小話「極める者」完
星狩りから五十年後。
都市一つが崩壊する事件が起きた。
予て都市内部で噂が立っていた、夜な夜な人を食らう悪魔が潜伏を止めて遂に人界へとその牙を向けたのだと近隣の地域では囁かれた。
この実態を調査に赴いたレギューム調査隊が壊滅し、しかして彼らの決死の作業によって情報だけは本部に伝達される。
真実は異世界の怪物による仕業。
未だ崩れた都市の中に、諸悪の根源がいる。
その情報を受けて。
「来たは、良いんだがな」
タガネは現地を訪れていた。
待っていたのは、悲惨な光景である。
円形に地下へと陥没し、人の営みが全て瓦礫として底に沈殿していた。穴のようなその地は、毒々しい紅色の霧が瀰漫していた。
血煙ではない。
体を冒す危険の香りを孕んでいる。
「十中八九、毒だよな」
たしかに。
これでは調査隊も死を覚悟しただろう。
間違いなく致死の猛毒である。
これから踏み込むタガネにも躊躇を覚えさせた。
如何にあらゆる毒性に耐える混沌の能力がある体でも、この得体の知れない霧は本能的な忌避感を湧かせる。
敵影は霧中に紛れて見えない。
遠間からの斬撃による処理は不可能だ。
やはり。
踏み込むしかない。
「隠居爺の骨身に堪える仕事だな」
家では不機嫌な妻と孫。
背中を押してくれた娘と娘婿が窘めてくれているとはいえ、帰った時の反応は想像がつかない。
得体の知れなさ。
それを言えば眼前の怪異よりもある。
何よりタガネも初孫が可愛くて仕方がない。
あの愛らしい顔立ちを悲愴に歪ませて見送られ、現地到着するまでに幾度となく脳裏にその顔が浮かんだのだから自身の孫煩悩を痛感する。
毒の霧と孫の面倒。
比べるまでもない優先事項だ。
だが、タガネがレギューム本部からの任務を投げ出せば、危地へと家族を送り込むも同断。
孫に背を向けて動かざるを得ない。
「土産で許してくれるかね」
弱音を吐いてタガネは前に踏み出した。
毒の霧の最中を目指す。
中心へと窪んでいる穴の斜面を滑り落ち、時に堆積した瓦礫の上を器用に飛んで渡った。
地底は未だに見えない。
かなりの深さがある。
ようやく辿り着いた底に足を着くと、靴の裏で赤い飛沫が散る。
都市と共に沈んだ人々の血。
それが薄く底に膜を張っていた。
そこで初めて匂い立つ血臭に顔を顰めながら、タガネは陥没地の中央へと歩を進める。
人の気配は無い。
ただ。
地底に着いた瞬間から感じるものがある。
『――ここに着く人間がいたか』
厳かな声が響き渡る。
タガネは目の前に人影を見つけた。
「そう遠くなかったんでね」
『加えて軽口を叩けるときた』
霧の中に別の足音がする。
タガネへと、ゆっくり近づいていた。
『何者だ、人間』
「人間の認識で構わんよ。殺す相手に自分を伝える酔狂に浸る余裕も無いんでね」
『そうか、では貴様に訊く』
「ん?」
『可能性の魔法、剣聖の血、境の蛇の本体とやらは何処にある?…………それでオレは肉体を得ることができる、それも最上の器だ』
「…………」
タガネは嘆息して頭を掻く。
「いや、だからな」
『…………?』
「殺す相手に伝える事は何も無いって言ったろ」
腰の鞘から魔鋼の剣を抜く。
名工に鍛えられた剣身に相手の姿が映る。
闇色の髪に彫り深い顔立ちは、毒に冒されているかのように血の気が無く蒼白い。
典雅な装束には不釣り合いな肉厚な長剣を手にした姿が、この異常地帯でなおも独特の雰囲気を醸し出している。
そして。
タガネを見る瞳は魔性のもの。
縦に伸びた瞳孔が敵意でさらに細められた。
『知らぬのか?』
「それも答える義理が無いな」
全部知っている。
それでも、万が一を想定すればと秘める。
世界の為の責務と弁えた仕事なので、タガネとしてはやや消極的に臨んだ戦だった。
だが、事情が変わった。
敵の目的が知れた今は倒す他ない。
彼の目的は剣聖の血――タガネの家族である。
「そら、慣れない土地で心細いだろう」
『……………』
「元の世界に返してやるよ」
大胆不敵にタガネは笑う。
近年増加傾向にある異世界からの来訪者。
その一部は女神の差し金もある。
