14
墓所は荒れ果てていた。
いつもより濃い死臭が漂う故郷に進もうとする足が竦む。
破壊された柵や、入り口まで吹き飛ばされた土砂の山の中に散見する墓石、そして見える範囲でも夥しい量の肉塊で景観が埋め尽くされている。
テュラは隣のマコトに無言で視線を送る。
いま自分が背負っている大鉈は、マコトが墓所から回収した物だ。
ならば、彼女は先んじてこの景色を見ている。
果たして、マコトが訪ねた時点で本当にこうなっていたのか。
無意識にテュラは否定して欲しくて縋るような眼差しを向ける。如何に憎い親族と黴臭くて嫌いな慣習の根付いた場所とはいえ、それなりに思い入れのある唯一の故郷だった。
「そうだよ」
「……こんな」
無情な肯定にテュラは膝を屈しそうになる。
進む事をやめたテュラに代わるようにマコトが歩む。
「凄いよね。死体が噂より多い」
「…………」
「尖兵三百体以上の呪詛に堪えながら殲滅。戦に出たら大陸一の剣士くらいは名告れたかもね」
「ちょっと、黙っててくれ」
能天気に所感を述べるマコトを咎める。
テュラは震える膝を自分の拳で叩いて鼓舞し、前へと足を踏み出した。
記憶を頼りに荒廃した墓所内を巡る。
荒れ果てた状態だが、住み慣れた土地で養われた感覚は、たとえ一月以上の間隔があろうとも、地形が変わっていようとも、土を踏めば大体の位置を把握できる。
まずは、一族の館を目指した。
その途中も夥しい尖兵の死体が景色を埋め尽くす。
「っと、そうだ」
「ん?」
「……いや、本当に呪いが通じないんだな」
テュラはマコトを一瞥して、再び歩く。
この辺り一帯は、完全に呪われている。
誕生時に『反転』しているテュラは、既に呪いの影響を受けない。理解外の毒素に塗れた土地や空気の中でも生きていられる。
しかし、マコトは違う。
本人から既に説明は受けたが、やはり呪いは効いていない。
「そうだね」
「本当はおまえも呪われてんじゃないの?」
「……ワタシは、いつも『兄さん』と一つだから」
「え、何?どう言う事?」
「ふふ、内緒だよ」
マコトの言葉の真意が分からず、テュラは煙に巻かれたのだと思って顔を顰める。
原理は不明だが、呪いで死なないのなら上等。
協力者ならそれくらいでなくては。
「あれが屋敷?」
「そう。あれが……屋敷……」
テュラの声が尻すぼみになるのも当然だった。
屋敷と言うには、見る影もない惨状である。
真っ二つに裂かれて豪快に二分された屋敷の片方は、真上から途轍もない質量で圧されたかのように崩れている。
屋根は吹き飛んで、屋内は吹き曝しの状態だった。
そして、そこからも死臭がしている。
「一族さんの死体があるっぽいけど」
「……いや、見なくていい。次は母さんの墓を見に行く」
屋敷に背を向ける。
別に一片の親しみもない人間たちだった。
ただ、残酷にもこの世に肉親がいないという事実を告げられた事にこそ心が痛む。自分の中でその悼む価値も無い死と分かり切っているのに、そんな物に落ち込んだ気分にさせられている精神が腹立たしい。
悲哀と自己嫌悪に苛まれて顔は険しくなる。
それをマコトが無遠慮に見詰めていた。
「あんだよ」
「複雑な顔だな、って」
「腹立つな、その感想」
始終マコトには緊張感が無い。
下手な同情よりは気に障らないが、若干調子を狂わされてテュラとしては有り難くも感じない。
正直な話をすると、酸鼻な墓所の景色よりも内心を複雑にさせているのはマコトなのかもしれないと思いつつあった。
「本来の目的は墓参りだっけ」
「ああ」
「お母さん、好きなの?」
「……今はあんまり」
叔父エデルの話によれば母の人格は褒められた物ではない。
酒場の男と酔った勢いで子を成し、逆上して相手を殺害する上に身重のまま子供を慮らずに『役目』に身を投じた。
エデルのみならず酒場の人々も同じ事を言う以上、信じる他無い。
「ああ、あれ――」
母の墓石の位置をテュラは指差す。
そして、固まった。
「…………エデル?」
「うん。そうだよ」
母の墓石はあった。
周囲は蹴散らされて、もはや墓所とも呼べない。
破壊の限りが尽くされた土地で、唯一そこだけが何事も無かったように残っている。
そして、墓石に寄り添うように死体が一つ。
目を瞑り、血に塗れながら俯いて座っている。
片腕も片足も無く、凄惨な戦いの痕跡だけが見受けられた肉体は一月以上経った今でも腐らずにあった。
心臓は動いていないだろうに、止め処なく血は流れている。
「どう、して」
