小話「夜忘れ」⑵
急な同乗者の登場以降。
馬車は滞りなく街まで進んでいた。
タガネも男も、その正体を詮索することなく各々の時間を過ごす。変わらず車外の景色を眺めるタガネは、この沈黙が破滅的な崩壊を迎えないことを願っていた。
初見でも、理解している。
タガネの経験則が警鐘を鳴らしていた。
外套で姿を隠した人物、馬車が急制動をかけた不自然さも含め、本来ならタガネも男も無視するような同乗者へと会釈をするほどの礼儀正しさ。
――嫌な、予感がする。
早くも不穏な雰囲気は流れていた。
タガネは嘆息を禁じ得ない。
穏やかな休暇に一切の厄介事は御免被りたい。
定住地探しは何事も無く済ませたいのだ。
「なあ」
「…………」
「後ろがやけに騒がしくねえか?」
「気の所為だろ」
遂に男が異変を察知する。
ずっと幌の外を見ていたタガネが無視していた変化だ。
幌馬車の後ろにだが、少しずつ兵装の人間が多くなりつつある。緩やかに増加の一途を辿る兆候を見せていた。
タガネは他人事と流す。
不審に思った男が車外を注視した。
杞憂ではなく、明らかに増えている。
道脇から、或いは別の馬車から降りて合流していく兵士たちの影が連なり、もはや隊列が完成間近になっていた。
耳を叩くような重厚な足音。
雑踏のはずなのに足取りは整っている。
整然と並ぶ兜たちの光景は戦場でしか見ない壮観であり、タガネも男も顔を引き攣らせた。
物々しい雰囲気が語っている。
これは――明らかに異常だと。
「おい、何だよこれ」
「やめろ、考えるな。 俺は休暇なんだぞ」
「偶然、だよな?」
「作為的なら天晴なもんだな」
タガネは車外から視線を外す。
御者の方まで向かい、進行方向の景色を確認する。
目の前も兵装で固められていた。
陽光を反射する鈍色の兜たちが眩しい。
次いで、タガネは荷台の端でうずくまる外套に視線を落とす。
外套は膝を抱えて縮こまっていた。
顔を埋めて、震えている。
「途中下車、するか?」
「無理だろ」
震える声で問う御者にタガネは即答する。
「おまえさんも知らない口か」
「あの子が突然、前に出てきたときから不審に思ってた」
「なぜ乗せた?」
「か、可愛い子だったから」
「…………顔を見たのかい」
「隙間からちらっと」
緩んだ表情で情けない理由を告げられ、タガネは呆れて何も言えなくなった。
容姿で乗車を認めた彼の欲求への忠実さを責める権利は無いが、馬車の前にまで出て止める切迫した行動や、素性を隠す目的の外套から察せられる物騒な先行きに巻き込まれるには些か以上に下らなかった。
無言で荷台へ踵を返す。
その途中、外套を流し目で確認する。
すると、膝に埋めていた顔を上げた。
「あの」
「…………」
「護衛、してくれませんか?」
「断る、いま休暇中でね」
「ほ、報酬は弾みます」
「外を見てみな。 労苦と金の釣り合いが取れるとはとても思えねえ」
「その分を出します」
「その分を捻出できる懐の大きさに見えん」
「……………」
タガネは静かにその場を離れた。
再び荷台の後部へと戻る。
もはや誤魔化しが利かないほど兵数は増えており、明らかにこの荷馬車じたいが悩ましいほどの場違いな感を出していた。
高貴な要人の直近に就く兵力が揃っている。
素人でも読み取れる仰々しさだった。
男も馬車の外を見ず、我関せずの態度を作っている。先刻までの落ち着きの無さや、好奇心などが見る影もない。
一介の傭兵が首を突っ込めない重大さ。
それを漸く理解したのだろう。
実際、賢明な判断だとタガネも共感した。
「やれやれ」
タガネも街に着くまでの辛抱と考え、鞘ぐるみの剣を抱いて馬車の護衛に専念することにした。
街へと続く坂へ入り始める。
緩やかな傾斜に馬車が傾いた。
ごん、と先頭付近で何かがぶつかる音は、おそらく油断していた外套だろう。
男も察してか小さく噴き出す。
「なあ」
「話しかけんな」
「良いから、良いから。暇潰しが欲しくなったんだよ」
「…………」
「荷台を囲う隊列、目の前には剣鬼、ワケ有りな外套の人間…………重苦しくて敵わねえ」
「俺は関係無いだろ」
「そうか? 一役買ってると思うが」
「その失礼な面に剣を叩き込んでいいってんなら、おまえさんと会話するのも吝かでもねぇな」
「ひえ」
タガネが凄むと、男が両手を挙げる。