タガネの力で直接干渉はできないが、他に滅亡した女神世界の魂が存続を望み、女神の支配下にない特殊な領域であるこの世界へと迷い込み、転生あるいは転移する。
後者は以前にも体験したが、肉体を持たない魂の場合が多い。
その内の一件でも。
『すまんのぅ!』
『何がだ』
『オルケテス魔法学院を中心に発生しとった異世界流の催眠魔法のせいで地域が混乱しとったのじゃ。ワシらも初めて観測する魔力に返り討ちに遭っとったんでのぅ、ヌシを向かわせたんじゃよ』
『…………正体が異世界人、ね』
『それも現実世界側でなく同じ女神世界じゃ』
『これから増えるかもな』
『じゃあヌシの仕事も増えるのぅ』
『…………』
『ほほ。――その剣をどうするつもりじゃ??』
魂のみの異世界人。
その処理はタガネ以外に不可能と言われた。
確かに、不死者を殺す術は少ない。
相性や、かなりの犠牲を要する。
無条件で不死者を葬ることが可能なのは現状タガネのみで、それ以外の方策が立つ目処も無かった。
だから、ここにいる。
目の前の敵も、おそらく女神に言い含められた者だ。
剣聖の血筋は肉体として最上の器。
可能性の魔法は肉体そのものを作れる。
境の蛇の本体は――どんな反応が起きるか皆目検討もつかない。
危険にすぎる。
敵の目的はいずれも叶えてはならない。
「そら、かかって来な」
タガネは手招きで挑発する。
男はただその態度に微笑を浮かべて。
『見上げた度胸だ。…………なら死ね―――――!』
どん、と地面を蹴って飛び出す。
その一瞬の後には、百分割された肉片と化した。
危険な異世界からの漂流物は多い。
だが、無害な存在がいるのもまた事実。
その存在は――。
「はーい、オルケテス魔法学院へようこそー…………っていう紹介でやらせて貰ってるけど、剣聖に脅されて保護所みたいになってる異空間です」
情けない紹介に。
ミカドはただ苦笑するしかなかった。
剣爵家が代々管理する土地は幾つもある。
剣爵領地に留まらず、大陸側でも剣聖の代から面倒を見ている場所はいずれも曰く付きだ。
そして、ここはその一つ。
旧オルケテス魔法学院――今や無害な異世界人を匿い、一時的に保護する施設となっている。
「キミが当代の剣爵?」
「は、はい」
「剣聖の血って可愛い顔しか生まれないんだねー。初代は目つきのせいで台無しだったけど」
「しばらくは僕の管轄になるので、その挨拶に参りました」
「うん、うん。礼儀正しくて宜しい」
校庭でミカドを迎えた学院の管理者アーシェアル。
魂のみで、半世紀もこの世界に留まる異世界人である。
その周囲には、騒々しく形も人種も様々な人と魔が入り乱れている。いずれもレギューム関係者が確認した異世界からの漂流者だ。
危険ではないが無視もできない。
その管理を任せるアーシェアル自身も危ういので、外部と結界内部を遮断し、オルケテス学院は必要時以外は開かない封印状態という処置が取られた。
「多いですね、何か不都合はありますか?」
「無いけど皆うるさい」
「あはは………」
「いつも通り、外部の情報と本さえあれば」
アーシェアルは肩を竦めて皮肉げに笑う。
飽くことなく知を蓄え続ける。
曽祖父から聞き及んでいた人物像と合致する実物だった。
「異世界人は増えているので、またお世話になるかもしれません」
「構わないよ」
「そうですか」
アーシェアルは微笑んで、ミカドの願いを受領した。
「いつでも頼ってくれ。
混乱を極める者、剣聖の血筋とは今後とも末永く…………ね」
ここまでお付き合い頂き、誠に有り難うございます。
異世界尽くしでやっていると、現実側も書きたくなりますね。マコトやリョウはともかく、ユルヌや他の面子についても掘り下げたくなります。
因みに異世界側(女神やその他諸々)がここまで劇的に変化しているので、その余波を現実側が受けているのですが、その辺りは書いている私本人が考えるのを諦めています。
考えてみると、本来はタガネ世界側に影響を与える人の集合無意識――混沌自体がここまで乱れ始めると、逆反応で現実側の人間の人格や倫理観が混乱したり、地球上で超能力が増えたりとアウトな展開が多いです。
正直、タガネ達が世界滅ぼしてますね。
なるべく考えないようにします。。