「『死体は腐る物』という常識が反転して、逆に呪いで保存されてるんだね。……偶然だと思うけど」
「…………!」
テュラには嫌でも分かった。
何もかも壊れた故郷で変わらずにいる母の墓石。
最後まで残り、戦ったエデルがひたすらそれだけを死守した事が……分かってしまった。
よろよろと墓石に歩み寄る。
否、テュラは死体に近付いた。
「なあ、何でだよ」
死体の襟を掴んで揺する。
重く閉ざされた目は開かない。
「呪いの所為でオレに本音が言えなかったとか言い訳すんなよ!アンタが本気なら、オレを気絶させて外に連れ出すなり出来ただろ!何でだよ!」
分かり切っているのに訊いてしまう。
エデルは、慕っている母が眠る土地から娘を引き剥がす事を躊躇ったのだ。
たとえ、本性を知らない無知故の愛だとしても。
だから、安易に墓所からテュラを持ち去れなかった。
「なんで……なんで死んだんだよ……!」
今なら、はっきり分かる。
受けた痛みも、罵詈雑言も覚えている。
しかし、それらを上回るモノがテュラの中で湧き上がった。
気付いたのは、相手が死んだ後。
「……オレの……家族だろうが……!」
死体に縋り付いて、テュラはその胸に顔を埋める。
嗚咽を漏らす彼女の背中を、マコトは後ろで見守っていた。
失ってから気付かされた時ほど惨い事は無い。
誰かは自業自得だと嘲るだろう、誰かは同情で涙するだろう、誰かは愛の形だと称賛するだろう。
だが、いずれもマコトには無粋に思えた。
家族を失った痛みはテュラにしか分からない。
本人以外が感じた物を口にしたところで価値は無い。
だから。
「ツライ!コレはツライ!」
墓所内に響き渡る拍手。
マコトが後ろを振り返ると、死体の山の上に何かがいた。
宙を蛹のような物が浮遊している。
一部だけ開いた箇所から、瞼も頬も唇も腫れ上がったような浅黒い肌の人面が覗いている。
蛹の隙間から伸ばした小さな手を鳴らしている。
蛹の背部では三対の翅が高速で動いているが、音がしない。
「素晴らしい自虐、感動だわ」
次いで、頭上からも色香に濡れた声。
マコトが見上げた先で、中空で腕枕に頭を預けながら寝ている女性がいた。単衣を片肌脱ぎにし、豊満な肢体の艶やかな肌を晒して微笑む姿は誘惑しているかのようである。
「いいや!素晴らしい愛の形だ!」
三つ目の声は、大胆に墓石を挟んでマコトたちの正面。
少し離れた位置で酒瓶を呷る男がいる。
後ろに髪を撫でつけているが、それが獅子の鬣のように毛先は逆立っている。
軽薄な笑みを浮かべ、テュラを左右の目とは別に額に開いたもう一つの目で見ていた。
「……何か用かな?」
「我々は『使骸』!呪神様の武器!」
「墓所を拠点に、これから版図を広げようとしていたけど……思わぬ客人に少し観察していたの」
「いや、良い物を観せて貰った!」
三者三様にテュラの状態へ反応を示す。
墓所内に響く声を静かに聞き、マコトは――表情を消していた。
無言で腰に佩いた黄金の剣を抜く。
たったそれだけの所作に、ぴりと空気に電気が走った。一斉に声が止み、テュラにあった関心がマコトへと偏る。
「ほうほう、これは」
「客じゃなくて厄介な獣だったのね」
「愉快!今度は戦の愉悦をくれるのか!」
聖剣を抜いて、マコトは全員を一瞥した。
表情に何も映さない分、眼差しに感情が宿っている。
向けた者を岩漿の如く呑み込んで燃やし尽くすような怒りがそこにはあった。
「テュラ。少し待っててね」
マコトはテュラに一声かえてから、その場で一歩だけ軽く地面を踏み降ろした。
「――『厄祓』」
墓所全体に不可視の衝撃が発生した。
音もなく大気、大地……全てが波打つ。
不可思議な現象が魔力による影響とは異なる力の波動によると理解する間も無く、蛹は血を噴いて後ろに吹き飛び、頭上の女性はさらに上空へと弾き上げられ、男は荒れた大地の上を跳ね転がった。
たったの一歩だった。
軽く地面に足の裏を付けただけの攻撃とすら呼べない動作だけで、三人は体の内側を掻き混ぜられて穴という穴から流血が迸る。
最初に体勢を立て直した女性が、直下の景色に目を瞠る。
墓所に転がっていた尖兵の死体たちが次々に血を噴き、辺りを濃い血煙が染め上げていた。
存在する全てを攻める謎の衝撃波の威力に女性の顔が引き攣る。
視えない上に無慈悲な破壊力だ。
その上、理不尽な事にテュラと墓石と死体のみが無事。
あれだけ広範囲にも拘わらず、対象は自由に選択できるという未知の法則に、これから立ち向かう者の強さの一端を知らされる。
正面から闘ってはならない!