それきり二人の間に会話は無い。
ただ腹の底を揺するような重さを増していく足音が全方位から押し寄せ、空気はより緊張していく。
穏やかだった気分は遥か遠くへ。
快適になるはずの休暇は出端を挫かれた。
タガネはこれ以上なく業腹である。
街へ着いても、この調子ではすぐ下車することもできない。
既に――巻き込まれているのだから。
「着いたぞ」
先頭から聞こえる声に立ち上がる。
男も揃って腰を持ち上げた。
改めて目を背けていた荷台の外を見れば、戦争に望むのかと錯覚する迫力の兵士たちの視線が荷台に殺到している。
彼らに見守られながら、自分たちは荷台を降りなくてはならない。
気の滅入る光景にタガネは嘆息した。
「お先どうぞ」
「お、俺も出たくねえよ」
「あのときの好奇心はどうした?おまえさんならこの状況でも先鋒を担ってくれるもんだと期待してたんだがね」
「鬼のように敵陣へ斬り込むって風評は嘘なのかよ、剣鬼の名が泣くぜ?」
「生憎と休暇中だ、戦の意気込みなんぞを持ち込むほど仕事と私生活の区別すら付かない阿呆じゃない」
「じゃあ先鋒とか言うな。俺だって剣術大会に参加する為だけに来たから仕事とは無縁なんだよ」
「優勝して騎士団に入るんだろ?ならこの隊列に臆してどうすんだい、これじゃ未来の職場にも馴染めないんじゃないかい?」
「テメェは隊列どころか人の世界でも馴染めてねぇだろ、鬼野郎」
「あ?」
「あ?」
押し付け合いから罵詈雑言へ。
タガネと男は睨み合って荷台の空気を飽和させるほどの怒気を放っていた。
「諸君、静まり給え」
そこへ割って入る一つの影があった。
荷台の後部が開かれ、階が掛けられる。
段差を踏んで、豪奢なマント姿の人物がタガネと男の視線の交差点に立つ。蓄えた口髭を整えた壮年の男性は、荷台の上を見回して先頭付近へと歩んでいく。
虚を突く登場にタガネと男は怒りを忘れた。
荷物の間を歩んでいく後ろを見送る。
すると、王に次いで乗車した兵士たちの抜剣によってぐるりと包囲される。
狭い車内で幌を背に。
タガネは目の前に並ぶ切っ先たちを眺めた。
「おい、マジかよ」
「誰だい」
「アイケメスの王様だ、知らねえのかよ」
「知らん、仕事でも来たことないんでな」
「陛下が黙れと言ったなら黙れ」
兵士の一人がずい、と剣を突き出す。
顎先に接近した剣にタガネは目を眇めた。
「おお、探したぞ――セイレン」
「…………お父様」
荷台の先頭から会話がした。
タガネと男は黙って聞き耳を立てる。
「今回はおまえたちの近衛騎士を決める大会、来るなと申したであろう。結果は追って伝えるというのに」
「私の目で直接判断いたします!」
「これは大会関係者にも悟られぬようにしたいのだ。毎年恒例だからこそ、他国の間諜などが重要視せず入らないから選びやすいというのに」
「私が人を選んではいけないのですか」
「安全を考慮してだ、分かってくれぬか?」
王と外套の人物の会話が続く。
タガネは内容から大体を察することができた。
つまり。
今回の剣術大会は王が見守る中で娘である外套――王女の近衛騎士を決定する底意があったが、その結果が本当に自身を守る騎士として信頼できるか否かを確認すべく王の意向に反して赴いたのだろう。
そして、タガネたちは偶然にも人目を忍んで紛れ込んだ王女と居合わせてしまった。
加えて、その王女の隠密は国に筒抜けであるが故に馬車へ乗った途端に包囲されたのである。
笑い話のようで。
その実、当事者にすれば傍迷惑な話だ。
「しかしなぁ」
「それに、私はもう近衛騎士を二人決めています」
「な、なんと!?」
「ええ、既にこの馬車に乗車しています」
「だ、誰だ!?」
先頭から足音がする。
タガネと男は嫌な予感に顔色が蒼くなる。
――すでに、この馬車に乗車…………?
告げられた不穏な特徴が、不幸なことに自身らが合致していることを自覚した。
積荷の隙間から外套姿の少女が現れる。
「彼らです!」
「な、何とォォォォッ――――!?」
「おい、剣鬼」
「…………何だ?」
「俺はもう大会出ずに夢が叶ったみてぇなんだけど、おまえは?」
男が遠慮がちに問う。
果たして、タガネの胸中は理屈や立場などを差し引いて――。
「俺は………………………騎士になりたくない」
虚しく己の願望だけを主張していた。




