小話「魔借り者」⑦
里長は囲炉裏の火を眺めていた。
外部から調査があったことは、未だに抵抗感がある。
だが、納得はしていた。
仮に変死が止め処なく連続していたなら、里は壊滅する運命にある。里のみで解決する力が無いのであれば、他の街へ魔獣を誘導していたように他の力を借りる他ない。
あれは魔獣を散らす以外にも、里の備蓄などを考慮して人を間引く目的がある。
古い因習であり、現在の里でもある程度は抵抗感を示す者がいる。それでもその手法を是としたのは、生き残るためなのだ。
子を成し、次へと里を託す。
生きる為、繋ぐ為に知恵を絞ってきた。
今回もその一環である。
手に負えないなら外部を恃みとする。
幸いにも。
訪ね人ミカドは悪人ではない。
危険な部分が時折垣間見えはする。
個体数が増えて、サセリたちの囮だけでは撒けないほどになっていた魔獣を単身で殲滅し、里の露骨な疎意にも堪えるほどに懐は深い。
敵と看做した存在への冷酷さ。
あれが里へと向かなければ問題ない。
何より。
『貴方には選択してもらいます』
里長に選択の余地を与えていた。
ミカドは既に真相に辿り着いている。
里長が隠したかった――守りたかった、悲しい秘密を悟っていた。
レギューム側の人間ならば、山奥の矮小な里の一つや二つの意思など顧みず、波及する危険があるなら手段の善悪など問わず滅する。
大義のためならば個人など無も同義。
それでもミカドは里長の意思を問うた。
大義ではない。
一人の人間として訊いていた。
「父さん」
「………何だ?」
梯子を降りてきたソクタが囲炉裏の傍に座る。
互いの顔を見ず、二人は火をぼうと見つめた。
「この里は、良いところだよ」
「…………そうだな」
「魔獣は危険だし、囮作戦には少し納得してないけど…………でも、みんなはいい人だ」
「ああ」
ソクタの視線が里長を見遣る。
「親父、ミカドさんは信用できる?」
「…………人柄はな」
「人柄だけかよ」
「育った環境が異なる、考え方にやはり違いが生じるから衝突は避けられん…………そればかりは、な」
「そうかよ」
ソクタは安心したように笑う。
里長は、それを見て複雑な面持ちになった。
里の秩序か、親心か。
本心を告げれば、後者以外になる。
ただ、里長としてこれまで多くの人間を犠牲にしながら里の存続のために手を汚し、常に冷酷たれと自らを叱咤してきた。
個人としての意思で訴えたい。
だが、里全体が自身にとっての家族だ。
今日も秩序の為にと、他の家から親を奪おうとした。
ならば、当然の報いもある。
責任から、自身だけ逃れられる理由は無い。
「ミカド殿」
「え?」
「――決まりましたか」
里長が絞り出すような声で呼ぶ。
応える声は頭上から――二階の影から、ミカドが姿を現していた。先刻まで同じ階にいたソクタは、驚きのあまり飛び退いて尻餅を突く。
梯子の段が軋音を立てる。
一階に降り立ったミカドは帯刀していた。
「父さん、何でミカドさんが?」
「他に泊めるところがない」
「リエアラの家とか」
「これ以上、あの家が里からの疎意を集めぬように配慮してだ」
「あ、なるほど」
納得したソクタが改めて彼を見る。
囲炉裏から離れた位置に佇む黒髪の少年、その穏やかな笑みが火の光に照らされていた。紺の割烹着は暗闇の中に溶けて、まるで暗中に顔だけが浮いているように見えて不気味である。
光の無い黒瞳は、里長だけを映していた。
ソクタはぞっとして体が緊張する。
「――して、答えは」
「里の…………秩序を」
「良いんですね?」
「ああ…………頼む…………!」
苦しげな表情で、里長が応えた。
ミカドは了解し、ようやくソクタを見る。
「ソクタさん」
「はい?」
「今回の変死事件について、少し報告があります。里長様は少し席を外して頂けますか?」
「…………ああ」
「リエアラさん」
ミカドの声の後、戸が開けられた。
弓矢を装備したリエアラの姿に、ソクタは怪訝な顔になる。
――なぜ、リエアラが?
