目する。
「ふ――ッ!」
その姿勢から。
タガネは更に上体を右へと傾ける。
マリアの剣先が左肩を擦過した。わずかに着衣を斬るだけに終える。
相手の反撃を躱して。
タガネは崩れた姿勢を戻すために体を右回転させつつ、引き戻される銀剣と同時に懐へと潜り込む。
体の前面が相手に巡る瞬間。
至近距離からマリアへと剣を振るった。殺傷を目的としない、剣の平を相手に差し向けた打撃である。
だが。
「外れよ!」
剣が空を斬る。
マリアの姿が消えていた。――否、タガネの踏み込みに合わせて、マリアもまた右回転を行いつつ前進したのだった。
一瞬だけ彼と背中合わせになり、華麗な舞踏のようにすれ違って立ち位置が入れ替わる。
タガネの攻撃が回避されて。
鏡合わせのようになり、お互いの剣の柄頭がこつりと小さく衝突した。
弾かれるように二人は距離を取る。
再び正面に向き直った。
「腕を上げたな」
「上から目線ね」
「おまえさんを侮っちゃいないさ」
タガネは大上段に剣を掲げる。
飛び出しながら、高い位置から剣を横薙ぎに振った。
それはまだ間合いの外からであり、音もなく馳せる剣先の迫力に、わずかに顔を後ろへ引いたマリアの鼻先の空気を揺らすだけだった。
訝しむマリア。
すると。
その剣が中途で停止し、逆手持ちに変わる。
返す刃で方向転換した剣先が首を目指す。
マリアは一歩退きながら銀剣で横へと滑らせた。――その直後に、再びタガネの剣が停止する。
刹那の鍔迫りの状態となり。
そこからタガネが圧力をかける。
マリアは元から後退していたのもあり、呆気なくその力によって、予定していたよりも更に後方へと押しやられた。
蹈鞴を踏んだマリア。
その背中が枯れ木の幹にぶつかる。
「なッ?」
「袋の鼠だな」
いつの間に――追い詰められていた。
タガネは戦いながら、マリアを誘導していた。手練れでも竦み上がるような冴え渡る剣姫の技を前にしても、冷静に退路を塞ぐよう枯れ木へと移動させたのだ。
その作戦に気づいて。
もう遅かった。
「さて、どうする?」
左右より。
稲妻めいた残像を残す鋼の光が奔った。
枯れ木へと釘付けにするよう、高速で振るわれたタガネの猛撃が始まる。必死にいなすマリアの全力さえも、意図して引き出されているような状況だった。
暫しその状況が続いて。
篠突く雨のごとき勢いの剣、その中の一撃を受け流し、横へと飛び退く。起死回生の脱出に成功し、そのまま距離を取って立て直そうとした。
しかし、タガネは逃さなかった。
脱出したばかりのマリアの行く手に剣を突き出される。
マリアの足が止まった。
続けてタガネが剣の平で軽甲冑を殴打する。
マリアは再び枯れ木へと突き飛ばされ、そこへ間髪入れずに、脱出に苦心した連撃が再開された。
銀剣が悲鳴を上げる。
流し遂せず、受け止める数が増した。
あの重い剣圧が身を軋ませる。
呻く声すらも押さえられるほどに、あらゆる行動が封殺された。タガネは涼し気な顔で、もはや片手で剣を軽く扱っているかのように振っている。
手も足も出ない。
間断無く迫る剣撃に、マリアは悔しくて唇を思わず噛むことすらできない。
やがて。
「そら」
「うッ!」
銀剣が撥ね上がった。
上空に円弧を描いて飛び、近くの地面に突き立つ。
マリアはその場に座り込む。
頭の少し上の位置の樹幹を長剣が突き刺す。
タガネが柄から手を離した。
「終わりだよ」
「…………」
「今回は中々良かったぞ」
「……嘘よ」
「あ?」
「今までで一番早い決着だったじゃない!!」
マリアが怒声を上げた。
潤んだ瞳でタガネを睨み、握った拳で自身の膝を叩く。悔しげに歪んだ眦から、涙が溢れて頬を伝う。
一瞬で嫌気が差して。
タガネの顔もまた険しくなった。
「いや、戦法も剣の冴えも悪くなかった」
「うううう!」
「唸るな」
マリアが涙声で唸る。
「尋常に剣だけで戦るのも考えた」
「…………」
「だが生憎、こちとら外せん用事もあったんでね」
「外せない、用事?」
「そう。だから地勢を利用させてもらった」
タガネは頷いた。
長剣を引き抜いて鞘に納め、片手でマリアの手を引いて立ち上がらせる。まだ紛糾を胸中に溜めた表情の彼女に微笑み、その肩を軽く叩いた。
マリアからすれば遺憾な勝敗である。
剣ならばともかく。
「納得いかないわ!」
「勝ちは勝ちだ」
「……………せっかく鍛えたのに」
「今までで一等冴えてた」
「褒められても嬉しくないわよ」
「面倒くせぇ」
タガネは銀剣を拾った。
次いでに魔剣を腰帯に取り付けつつ、マリアへ銀剣を投げて寄越す。
「俺はケティルノース討伐に参加しない」
「……………」
「あっちから来るなら仕方無ぇが、俺から向かうこたぁ無い」
マリアが顔を伏せる。
タガネは緩やかに手を振って踵を返し――。
その袖が引かれた。
「待って」
「うん?」
「あの、さ…………」
「何だい」
「久し振りなんだから、何か他にも無いの。私と話したいこと?」
「いや、別に」
「………………………………………」
「怖っ」
淡白なタガネの反応に。
マリアの顔が鬼気迫るものと化した。
袖を摘む指先に力がこもる。それは、会話がないとまた怒号が飛ぶ予告でもあった。
タガネは目を泳がせる。
「何か、無いわけ?」
「うん、と……?」
「……………」
「と、特に無いが……」
マリアが黙り込む。
「何がしたいんだい」
「私、ケティルノースと戦ったのよ」
「…………」
「死ぬかと、思ったのよ」
「そうか」
「私だって、あんなのと二度も戦いたくないわよ」
「うん」
「そのとき、アンタが隣にいてくれたら……微力だけど勇気湧くじゃない」
「微力かよ」
マリアがタガネの腕に額を寄せる。
体が小さく震えていた。
「…………ああ、そうそう」
「……何よ」
「今更なんだが」
マリアが顔を上げる。
タガネは後頭部を掻いて、顔を背けながら。
「おまえさん……たちが無事で安心した」
「えっ……」
「事を耳にしたとき、無事だと知って心底安堵した……遺憾ながら」
「遺憾?」
マリアの顔が詰め寄る。
タガネは体ごと後ろに引いた。
「取り敢えず」
「なに?」
「また、おまえさんのその顔見れて良かったよ」
正直な気持ち。
タガネは苦笑混じりに口にした。
それを聞いて、マリアはまた涙を滲ませながら笑みを咲かせた。
「ばかね」
心の底から嬉しそうに剣姫が笑った。