女性も蛹も男も、呪神に従う『使骸』ではあるが仲間意識は無い。
それぞれが際立った個であり、頭に連携なんて考えは皆無。
しかし、敵の強大さに女性はその必要性を強いられた。
まずは敵の位置を血煙の中から暴き出し、三人で一斉に攻撃しなくてはならない。
肝心のマコトの姿は……何処にもない。
「ちょっと!何処行ったのよ!」
「ここだよ」
隣からした声に振り返る女性の視界が、既に振り出された固い革靴の爪先を捉えた。
「えっ?」
受けた攻撃は本当に蹴りではなく砲撃だったのではないかと疑う威力が顔面で爆発し、独楽のように猛然と回転しながら女性は空を飛ぶ。
背後を取られた不覚を恥じる暇も無い。
天地が目まぐるしく変わっていた景色が急に止まる。
高速回転していた背中に、固い膝当てが突き刺さっていた。
「ガバァッッ!?」
「危うく場外に出すところだった」
再びマコトが足を振り抜く。
緩やかに弧を描いて、女性は血煙漂う墓所の中に墜落した。
蹴り飛ばした先に、女性より速く回り込んで追撃――遠目に見ていた蛹は、理解を拒みたくなる光景に体を緊張させる。
「バケモノ!バケモノ!バケモノ!」
「じゃあ、同類だ」
「ヒッ!」
既に背後に接近していたマコトに蛹が悲鳴を漏らす。
さっきまで上空にいたのに!?
蛹は至近距離にいるマコトに戦き、そして気付いた。
魔力を全く感じない。
霊力もまた感じない。
一切の気配を絶っている状態に、気取られず高速で死角を取れる理由を理解した。
「ゆ、悠長に分析してル場合ジャない!」
すぐさま上空へと飛翔しようとする蛹に対し、黄金の剣閃が逃すまじと高速で追走する。
一瞬の鋭い痛み。
マコトの剣先は、惜しくも掠めた程度で致命傷にもならず、蛹は安堵に震えた。
攻撃速度も速いが、躱せた。
追うように放った大振りの一撃の後で隙だらけ。
反撃をくれてやると蛹が悪意でその顔に笑みを作り――。
「『死屍脅』」
「ハ?――ゲバァッッッ!!?」
空振った筈の聖剣から溢れた光が、まるで生きている蛇さながらに蛹の全身に巻き付き、触れた箇所が削げ落ちた。
血飛沫を振り撒いて、だが蛹は上空へとどうにか逃れる。
避けた筈の剣撃が、文字通り追ってきた!
射程範囲にもよるが、これでは近距離戦や中距離戦でも血達磨にされてしまう。
理解不能の現象に狼狽える蛹は、近くにいるであろう未だ姿を見せない男を探す。
「コイツ、危険!すぐに殺セ!」
「仕方ねーなぁ」
切迫した蛹の声に、血煙の中から男が跳躍して現れる。
マコトをその目に捉えるや、虚空に手刀を振るった。
「死蹟――『欲狩り』!!」
「ん?何それ――っ!?」
攻撃とも呼べない挙動にマコトが眉根を寄せた直後、その体を鋭い衝撃が襲った。
同時に、足元に深く長い裂け目が生じる。
マコトは二、三歩だけ後ろに蹈鞴を踏んだ。
直撃した斬撃は、如何に魔力、霊力で強化されていようと貫通できる鋭さがあるという自負が男にはあった。
男は蹌踉めくマコトの姿を見てにやりと笑って。
「ってあれ?何で斬れてないのさ!」
「流石はアースバルグの作ってくれた鎧だねっ。……あれ、インナーがちょっと切れてる」
「む、無傷かよ……」
「へえ。斬撃かぁ」
大地もろともマコトを斬った筈の男の相貌が驚愕で歪む。
不可視の斬撃を受けても、彼女の着る軽甲冑には傷一つ付いていない。
防具は明らかに霊力で鍛えられた至高の一品。
だが、攻撃は軽甲冑以外の部分にも届いた……筈なのに、裂けた服の隙間からは無傷の白い肌が覗く。
その結果に男には理不尽と言わざるを得なかった。
「じゃあ、ワタシも」
「効いてないとか可怪しいだろ」
「――『神討滅却』」
マコトが男と同様に手刀を下に振り抜く。
同じ斬撃か!――と空中で身構えた男を、頭上から下りた一条の光が撃墜した。
質量を伴っているかのような高密度の霊力の塊。
受けて理解したのは、男たちが発揮できる物とは桁違いの強さという絶望だった。
何なんだ、あのバケモノは!
地面に沈められた男は、自身の血反吐に汚れた顔を上げてマコトを見る。
「…………!」
「ここは墓所だよ?お墓参り以外で来ちゃ駄目」
三人に聞こえるよう少し張り上げられた声の調子は、聞き分けのない子供に優しく諭すようだった。
しかし、一同は理解していた。
優しく語りかける声は、その底に神すら身震いさせるような殺意を孕んでいる事を。
「分かったら――死んでね?」
天使のような微笑みで災厄は三人に笑いかけた。
タガネ強ェエエエ!的になってはいますが、本物のチート人間はマコトです。