その疑問に答える者はおらず、里長は戸口へと向かって行き、上着を羽織るとリエアラを伴って家を出ていった。
二人だけの家の中が沈黙に包まれる。
ミカドはただ微笑むだけ。
意図が分からず、ただ異様な緊張感にソクタも口を開くことができなかった。
「最初は、帰ろうかと思いました」
「はっ?」
おもむろにミカドが語り出す。
表情は変わらない。
ただ、声は冷たく低い。
「僕が剣聖なら、救えた案件でした」
「…………?」
「でも、僕は心技体も彼に及ばないから取れる手段が少ない。変死の原因がアレならば、一つしかなかなる」
「何を、言ってるんだ」
「変死体の原因はこれから暴きます」
「…………」
「ただ、いま次の犠牲者が誰かは判明しました」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ」
ミカドの手が持ち上がる。
暗闇から伸ばされた手が、静かにソクタを指さした。
「貴方が、次の被害者です」
告げられた内容にソクタは頭が真っ白になる。
なんだって?
そんなことが、あり得るのか。
だって、自分は正常だ。
他の者が違和感を訴えたり、自身で気をつけているがいつもと違うことをしたりなどしていない。
「貴方は今、違うんです」
「…………え?」
「気付いた理由は三つです。
一つは、会話中にソクタさんは一人称が目まぐるしく変わります。『俺』、『僕』、『私』とまるで落ち着かない…………口調もです。少し荒っぽくなったり、丁寧だったり、相手によって変わることはありますが、一人に対して二つ、三つと変わるのは可怪しい」
「いや、そんなことは」
「ええ、自覚は無いでしょうね」
ミカドは淡々と説いていく。
異常な点は最初から見受けられた。
変死事件について問い、ソクタが答えていった後に事件解決に臨む意気込みを語り始めた時点から、一人称が次々と変わっていく。
その様にまずミカドは疑問を覚えた。
「次に里長の対応です。
僕がその違和感を覚え、もしやとソクタさんを次の変死者だと示唆した物言いをすると複雑な表情をします…………何より、否定するより守ろうとした。
否定しなかったんですよ、彼は」
「そ、そんな」
「そして最後に、リエアラさんです」
ミカドの話が耳に入らない。
ソクタは茫然自失として、そこに立ち尽くした。
「お二人は仲が良かったようですね」
「あ、ああ」
「婚約関係も、互いが望んだほどだと。
里長が認めたほどなので、よほど良好だったのでしょう。――であれば、リエアラさんも貴方をよく知る人物です。
そんな彼女が、こう言いました」
ミカドはリエアラの言葉を思い出す。
あれこそ決定的だった。
『最近、何か…………こう、言葉に出来ないけど私に対して何かある顔してる』
言葉にできない、親しい人の違和感。
それこそ変死前の予兆と該当する。
ミカドの予感を、確信へと後押しする強い情報だったのだ。
「だから、次に死ぬのは貴方だ」
「…………なら、どうすんだよ」
「僕ができるのは――」
ミカドの手が動く。
緩慢にすら見えるその動作は、抜刀のもの。
「介錯だけです」
「じ、じゃあ…………何で俺に話した?何で僕だと分かった瞬間に、私の背後からでも殺さなかったんだ」
「里長の意思を尊重し、僕は退く考えもしていたので。
後は、そう」
ミカドが目を細める。
そこには、敵意だけが宿っていた。
危機感に、ソクタの体内でぞりぞりと鑢で金を岩を削るような音がする。心臓が早鐘を打ち、脳が膨縮を繰り返して頭蓋を叩く音が重なった。
指が震えて骨を鳴らす。
体が危険に対して警告を出していた。
地団駄を踏む、ただ音をひたすら立てる。
「変死の原因が、生き物か…………病か」
「はあ、はぁ、はあ、はあ、はあ――――!」
「殺すと予告し、殺されると分かって生き抜こうと動き出すのは生物です。
話を始めた途中から感じ始めましたよ」
「ハァ―――――ハァ――――ハァ――――!!」
「醜悪な気配を」
ミカドが床を蹴って飛び出す。
その腰元で解き放たれた刃が光を照り返して閃く。
彼はソクタめがけて突進していた。
「ハァ――――――!!!!」
ソクタの呼吸が止まる。
その次の瞬間、彼を中心に肉片と衝撃波が屋内全体へと拡散し、里長の家を木っ端微塵に吹き飛ばした。
雪中に瓦礫が転がる。
ミカドは宙で回転して体勢を整え、軽快に着地した。
手にした刀は刃全体が血で濡れている。
切っ先から垂れた雫が雪を黒く染めてじんわりと広がった。
「僕は曾祖父ちゃんにはなれない」
『オ、オオ、オオオオ、オヴ』
「」
崩れた家屋の瓦礫の山。
その中から歪な人影が一つ立ち上がった。
鹿の後肢のように足が伸びて高い位置に踵があり、撓んで肉を突き出た背骨、右の側頭部からもう一つの頭蓋骨が分裂するように突き出ている。
こちらを見る異形の人影。
その顔に、ソクタの面影は微塵もない。
眼窩の内で蠢く四つの眼球が血涙を流しながらミカドを睨んでいた。
「酷い、姿だな…………」
『リエあ゛ッラ、俺ァ違ウンだ。タだキミに怪我シて欲シくなくッテ、狩リに出シタク無いンだっァ゛っ』
「…………」
血を吐きながら異形は訴える。
その腕が中指と薬指の間から裂け、肘まで分かれた。
それぞれの腕に手中からは尺骨と思しき骨を掴む。
嫌悪感を掻き立てられる光景にミカドは顔を顰めた。
まだ変化は続いていく。
だんだんと、ソクタの原型を失う。
「あれは」
ぎちぎちと、怪音が鳴る。
血を絞り出されて細くなった胴体を裂いて、逆方向に反り返った肋が飛び出した。剥き出しになった肋骨の先端に肉片が集まり、そこに新たな手や歪な人の頭部が生成される。
人の顔は、小さく何かを囁いていた。
ミカドは耳を澄ます。
『殺セ、殺シテやる』
『おっかァ、アレハ食べ物?』
『アイシテルのに、コンナにもアイしてるのに!』
哀訴、呪詛、中には子供の声もある。
ミカドは醜悪な風貌を前に確信した。
変死の原因。
それは魔獣でも、魔力現象でもない。
もっと更に歪で、異質な力の爪痕である。
「…………『堕し児』」
『ボクを見つけーて、ボクを認めーた?ソクタは美味シかったナァ、次ハキミかな』
「…………」
『大兄者が死んデ怖くナッタけどォ、銀色ノ剣士も死んデ、あノ目障りな聖女もゴ臨終したなラ、もう怖ク無い。
デモ用心深いネ、ボクがいるヤツから物を借リタ奴は次ノ獲物、借リタんだから報酬ガ無いと』
「化け物のくせに勘定か」
怪物は捲し立てるように話す。
その声を聞くほどミカドの顔は険しさを増した。
物の貸借で次の犠牲者が変わる。
恐らく、狩猟中は弓矢などで矢が足りなければ誰かに借り、或いは貸すことも常にある。仕留めた獲物を捌くときにも、道具の貸し借りがあるだろう。
里全体が共同体の環境では、一人の物は皆の物。
それを基準に、人に寄生し食べる。
変死の原因は――この『堕し児』が、里を餌場にしていたこと。
「自我があるとなると、『十二の死』に近いのかな」
堕し児は、複数人の魂や意識が混ざり合っている。
魔神戦線以前に存在した妖姫オルルヴァによって産み直された、元人間。
だが、この堕し児は強い個我がある。
「…………どちらにせよ」
ミカドは腰を軽く落として構える。
頭の横に高く掲げた長刀は刃を上向きに、刃先を相手に重ねるようにかざした。
「君を殺す、それが僕の最善策だ」
『同ジ匂いがするナァ、美味そーダ』
会話は成立しない。
食い違う部分はほとんど無い。
唯一、互いを繋いでいるのは――純粋な殺意だけだった。




